2022.11 涙のわけ
今から5年前、勤務先では、ある大手メーカーとの取引が始まろうとしていた。その営業担当に自ら手を挙げた。サラリーマン人生は残り少なくなり、その締めくくりにしようと意気込んだ。
取引契約書の取り交わし、企業調査書の作成、並行して次々を舞い込む見積依頼、仕様の打ち合わせ、試作。毎週2時間を掛けて相手先に通い、購買課、研究所、組立工場を一日がかりで回った。
自分と若手の製造技術者。この二人が両輪となって残業、休日出勤とフル回転した。
ところが立ち上げからうまくいかない。
書類の不備があり、コストダウンや増産要求があり、試作品を納品すれば不具合で返品の山。企業文化の違いなのか、クレームばかりでいままでのやり方が通用しない。
社内での周囲の目は冷ややかで、手を差し伸べてはくれない。多額の設備投資をしたことで経営陣からは早々に成果を出せと求められる。
若手の技術者は、すべて丸投げで知らぬふりする上司に不信感を募らせ、ついには同業他社に転職。私は担当を外されて居場所がなくなり、自分も退職へと気持ちが傾いた。
そんなある日、近所のドラッグストアで処方せんを出して薬の受け取りを待っていたとき、結婚して2年になる長女からLINEが来た。
「妊娠しました」
自分にとっては初孫になる。ふるえる指先で通話の発信ボタンを押した。
「もしもし父さん」と娘の声を聞いただけで、不覚にも涙が溢れだして声にならない。待合室で号泣した。
この涙はうれし涙ではなかった。職場での悩みや苦しみを心の中に閉じ込めてぐっとこらえていた。それが娘からの吉報で押さえていた心の扉が緩んで開いてしまったのだ。
先日、初孫の七五三を祝った。
会社にはまだ踏みとどまっている。あのときに涙を出せずにいたら、心か体のどちらかが壊れていたのではと思うときがある。
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