第120話 セミ
今日は、いつもよりは少し涼しかったこともあり、子供たちと少し散歩をしていた。
ひーくんの夏休みの宿題で、見つけた虫の絵を書かないといけないらしく、その目的も兼ねて散歩をしにいったわけだ。
結局帰ってよく聞いてみると、虫じゃなくて生き物だったらしく、ひーくんの中で、植物は生き物に該当せず、街中で見かけることのできる生き物は虫、と言うことだったらしい。
ただ、ひーくんは、極度の虫嫌いだ。なぜだかはよくわからないのだけど、ダンゴムシも、てんとう虫でさえも、「こわいよー、気持ち悪いよー」と言いながら半べそかいて逃げていってしまう。
両親とも、虫が大好きと言うわけではないが、そんなに毛嫌いもないので、なんでそうなったのかは不思議だ。
僕が子供の頃は、トンボやセミを大量に捕まえたりして、生き物を触る力加減を覚えたものだ。
殿様バッタとかを溢れ出るほど捕まえて、カマキリと一緒に虫かごに入れてたら、次の日カマキリだけになってたのを見て、食物連鎖を知ったものだ。
カタツムリをたくさん捕まえてた時に、土をほじってたら、殻なしカタツムリを見つけて、世紀の大発見だ、とその生き物を掴んで家に戻りお母さんに見せに行ったら、いつも優しいお母さんが見たこともないような形相で捨ててきなさいと言われた時には、子供ながらにトラウマになったものだ。
虫にとっては、傍迷惑な話かもしれないが、僕の成長への虫の影響は無視できないものがあるだろう。親父ギャグと言われたとしても。
次男のかーくんは、少し物おじするけど、最終的には掴んで、宝物のように持ち歩く。
今日は、折衷案として、蝉の抜け殻を探しにいった。僕が子供の時は、毎年夏には、100個以上持ち帰っていたものだ。
今日も久しぶりに対面したセミの抜け殻は、その素晴らしさは色褪せていなかった。見つけたセミの抜け殻を、缶バッジのように服に付けていき、これがなかなか、引っ掛かりが強いんだよなぁ、とかーくんに教えてあげていた。
ひーくんは、ちょっと遠目から、見ている。
「いやいや、エイリアンみたいだけど、もう中身いないし、ただの殻だよ? 枝豆の殻みたいなもんだろ?」
「キモイーキモイー」
かーくんは、セミの抜け殻を高々と掲げながら、ひーくんを追い回し、ひーくんは最終的に泣いていた。
結局、帰ってから見つけたと言うことで、Google検索したセミを見ながら宿題をやっていたが、デジタルと実物、何が違うんだろうか?
セミの羽化を見つけた時の感動や、セミに小便かけられた時の敗北感、死骸だと思ったら最後の足掻きに遭遇した恐怖感、虫との対話はリアルであってほしいなと思うのは昔の価値観なんだろうか。
それにしても、僕の時代は、ミンミンゼミやツクツクボウシとか色々いたけど、今はアブラゼミしか見かけないのも少し物悲しい。