一周忌に寄せて、BUCK-TICK櫻井敦司という存在、概念
受け入れたと思っていたけど、それによっての綻びというか、この感情を入れる箱は傷だらけ、思ってた以上にまだ心は辛いみたいだ。
今日は一日で4本のライブ映像を鑑賞。
あの日から数日後には普通に映像を観てたはずなんだけどな、今日最初に観た異空でQUANTUMⅠが流れてすぐに涙が溢れてしまった。
でも思い返せばこの涙、恐らく寂しさももちろんあるだろうけど、かっこよさに打ちのめされての涙でもあったと思う。
BUCK-TICKから学んだことは本当に多い。
ロックって悪かったりエロかったり、反逆性、そのヒリつく緊張感の中に一筋の、何より煌めく愛がある。
時に人を憎む気持ちさえ、形は違えどそれさえも愛なんだと思い知らされる。
根底は、全部愛。
それを教えてくれたのは櫻井敦司、BUCK-TICKだった。
他には闇にも表情があることを教えてくれたのもBUCK-TICK、そしてそこにも愛があることも。
それまでもいろんなロックバンドを聴いていたけど、本当の意味で、というか、自分の中でのロックというものの概念を完璧に形成したのはBUCK-TICK、そして「BUCK-TICKの櫻井敦司」というフィルターを通して放たれる言葉の数々だったかもしれない。
このままいけばもしかしたら、老いてギラつきも無くなっていく貴方がいたかもしれない。でもそんな姿でさえ、観てみたいと思ってしまう、貴方が行く着く老い先なら、それは間違いなく正解のはずだと思うくらい、完璧な憧れ。
それが、止まってしまった。いや、あっちゃん、永遠になるにはまだ早いよ、早すぎるよ。
でも、遅かれ早かれいつか来る終わり、それは当たり前のことと、今は思うしかないんだよね。それこそバンドが表現し続けてきたことだし。
流石にまだ一年では、でもいつか、まだ悲しみの淵にいる人たちも含めて、笑って貴方のかっこよさを、素晴らしさを、伝え継いでいくことが出来たら、素晴らしいよね。
さっき永遠って書いたけど、永遠なんてただの概念で、実在するかなんて分からない。みんなそれを知る前に命果てるから。
でももし、それが可能なのだとしたら、
永遠を実現することが出来るとしたら、そこには人の想いがあって、伝え継いでいくことだと思う。そこには伝え継いでいくだけの魅力があるってことだけど、貴方なら、きっと永遠になれるはずなんだ。
櫻井敦司という存在、概念として、永遠に。
これからも貴方の声を頼りに、支えに、そして4人で動いていくBUCK-TICKとともに、生きていこうと思います。