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"本当の好き"なんてその人の尺度次第だよ

私は映像作品や本、音楽、写真、絵などが好きだ。

だが、自分では本当に好きとは言いきれないのではと思ったことがある。正しくは"それらを本当に好きな人"に失礼なのではないかと。

もちろん、作品をいい加減にみている訳ではない。
私なりに捉えているつもりだ。でもたぶん、浅いと。

映画、小説、漫画では特に、登場人物の言動の本質を捉えることができない。よくある、「この台詞を言った時にこんな心境だったんだと思う」だとか「この時に〇〇が取った行動は、このシーンがあったから」みたいな。

明らかに分かりやすいものは理解できるがそれ以上はさっぱり。

恐らく私は単純でストレートなものが好きなのだ。言い方が悪いが、裏のない真っ直ぐな主張。

以前、私とは感性が真逆で何事も深く考える友人とその話をした。すると彼は「それを分かってる方ががいいんじゃない」と言った。

どういう事かと聞くと、「好みとか自分に刺さる要因が曖昧でなんとなく好き、よりも自分はこうだからこれが好き。のほうがよくね?だし、自分を分かってるのが一番いい」だそう。

よく考える割に単純だなと思った。

でもその通りなのかな。作品についてよく考えて考えて、本質を掴んで好きになることに憧れていたのかもしれない。だからそれが苦しくなってこんなことを考え出したのかもしれない。

その友人は高校の時からダサい・ダサくないを意識してた人だから、その彼からしたら先程の私の考えはダサいんだろうな。


この曲のリズムが好き。
この絵の色使いが好き。
この映画のルックが好き。
このキャラの見た目が好き。


例えそれがミーハーだと言われても、それも立派な「好き」だと心の中で言い張ろう。

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