プロローグ 盲亀浮木
今日も一日一善。
僕は、昔から、おじいちゃんと一緒にお助けゲームをしていた。
おじいちゃんと遊んだ帰り道に、何かしらのお助けをするというゲームだ。
一番が取れなくて泣いている子にメダルを作ってあげたり、空き地の工事が決定して居場所のなくなりそうな虫さんを避難させてあげたり、持ち主の見当たらない木に引っかかった風船を取ったりと……
くだらないことでも、僕にとっては一生懸命だったんだ。
お助けゲームはおじいちゃんが死んだ後も続けている。
気付けば、帰り道に限らずふとした時には困っている何かがないか探すことが習慣になっている。
そうしていないと落ち着かない自分がいるんだ。
自分のルーチンなのか、戒めなのか、きっとそれが自分でも分からないナニカにつながると信じて……
大学が終わり男友達とも別れ駅を降りると、夕闇の中雨が降り始めている。いつもと少し違う情景を味わいながら歩いていると――
シャリン……
かすかに聞こえる鈴の音……
シャリンシャリンと、迷い猫のような、呼ばれているような、悲しんでいるような、鈴の音は雨の音に混じり寂寥感を漂わせている。
路地裏奥の暗がりの中、うっすら見える雨除けの屋根の下で、閉じた傘を脇に置き、その横でぎこちなく蠢く人影が……
近づいてみると、下を俯きながら、手を顔の周りで忙しなく動かしている女の子がいる。
呪いの踊りのように、何かを召喚するように、身体全体でオーケストラを指揮するが如く、キタキタ、シャリンシャリン、ホホホイと……
女の子にこういう感情を抱くのは申し訳ないが…………薄暗くなってきた路地裏でのこの光景は少々気色悪い。
しかし、放っておくのは僕の信条に反するものだ。明日から休みだし、1つ気張ってみよう。
「あの……何か困ったことでも」
動きを止め女の子は鈴の音と共に顔を上げる。
くしゃくしゃしたショート髪の奥からは人形のような綺麗な瞳をパチクリさせている。小さいながら女性らしい容姿の割には少し子供っぽい鈴の髪飾りをつけている……同い年くらいだろうか。
「んっ、髪の毛が目に入ったみたいで、さっきから全然とれなくて……」
「あぁ……それであんな動きを」
よかった……イタい感じではなくて安心した。
自分も目は大きい方だし、よく目には虫やらまつ毛やらが飛び込んでくる。自転車の運転中とかもよくそうなると、確かに似たような動きをしてるのかもしれない。本人は必死そのものだが、他人からしたら急にSNSの撮影やら、ブレイクダンスでも始めたのかと思いこまれそうなものでもある。
僕はほくそ笑みながら前髪に目を向けて見る。
「……ちょっと触っても大丈夫かな? 髪の毛多そうだし前髪ではないのかもしれない」
頷く彼女を確認しながら、持ってる傘を首に挟み前髪を左手でかきあげてみる。
冷んやりしたおでこを感じながら、下を向く彼女の目元を見る。
喜怒哀楽を置いてきたような、現実と距離を置いているような、整った顔がよりそれを際立たせているのか、彼女の表情からはそんな印象を受ける。
頬だけでなく、目も赤みがかり涙がうっすら浮かんできている。
彼女は、覗き込む僕を上目で見てくる。一筋の涙が頬を伝い、マスクに染み込んでいく。その瞳は、純粋でいて混沌とした、何か懐かしさを感じさせつつ、ドコカに吸い込まれそうな、引き寄せられるような、引き戻されそうな――
しばらくじっと見つめあっていたことに気付き、顔が熱くなるのを感じながら、目を逸らそうとすると、左手に巻いているミサンガの下から髪の毛が入っているのを見つけ、つまみ出す。
「あ! あったかも! どうだろう、治ったかな?」
僕は手を離し、彼女も前髪をさすりながら首を振り、目をパチクリさせている。違和感とのお別れを確認しているようだ。
顔の火照りが沈むのを確認しながら、その微笑ましい仕草にホッとする。
「ん……治ったみたい、ありがとう」
くしゃくしゃした髪の毛からちらつく顔は、マスクの上からでも無表情な感じを醸し出しているが、彼女の瞳はとても存在感をだしている。
僕には分からない情報が幾重にも連なっているような、深淵を覗くような……とりま、彼女の小さな悩みは解決したようでよかった。
ヒトの悩みや不満がなくなるのは嬉しく、安心する。
それがどんな些細なことでも自分が多少なりでも関われるなら尚更だ。
「他はもう大丈夫そう? まだ困ったことあるなら手伝うけど」
女の子は、パチクリを一旦やめ無表情な中にもどこか不思議そうな瞳で僕のことをじっと見つめながら口を開く。
「……? 私を……? あなたは、とても嬉しそう……」
「そりゃぁ、役に立てて嬉しかったからね、そんなに顔に出てるかな……君も髪の毛が取れたことだし、うれしくないの?」
「嬉しいよ……これが私の嬉しさ……私はしばらく笑えていないから」
彼女は、胸に手をやりながら、顔を曇らせる。
「……笑えない? 病気的な?」
「私は病気だとは思ってないけど……笑えた時のことはもう遠い昔だし、笑うのが怖いし、苦しくなる……」
「そうなんだ……それは、悲しいことなのか、君が望んだことなのか、君は実際どうなんだろう? 笑いたいの? 僕でも何か手伝えることがあるといいんだけど。それが趣味みたいなもんでもあるし」
「趣味……」
「あぁ……うん、いや、僕は、人助けが趣味みたいなもんなんだ。おじいちゃんっ子で、いつもそういう遊びのようなものをしていて、いまだに続けているんだ。もう……それが僕の一部みたいなもんだから。今回も鈴の音をたどってみたら、困ってそうな君を見つけて、何かできればと思ったわけだよ」
彼女は瞬きひとつせずに僕を見つめている。
「そう……鈴の音を……私なんかを…………あなたがいいのなら……笑っていいなら笑ってみたい……今までのヒトリとは違ってくるのかもしれないし……私を見つけてくれたあなたのことを私も少し知ってみたい」
「独り、1人か……独りで笑うのはきっと難しいけど、2人なら色々見えてくるものもあるかもしれない。僕でよければ何なりと手伝わせてよ」
「私は、ハハキギリコ」
「リコか! 僕の名前は建木アルト、みんなからはアルトって呼ばれてるからアルトでいいよ、よろしく!」
「アルト……あなたらしい名前ね。笑顔が似合いそう」
「そう? ありがとう! 僕もリコの笑顔は素敵だと思うよ。僕は君の笑顔が見たい、一緒に探しにいこう!」
「なんだかプロポーズみたい……」
「ん……ぅえぇ!?」
確かに、ちょっと突っ走ってしまっていたのかもしれない。男子校を渡り歩いてきた僕は、女の子の前では、いつも大振り空振りばかり。いつの日か放てるだろうホームランを夢見ていきたいものだ。
リコの前で再び顔の火照りを感じつつ、僕だけ照れながら笑っていた。