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2023.3 Iさん

   同僚のIさんはもの静かな人である。あいさつの声は小さく、表情の変化も少ない。人と話していて笑い声を立てたり、大きなしぐさでなにかを訴えたりすることもない。職場の仲間には陰気に感じている人もいるだろう。
 同僚と仕事の打ち合わせをしている姿は見かけるが、仕事の合間に雑談しているところは見かけない。

 休み時間は一人でいるようだ。昼休みの終わりに駐車場の方から戻ってくる。車の中で休んでいるのだろうか。
 一人でいて悪いわけじゃない。一人が好きな人もいるだろう。スマホがあればユーチューブを見たり、音楽を聴いたり、ゲームをしたりできる。暇つぶしには事欠かない。人に気を遣わずに自由に過ごせる気楽さはなにものにも代えがたい。
 自分も一人でいて苦にならない方だ。本を読んだり物事を考えたりする。お酒を飲むにしたって二、三人ぐらいがちょうどいい。人数が多くなると、会議でも酒席でも発言が面倒になり、自分はこの場に居なくてもいいかなと思ってしまう。

 Iさんは黙々と仕事をする。見たところ何をやってもそつなくこなすようだ。担当している仕事について問いかけると、イエスかノーか、自分はこうだからこうしたという明快な答えが返ってくる。
 つい最近、机の上に手作りのカードがあることに気づいた。離籍するときにピクトグラムで行き先を表示している。見ただけでIさんがどこにいるかがすぐわかる。ピクトグラムには躍動感があってセンスを感じさせる一方で、几帳面で真面目な性格が伝わってくる。喫煙所に行ったきり何十分も戻ってこない上司にIさんの爪の垢を煎じて飲ませたいほどだ。

埼玉県_市ノ川沿い


 去年に少しだけ話をする機会があり、キンモクセイのほんのりとした甘い香りが好きで、シーズンになると休みの日に公園まで散歩に行って木の下で長い時間を過すのだと聞いた。先日は下駄箱近くで夜桜見物に行ったと話している声が聞こえた。自然を楽しむ心の豊かさは、その人間性を構成する重要な部分と言えそうだ。

 いつも一人きりの背中を見ていると、話し相手はいるのだろうかと、余計な心配をしてしまう。心を開ける人はいるのだろうか。寂しくはないのか。もし話し相手を求めているのなら、喜んでその役目を務めたいと思っている。
 ああ、今日も一人でいる。
 気になる。気になって仕方ない。


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