伝え方と限界や条件の先出しと後出し

前々から気になっていること。
「難しいと思います。」「大丈夫です。」などのフワッとした回答。
何が難しくて、何が大丈夫なのか、全く伝わらない。
良い人でいたいという心理なのか、やる気がないのか、勝手に経験や自己完結から判断したのか、曖昧に無理とか難しいと相手に伝えるのって私は失礼だと感じます。
少なくとも、どうしたらそれが叶うのか、どうしたらそれが前に一つでも進むのかで考えた伝え方ではない。
今、会社としても個人としてもその業務に携わっている余裕がない、考える脳がない、興味がない、今までの事例がないなど、理由は様々であるのは理解出来ますが、あなた一人の解釈で、なんだったらあなた一人の捉え方、協力の仕方で相手の人生や事業が右にも左にも転がるんだという意識や可能性の捉え方の幅が狭過ぎる。

もったいない。
それはもう本当にもったいない話。

お金の価値は理解出来ても、時間の価値、人の価値、可能性の価値までは見えていない方々は、本当にもったいないと思ってしまう。
よく、人見知りなんで、、、友達少ないんで、、、と最初に自分にレッテルを貼る方がいらっしゃいますが、それは個人の生き方としては自己防衛するのも自由ですし、ご勝手にどうぞなんですが、、、
ずるくないか?w
なんだ、そのカード。
その先出しも後出しも、なんでもそうじゃないか?w
いいんだけども、全然いいんだけども、
私は言わないし、やらないです。
だって、ずるいし、つまんないもん、その流れ。

会社をなんとかしたいとか、事業を成功させたい、あれやりたいこれやりたいと夢や願望を掲げてる場合は、もっと話が違うと思うんです。
まして、仕事の場合、あんたのそのスタンスの話はしておらんとなる。
会社としても、個人としても、そこへのノウハウはないな、今引き受けられないなと思っていても、相手が頑張って何かをやろうとしている場合にはこれくらいなら協力できるかも、この情報なら提供できるかも、この人なら繋げられるかも、となる思考くらいは持ち合わせていて良いと感じます。
では、その思考も余裕もない人はどんな人なのか、、、恐らく人に助けられた、もしくは助けたという実体験が少ないんですよね。
あの時のあの人のあの一言がなかったら、あのタイミングであの協力がなかったら、という経験がない。
もしくは、人生かけて挑戦した経験がない。
あっても、その個人に対してだけ感謝するレベル。
だから、相手の可能性を自分が広げられるかもという発想がそもそもない。
自分を利用されてるかもと考える方もいらっしゃるようですが、仮に利用されていたとしても誰かのお役に立ててるなら良いじゃない。
何がそんなに嫌で損なのか、逆に聞かせて欲しいくらいです。
そうすると、過去の話をされる方々がかなり多いですが、いや、それは今の話ではないし、今後もそういうことはあり得るし、ないかもしれないよ。
それは誰にも分からない話だと思います。
その経験を踏まえても、前に進まなければならないのだから、止まっているよりは前に進もうよ。
まだ起こってもいない未来、勝手にキャップ決めて過保護になり過ぎですよ。

別の例になりますが、大企業勤めされてきた方々が、スタートアップ企業に馴染めない、使えないとされてしまうタイプのほとんどが指示待ち、受け身、条件や業務の役割にこだわる、などがあります。
このタイプは、常識や守られた環境の中でルールなどに沿い、働くことは出来ても、ゼロベースのところから組み立ていくことはまず苦手、というか出来ない。
そして文句に変わるケースがほとんど。
自分が出来ないことに焦点は当たらず、周りや環境がおかしいとなる。
それは、本当にその大企業を支えてきて、環境を整えてきてくれた先輩方に感謝し、今度は自分がその役割を担う側なんだと意識を変えていくべきです。
成長が止まる人間というのは、まず変化を好まない。
新しいことへの恐れから出来ない脳が先に来る。
そうすると可能性の幅を勝手に狭めてしまい、発想力、機転はもちろん、判断力さえ衰えます。
責任やリスクを取りたくないタイプは、同調してくれる仲間を好み、自分たちにとって楽な選択、仕事、生き方を選びがちです。
話の展開も、手前の自分を囲む枠でしかないこともしばしばあります。
ワクワクして生きてる人とそうでない人では、キラキラ具合もだいぶ違うんで、毎日ワクワクドキドキした方が美しいですよ。

私が兼ねてから、ママであることを言い訳にしないと伝えている理由はこういったところにもあります。
ママになることを決めたのは自分自身なんだから、それを言い訳にして通ったら世の中はちゃめちゃになります。
旦那さんが〜、子供が〜、その旦那さんと結婚しようと決めたのも自分、子供を産んだのも自分、それは他人には全く関係のないことです。
まして、社会には全く関係ありません。
生き方もそうですが、事業で成功している人たちは、覚悟のレベルが全く違います。
だから、カッコいいし、だから成功するんです。
必死に働くんです。
必死に脳味噌と身体を使うんです。
頑張るんだよ。
生きるんだよ。
話はそこからです。
夢中になるってそういうことです。

社員やスタッフであれば、あなたのモチベや仕事への関わり方一つで売上が変わりますし、家族であれば、絆や安心、愛情度が変わります。
なのに、いつまで自分の人生をその受け身スタイルで生きていくんですか?
人生はあなたのものですが、会社や家族はあなただけのものではありません。
あなたが自分で限界を定めれば、周りもあなたに影響されて同じようにそこに収まります。
そこに思いやりや成長はありますか?

私は母が亡くなった時に、感じたことがあります。
思った形での人生でなかったかもしれない。
でも、精一杯生きたことが母の生き様で死に様でした。
母に対しての後悔はないけれど、母に与えてもらったこの命を精一杯生き、挑戦を続け、最後まで学びだと感じ、成長し続けたいと思っています。

大人の皆さん、精一杯生きていますか?
その姿を子供達、次の世代に見せていますか?

ママの毎日は評価されるものではありません。
でも、仕事は確実に評価されます。
評価基準があるからだと思います。
それをどう捉えるのかによって、
働きながら子育てするバランスが生まれると思います。
そして、切り替えていくことをお勧めします。

私たち人間は一人では生きられません。
その理由を考えてみると、人をもっと大切に、出会いを大切に、可能性を大切に、少しだけ生き方も変わるかもしれないですね。

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