第28話 ガラガラポン

「……大丈夫?」

 リコは、自分の中で、何度も向き合ってきたのだろう。
 苦しそうにしつつもいつものようにリコは無表情になろうと、押し込めようとしているように見える。リコのこの表情は、アレキシサイミアとかではなく何かそんなタグ付けされるようなものでもないのかもしれない。ただ、押し込んでいるだけ、見せてくれないだけ……僕はそんな感じを抱く。

「私が笑えないと思う思い出……私もここに縛り付けられてるんだと思うの。お父さんの最後の望みさえ私は叶えてあげられなかった……」
「……恩をすべて恩で返そうとしたら、キリがないよ。恩返しを求めて、お父さんはそんなにリコのために頑張っていたわけじゃないと思うし、最期に笑顔を求めたわけでもないと思う。恩を全て返そうなんて、そんなものは恩を受けた側のエゴであり虚構なんだから」

 リコは僕の方を向く。僕は僕の虚構とではなく、リコと向き合う。その瞳に、マスクの奥の唇に……吸い込まれそうだ。その理由も今なら分かる。ぼんやりと少しずつリコが見えてくるように思える。

「お父さんの最期の望みを叶えなくて良かったとしても、あの時に笑えなかった事実は変わらない。美味しいご飯を食べた時、くだらなくふざけあった時、好きな人の隣にいる時、そんな……笑顔が生成されそうな時、あの時の私が許そうとしてくれない、私は悪い子なの、心臓が潰れるように苦しくなる。お父さんの最期と時と同じように……」
「過去のリコが笑えなかった悪い自分を許さないとして、そしたら、どうするの? 一生、自分の殻の中で後悔し続けるの? 過去の自分が許してくれないとして、それは法律などに関わるものでもない。やはりそれは虚構なんだよ、自分で作った手枷で自分を奴隷のようにしてるだけだ」
「お父さんは……私に笑って欲しいと、それを見たいと、きっとそう思ってくれていたの。あの時笑えていたら、きっと違う未来があったかもしれないのに……」
「故人の気持ちなんてわかりようがない、それこそ残された者のエゴだ。たとえそれがリコの導いてきた虚構だとしても、それはもう過去のこと、それを気にしてるのは誰? 結婚式のできなかった夫婦は不幸せなのか? 最愛の子の記憶を失った母親は不幸せなのか? 見当識障害で家族の死がわからなくなったお婆ちゃんは不幸せなのか? そんなものは自分の小さな物差しで測れるものじゃない。分からなくていいんだ」

 リコは、自分と向き合っているつもりで、いろんなものから影響された、積み上げてきた『悪い自分』と向き合い続けていたのかもしれない。
 僕だって、自分と向き合おうとして自分と向き合えていなかった。
 悪い子とは、それはリコの思いたい『自分』なのか、作り出された『自分』なのか。
 リコはどうしたいんだろう。

「お父さんは、リコを抱きしめてくれた。リコのためにお金を貯めたいと、仕事を頑張らないとと、時間を作らないと……と。どこにもリコが悪いところなんてない。それは、お父さんがリコのためを想っているからこそじゃないの?」
「そんな風には私は思えない。私がいい子だったら、お母さんもいなくならなかっただろうし、お父さんもそんなに頑張りすぎて倒れる必要なんてなかったはずなの。私が悪くなければ……」

 リコは、起こってしまった事実、お母さん、お父さんがいなくなったこと、そこを起点に『悪い自分』を形作っているようにみえる。
 相手の優しさも、思いやりも、リコに向けられた様々な愛情は、お母さんとお父さんがいなくなってしまった事実、結果によって、『悪い自分』に還元されていっているのかもしれない。
 リコは、マンタの笑顔を引き出してくれた。お婆ちゃんの彷徨いを変えてくれた。リコの中には、他にもいっぱい素晴らしいことが詰まってるはずだ。
 いろんな自分がいる。『悪い自分』だって誰しもいるだろう。だからといって、いつまでも『悪い自分』だけが主役でいいわけがない。

「もうリコは僕に過去を話してくれた時点で、お父さんの優しさに、自分に向けられた優しさにも気付いてるじゃないか。リコの言う『悪い自分』だけがリコじゃない。『悪いリコ』が見えているのはリコだけだ。僕にも、この1週間会った人たちにも、『悪いリコ』と向き合っていた人なんていなかったはずだよ」
「そんなに簡単に割り切れないよ……私にはそれが全てだったし、苦しんできたこと、悩み続けたこともあったかもしれないけど、ソレによって私は支えられていたの」

 支えられていた……そうなのか、支えられていたかなんて僕には分からないけど、それが自分を否定する理由にはならない。
 リコは「笑っていいなら笑ってみたい」と僕に言った。
 それは、『悪い自分』だけに頼るだけじゃダメだとも思ったからじゃないのか。

「リコは、鈴の髪飾りをつけてるじゃないか。それも僕のミサンガのように、自分を縛り付けたいがためにつけてるの?」
「これは……お父さんが買っててくれたものだから……これをつけていれば、見つけてもらえそうな気がしたから」
「僕のヒモと一緒で、リコの鈴だって、見つけてもらうためだけにただ鳴いているんじゃない。リコの魅力を気付かせてくれてるんだ。リコが僕にそうやって教えてくれたんじゃないか」

 そんなものはただの言葉遊びなのかもしれない。
 言葉は造られたものだ、僕らは自由に遊び尽くして、都合のいいように解釈していくべきなんだ。
 リコの瞳は潤んできている。また、変なところに隠れようとしていたのかもしれない。やっと見つけられた気がする。リコがはっきりと見えてくる。なんてことはない、ただの女の子だ。

「みんなを見てきて思ったの、分からない中でみんな笑顔を見つけてる……不幸せを幸せと思ってる。私はそんなポジティブにはなれない、ネガティブにしか考えられない……」
「人は、ネガティブなことに、より集中する傾向があると思う。車の運転中、人が急に飛び出すかもしれないと思っていたら事故は起こりにくい。多分大丈夫だろうと思ってたら事故に遭いやすくなる。ネガティブな方が、生きる上では大切なんだ、それは悪いことなんかではないよ」

 リコの目からでた涙が頬を伝っていく。
 リコは、僕とは違い向き合い続けてきた過去……でも、それを打ち明けるのは初めてだったのかもしれない。
 それは知らない人からすれば「お父さんはそんなふうに思ってないはず」と小さく片付けたくなるものでも、本人からしたら言葉以上に膨れ上がったナニカになっているんだ。向き合わなかったつもりの僕でさえ、ソレは混交していた。

「ネガティブがいいなんて、それこそポジティブ……」
「ネガってるとか、ポジってるとか、そんなの決めなくてもいいんじゃ……辛いなら、楽しいと思えるまで書き換えていけばいい。リコの中には色んな可能性があるんだから」
「……書き換える?」
「お父さんの最期の時リコは笑えなかった、この事実は確かに変わらないんだと思う……そのことによって笑うことを苦しみに変えてしまう過去の虚構《じぶん》がいるのなら、過去の虚構《じぶん》の経験を踏まえて大切な人の前で笑えていない人達を笑顔にするために、過去の虚構《自分》があったから引き出せる笑顔がたくさんあるんだと、リコの中の物語を書き換えていけばいい」
「私がいろんな笑顔を引き出していく……ってこと?」
「うん、もう君はいろんな人の笑顔を引き出している、君が始めた物語だ、気に食わなかったらまた書き換えればいい、君はもっと多様で自由なんだ」
「お父さんの最期の笑顔も……」

 リコは声を吐き出すように泣き出しはじめた。
 堰を切ったように、ナニカを吐き出すように、入れ替えるように。何がリコから飛び出していったのかなんて僕にはわからない。パンドラの箱のようなものだったのかもしれない。残ったものはきっと希望とか、そういうものなんだろう。

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