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2023.10 加藤教室に学ぶ

 毎年夏になると戦争に関する情報に触れる機会が多くなる。ふらりと入った書店では、新潮文庫の100冊が店頭に平積みされていて『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』が目に留まった。著者は加藤陽子さん。歴史学者で東大の教授である。
 その名前は3年前に覚えた。日本学術会議の新会員候補に推薦されながら、他5名の候補とともに当時の菅義偉首相が任命を拒否したからだ。その理由について首相は「総合的かつ俯瞰(ふかん)的に判断した結果」と答えている。この答えに任命拒否された6名は恐らく納得していないだろう。
 
 前置きが長くなったが、この本は2007年の暮れから翌年の初めにかけて、神奈川県の私立栄光学園で加藤さんが5日間にわたって行った講義録である。受講生は同校の中高生17名になる。序章から5章までで構成され、1章から日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、太平洋戦争と明治から昭和の時代に日本が外国と交戦した事例が順番に取り上げられている。
 
 中高生を相手にした講義ながら内容は濃密だ。私はしばしば頭の中がパニックを起こした。
 序章で「戦争で勝利した国は、敗北した国に対して、どのような要求を出すと思われますか」と生徒たちに加藤さんが問いかける。フランスの思想家ルソーが考えた答えはこうだ。
「戦争は国家と国家の関係において、(中略)敵対する国家の憲法に対して攻撃する」
 つまり戦争の最終的な目的は、相手国の土地を奪ったり、相手国の兵隊を自らの軍隊に編入したりするだけでなく、相手が最も大切だと思っている社会の基本秩序(広い意味で憲法)に変容を迫るというものだという。
 これは表面的な敗北感だけでなく、心のうちにまで手を入れられるような大きなダメージになるだろう。日本でも改憲論争が絶えない。
 
 最終章の太平洋戦争では、生徒たちからの質問を受け付ける。
「どうして日本は(米英との)戦争に踏み切ったんですか」
 この問いには「勝ち目のない戦いに」という前述がある。本の主題にも通じている。
 開戦を憂慮した一人に昭和天皇がいた。陸軍は戦争の目的を「自存自衛のため」としたが、天皇の説得材料に大坂冬の陣を持ち出したとこの本で初めて知った。昭和16年9月6日の御前会議において、永野修身軍令部総長は「大坂冬の陣のごとき、平和を得て翌年の夏には手も足も出ぬような」と発言した。
 一六一四年の暮れ、交戦中の豊臣と徳川は和議を結んだ。その際に徳川は和議の条項にあると偽り、大坂城の石垣を壊してすべての堀を埋めた。堅牢を誇った大坂城は本丸だけの裸城にされてしまい、豊臣は敗北する。
 永野総長は開戦せずにぐずぐずしていると、石油の備蓄が底をついて豊臣の二の舞になると不安を煽った。ナントカ詐欺のようだ。日中戦争は終わらず、英米との対立、米国の石油禁輸と追い詰められていき、軍の面子から引くに引けずに日本は開戦一択となっていく。
 
 一箇所だけ引っかかったのは、「なぜ日本は(補給のための)商船団を海軍が護衛せずアメリカの潜水艦攻撃にやられるままだったのか」と世にある批判に対して、加藤さんは「戦後の後知恵」と一蹴したのか。民間の輸送船乗組員の海没死は6万人を数えたというのに。詳しくは「暁の宇品」(堀川惠子著)で学んだ。
 


 全編を通じて中高生のレベルの高さに感心した。私は何度も読み返し単語を検索した。投げ出さなかったのは加藤さんの探求心に刺激を受けたからだ。「私たち歴史家は、クリスマスであれお盆であれ、国立公文書館などで歴史資料のマイクロフィルムを見ているという因果な商売です」とは自負の現れだ。
 最後に胸に刻んだ一文を記してこれからの学びの指針としたい。「歴史を見る際に、右や左に偏った一方的な見方をしてはだめだ」。

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