2022.8 新潟、そして山形でも
今年のお盆休み、早朝4時過ぎに家を出て関越道を北に向った。すぐに日が昇り、青空が広がった。年に数回の旅に出るが、雨の記憶はほとんどない。今回も晴れ男の本領発揮である。
渋滞を避けるために出発を早めたので、関越道から上信越道に入っても流れは順調で軽快に走り続けた。
更埴ジャンクションを過ぎたところで燃料計を見ると、四分の一が減っている。早めの給油をするためにサービスエリアに入った。
近づいてきたGSの店員に「満タンで」と告げると、若い店員は気づいてないようですけどという顔で、「あのう、左の後輪がパンクしてますよ」と教えてくれた。「えっ」と声を発して慌てて見に行くと、タイヤは無情にも潰れてしまっている。鈍感というしかないが全く気づかずに高速走行をしていた。
「こんな状態で走ってよく事故にならなかったな」と思うと、肝が冷えるようだった。
「なおせるかな」
なんだかすがるような口調になる。
まず車を脇に移動。店員の指示を受け、ゆっくり車を前進させる。店員は自販機の下に入った小銭を探すような格好で、車体の下をのぞき込む。
「ありました」
サイドブレーキを踏んで見に行くと、タイヤの溝に小さな銀色の異物が見える。小石も近くに挟まっていて、見分けるのはなかなか至難の技だ。
店員がペンチで異物を抜くと、長さは⒛ミリ、直径は1ミリほどのわずかに曲がった錆びた釘だった。頭はなくなっていたので、よくぞ見つけたものだなと感心する。
修理は外面から詰め物をして、空気を注入すると走れる状態になった。これでとりあえずは旅を続けられるとほっとする。
上越高田で降り、春日山城跡を見学する。気持ちがモヤモヤして、どこか上の空だ。果たしてこのまま不安なく走り続けられるのか。旅は始まったばかりで、この先には奥羽の山越えもある。山間部で再発したら最悪だ。
スマホでパンク修理を調べる。「きちんと修理すれば走り続けられる」とある。きちんととはなにか。修理には外面修理とホイールを外して裏張りという内面の修理があり、きちんとは内面のことをいうらしい。ただし、内面修理なら街乗りは問題ないが高速は、と文章は続く。これで踏ん切りがついた。
次に「タイヤ交換」で検索すると、すぐ近くにタイヤの量販店が見つかった。
店の駐車場に車を入れると店員が近づいてきた。事情を話したあと、つい「交換した方がいいかな」と未練が口から出てしまう。プロの意見を聞きたいと思ったのだが、ここはタイヤを売る店である。ねぎを背負ってきた客を追い返すわけがない。愚問だった。
釘一本の代償は修理と交換で一万八千円。旅先での出費としては安くない。ただ事故がなかったのはなによりだ。越後を訪ねてきた客人に上杉謙信の加護があったと信じたい。
このあと高田から新発田まで新潟を一気に北上した。道の両側に広がる一面の田んぼはまさに米どころにふさわしい景観だった。
しゃちほこを頭上に三つのせた新発田城に立ち寄ったあと、山形に向かった。
山形では8月の初めから線状降水帯による激しい雨が続き、山間部を通る国道113号には被害の跡が生々しく残っていた。
道路は流れ込んだ土砂が乾いて土ぼこりがたち、道の外側には倒木が幾重にも積み重なり、山の中に入ると道路の崩落で数箇所が片側交互通行になって大渋滞した。被害が拡大していれば、道路は寸断されていたかもしれない。
翌朝は山形城に立ち寄ったあと仙台に向かう。仙台城では、3月の地震で石垣の一部が崩れて通行止めの箇所があった。伊達政宗の騎馬像も馬の脚に亀裂が入り修復中で、見ることができなかった。
今回は予定していた城をすべて巡ったもののパンクや自然災害、地震の影響など予定通りとはならなかった。沢木耕太郎の著作には「旅で予期しないことが起きたとき、面白がる気持ちが必要だ」とあるが、そんな心境にはあと何回の旅をすればなれるのだろう。
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