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【シニア生活】がんばれ日産! NISSAN GALLERY でレースカーを見てきた

「NISSAN GALLERY 」は日産グローバル本社のギャラリーで、国内販売車の展示、創業から現在までの日産の歩み、日産グッズの販売、各種イベントなどを行なっています。

こんにちは、Bosch(ボッシュ)です。
私は、東証プライム市場上場のIT企業を退職し、現在は再雇用で就業継続中の一般男性です。

先日、最近なにかと元気のない日産グローバル本社ギャラリーである「NISSAN GALLERY」のヘリテージゾーンに展示されていたNISSANのレースカーを撮影してきたので、共有します。

ちなみに元シルビアとフリードのオーナーなので、日産とホンダの合併は賛成です。

ご近所さんなので、ぜひ頑張って欲しいです。



ニッサンR92CPNo.1カルソニック(1992年:R91CP)

1991年(平成3年)の全日本スポーツプロトカー耐久レース(JSPC)で、星野一義/鈴木利男選手組は全7戦中3勝(2位:1回、3位:1回)という安定した強さを発揮し、シリーズチャンピオンを獲得しました。翌1992年(平成4年)シリーズでも星野/鈴木組は全6戦中3勝(2位:2回)をあげ、日産に1990・91・92年の3年連続ダブルタイトル(メーカーチャンピオンとドライバーズチャンピオン)の栄誉をもたらします。このクルマは、星野一義/鈴木利男組のドライブにより1991年・92年と連続チャンピオンとなったマシンで、型式はR91CPのまま、レースエントリー名をR92CPとしていました。その心臓となるVRH35Z型エンジンはV型8気筒DOHCツインターボで、最高出力は800馬力以上を誇りました。車量が1tにも満たないため、馬力荷重(パワーウェイトレシオ)は約1kg/psというモンスターマシンです。

日産グローバル本社ギャラリー HP
懐かしい「カルソニック」
モンスターマシンだったらしい
ドライバーの名前が書いてある
美しいです


スカイラインGT-R グループA カルソニック(1990年:BNR32)

1989年(平成元年)8月、8代目スカイラインR32型で劇的な復活を遂げたGT-Rは、翌1990年(平成2年)3月の全日本選手権開幕戦でレースデビューを果たしました。その後、グループAによる全日本選手権が終了する1993年(平成5年)までの4年間、4シーズン全29戦をすべて優勝するという前人未踏の記録を残しました。2568cc直列6気筒DOHCターボエンジンは、550馬力という大出力を発生するまで鍛え上げられていました。このクルマは、カーナンバー「12」を付けて1990年のチャンピオンに輝いたカルソニック・スカイラインチーム(星野一義/鈴木利男組)のレース車仕様です。カルソニックチームは、1993年にも星野一義/影山正彦のコンビで再びシリーズタイトルを獲得しました。

日産グローバル本社ギャラリー HP
こちらも、星野・鈴木チーム


カルソニックスカイラインGT-R(2002年:BNR34)

R34型スカイラインGT-Rがレースデビューを飾ったのは1999(平成11)年3月、全日本GT選手権(JGTC)第1戦・鈴鹿サーキットでした。本山 哲/エリック・コマス組の「ペンズオイル・ニスモGT-R」は、第4戦・美祢での優勝のほか、コンスタントに表彰台に上る安定した戦いぶりで「ペンズオイル・ニスモGT-R」をシリーズチャンピオンに導きました。 鮮やかなカルソニックブルーが目を惹く、この「カルソニックスカイラインGT-R」は、2002(平成14)年のJGTCに参戦したマシンで、シーズン初めは星野一義/田中哲也組がドライブ。第5戦・富士での星野選手の引退に伴って、ブノワ・トレルイエがその後を引き継ぎました。 低重心化と空力特性の向上を図るため、第5戦以降、RB26DETT型エンジンからVQ30DETT型に換装されました。

日産グローバル本社ギャラリー HP
これぞスカイライン


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以上、Boschでした。

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