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人気占い師から、ただのフリーターになった男の話

【自分は何者でもなかった】

これから話すことは、すべて実話である。

タイトルで「占い師からフリーターになった」と書いたが、

厳密にいうと占い師と名乗っておきながら、

全く売上げが上がっていなかったことを

今回はじめてさらけ出す。



僕は現在東京に住んでいる。

2年前までほぼ兵庫か大阪に住んでいた。

関西時代、本当に紆余曲折あった。


【劣等感を糧にした関西時代】

兵庫県の西の方の田舎で、3人兄妹の真ん中の長男として生まれた。

子供の頃、父の厳しい教育や、クラスでのいじめにより対人恐怖症になる。

・友達からの連れションすら断れないくらいNOが言えない

・人前に立った瞬間緊張で泣き出してしまう

ような子供だった。

高校時代。自分を変えたくて校内一厳しい先生がいたハンドボール部に所属したが、

同期で唯一補欠で居場所がなかった。


大学でこそ自分を変えようと思ったが、1年間一人も友達ができなかった。

社会に出てから今度こそ変わろう!いじめてきた周りを見返したい!

と思い、大学中退して独立した。


一瞬は結果が出たが、長く続かず。数百万円の借金にまみれた。

一緒に仕事をしていた人の周りや、地元から「そうたと関わらない方がいい」と噂され、

大学時代と同じく、また一人になった。



実家で借金を地道に返すためにバイトなどしてダブルワークをしていた頃、

趣味で続けていた占いの依頼が徐々に増えていった。

口コミ依頼も増えてきて、2年で借金完済。

出版社から執筆の依頼をいただいた。

出版費用としてクラウドファンディングで40万円以上の支援金が集まり、

出版記念パーティでは120名もの方々に祝いに来ていただいた。

失った信用を取り戻した瞬間だった。

セミナーも毎月満席になり、法人からセミナー依頼をもらえるようになった。

大阪の梅田駅周辺を歩けば、誰かしらの知り合いと遭遇するくらいの顔の広さになっていた。

一部からは成功した人、人気占い師と言ってもらえることもあった。



ここまで読んでくれた人は、

挫折や苦難を乗り越えた逆転劇だと捉えてくれた人もいるだろう。

しかし、実際は全然成功と呼ぶには程遠かった。


確かに借金を返したし、信用も取り戻した。調子が良い月もあった。

ただ毎月ギリギリ生活できるお金しか残らなかった。


稼いだとしてもお金と時間を費やしまくっていたので、

長期的にみてプラスにならなかったのである。


【東京に、何しに来た】

現状を変えようと、大阪から東京に引越した。

好きな関西から出る最後に何かしたいと思い、関西お別れパーティを催した。

130名の方々が応援に駆けつけてくれた。

たくさんの人達に見送られながら東京に移り住んだわけだが、

東京で具体的にどんなチャレンジをしていたのか。


何もしていない。

生活費を稼ぐためのコールセンターのバイトがほとんどだ。

東京に来た最初の頃は、何かしようと色んな人づてで人と会っていたが、

ほとんど身にならなかった。

占いの依頼件数も0の月の方が多くなっていった。


そう、ただバイトをやって生活費を稼ぐだけのフリーターだった。

大阪にいた時は人気占い師として立てられていた。

たくさんの人に見送られ、東京に来た結果、

何も挑戦せず、今はただのフリーターをしている。

周りには口が裂けてもいえなかった。



東京に来た時には、30歳になっていた。

自分の周りの近しい同年代の友人達は、年収1000万.2000万と稼いだり、

本を出版したり、活躍の場を広げていた。

自分より後に起業した人にどんどん抜かれていった。

SNSなどで知るたびに、嫉妬や劣等感でいっぱいになった。


別に成功したかったわけでもないし、お金が欲しかったわけでもない。

ただ人の役に立ちたかっただけなのに。


悔しくて自分なりにイベントやyoutubeなどを始めてみたが、全くうまくいかない。

すべて空回りだった。うまくいかない理由はわかっていた。

結果を出すたびに新しいことを始めたのではなく、

何者でもない自分であることを知られたくなくて、

頑張っている感を出していたのだ。

ただ逃げていた。情けなさ過ぎる。心底自分を咎めた。

そんな自分を本気で変えようと、2つの決意をした。


【2つの決意】

①つ目は、自分の弱さを徹底的にさらけ出すことだ。

自分がうまく行ってないのは、大したことない何者でもない自分なのに、

1人でなんとかしようとしていたからだ。

大阪時代、周りに助けられながらやってきたことを完全に忘れていた。

自分は一人じゃ生きられない。

今一度助けをもらうために、自分をさらけ出すと決めた。

さらけ出すことで、意地でも這い上がらないといけなくなる効果も出ると思っている。

当noteを始めた理由は、まさに素っ裸の自分を知ってもらうためである。


②つ目は、阪井裕樹さん監修のノート3冊分の自分史を通じて、自分のミッション(役割)

を明確にする。

阪井さんとは、大阪時代にお世話になった佐伯あこさんからの紹介で知り合った。

元々自分史は気になっていたが、今のタイミングがベストだと思い、

久しぶりに阪井さんにメッセージを送った。

現在「ノート3冊分の自分史」は募集1時間で満席になるほどの人気コンテンツ。

今年は募集を停止する予定だったそうだが、自分の思いを聞き、

快く受け入れてくれた。



自分の課題は、何かは始められるが、すぐに続かなくなることだった。

逆にブレない自分を作れれば、ミッション(役割)に則った行動に全集中できると思ったのである。


今まで言い訳が多い人生だった。

人生を変えるには、自分が変わるしかない。

自分から逃げない自分になるための、自分の使命を見つける旅だ。


「今さら自分探しとかサムいよ」と思った人は全然思ってくれていい。

「見守ってやる」とか「応援する」とか「共感する」と思った人だけ、

今後もお付き合い願いたい。

自分の使命が見つかった時には、徹底的に恩を返していくから。

さあ、一歩ずつ前に進もう。


長文最後までお付き合いありがとうございます。

今後ともよろしくお願いします。

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