
0519 自分のその半分
夜中頭が痛くてバファリンもきかず、遅めに仕事を始める連絡だけして正午くらいに起きる。そつない仕事を終わらせて、今日も同じ風景の部屋で飯を食う。いい加減この光景に言及するのはやめます。はい。
寝る前、ネトフリで「ハーフオブイット:面白いのはこれから」を観た。プラトンの「かつて人は4つの腕と足をもち、2つの顔を持った生き物だった。それだと完全すぎる存在だから、神はそれを2つに分かち、今の人が出来た。現世でひと目に恋に落ちるのは、過去の自分の片割れを発見したからだ」っていう話からはじまる話。もうおもろいやん。
主人公の女の子は珍しくチャイニーズで、舞台は郊外の田舎町。ラブレターの代筆業を密かに行う主人公エリー・チュー。パットしない感じの男の子ポールからいつものように代筆業をお願いされるところから物語ははじまる。
郊外・高校生・恋愛がテーマ、って考えるとネットフリックスは無数に同じような作品を作ってるんやけど、この映画は新機軸だった。愛とはなにか、をさまざまな小説・詩から引用して「愛とは、手を伸ばして失敗することである」「愛とは、いい絵を台無しにすること。さらにすごい絵を描くために」とか、色々なことを言ってみるんやけど、本人としてまっすぐに恋愛する気にはなれないエリー。もちろんそれにも理由があるんやけど、ラブコメと見せかけておいて、この作品はもっと広義の愛の話で物語が終わる。
作品の中で冒頭の「片割れを見つけることこそが愛」を否定しまう、というか、それを覆してしまってるようにも感じた。好きになった人が自分に似たような性質を持つ人であれ、全然違う考え方を持つ人であれ、その一体感を信じたくなるのは、この片割れを見つけた、みたいな感覚に出会うからなのかもしれんと思った。それが錯覚やとしても、自分がつくった幻想やとしても、なにか型にはまる、というか因果を感じてしまうのは、意外とそういうことなんかもしれんなあ。
あと途中からラブレターの代筆がメッセージの代筆に変わるんやけど、そのメッセージのいじらしさが超いい。丁寧に返事しさえすれば、お互いに興味ありさえすれば手紙であれメッセージであれ、わりと血の通ったやりとりになるもんやなーって実感した。秒でスタンプ返す!みたいな行いを悔いる。
ここで書いた以上に、他人との関係、社会のルール、理性と情熱、色々なことに触れられてた作品やった。作品の冒頭で出てくるカズオ・イシグロの「日の名残り」がめっちゃ鍵になってる気がするから、読んでからもっかい見直したいと思って速攻注文した。今日はしずかに眠れそう。