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2024.1 七尾城の思い出

 北陸3県の城巡りをしたのは5年前の夏になる。猛暑の2日間だったのを覚えている。新潟から富山に入り高岡城に立ち寄り、そのあと氷見市に入って能登半島を北上した。
 海沿いの国道は左側に漁村のような家並みが続き、右側はきらきらと陽射しを反射させた富山湾が広がっていた。海面の澄んだ青色が美しかった。ここに生まれ育ったなら、都会になど出ずに漁で生計を立て、海を眺めて老いていくのも悪くないなあと思った。退屈さなど感じないだろう。
 
 氷見を走り抜け車を止めたのは七尾城のふもとだった。その昔「能登の国府は七尾にあり」と言われ、その中心に七尾城があった。「七尾」の由来は、尾根上から7つの尾根に枝分かれしていることから名づけられた。
 七尾城は石動山系の北端にある山城で、標高300㍍の山頂にある本丸には五段に重なる野面積みの低い石垣が遺っている。1576(天正四年)年、上杉謙信に攻められ一年を耐えたが、内紛によって翌年9月に落城する。
 落城後、謙信は本丸に上り、湧き上がる感情を書状に残した。「聞きしに及び候」で始まり、加賀、越中、能登を「絵像に写し難き景勝までに候」と絶賛している。落城の直前に詠んだ「九月十三夜陣中作」も有名だ。
 七尾城のあとは一乗谷城、丸岡城、金沢城と旅を続けた。
 
 移動中の旅のお供はカーラジオからの高校野球だった。偶然にも初日に高岡商業高校(富山県)が出場して1点差で逃げ切り、翌日は星稜高校(石川県)のエース奥川恭伸(現ヤクルト)が力投し、敦賀気比高校(福井県)は大勝した。北陸勢が見事に3連勝した。これも旅の思い出になった。
 
 今年の元日に大きな地震があった能登半島。揺れはいまだ続いている。死者の数が連日増え、倒壊した家屋や朝市の焼け跡、津波被害など悲惨なニュース映像や写真に胸が痛む。
 穏やかな富山湾の青さ、七尾城からの眺めを機会があれば人に語り、石川県の復興の助けになればと強く思っている。

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