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ネット議論における『定義』の話

 べつにネット議論に限る必要はなく、より広く「日常議論」と呼んでも差し支えない。とにかくこうした議論の場では、しばしば「定義」にまつわる問題が生じる。個々の妥当性はさておき、「その言葉の定義は何だ?」はよく問われるし、さらに踏み込んで「そういうふうにその言葉を定義するのはおかしい」といった批判も為される。また、ある主張をするにあたり「言葉の定義」が積極的に根拠として使用される場合もある。
 であれば、「定義」に関する諸問題について、整理した見解を持っておくことは、ネット議論に手を出すにあたって有用だろう。


1.定義からの論証:説得的定義

 内包的定義と外延的定義、記述的定義と規約的定義といったややこしい話の前に、まずは定義が議論において中心的な役割を果たしている実例をあたってみよう。
 せっかくなので、Twitterで懇意にさせてもらっているとつげき東北氏の『名言と愚行に関するウィキ』から例を引く。

『差別ではなく区別』
 差別という語が、集団から集団への「キライ」の正当化=暴力を表すと理解されたとき、一般人はいかに自分たちが差別を繰り返しているかをはじめて痛感する。例えば彼らは官僚差別や科学者差別を日常的に行っている。
 そのような中において、「差別はよくない」と信じ続けたい彼らが自らの行為を正当化するためには、同じ行為を「差別」ではない何かとして再定義せざるを得ない。そのために広まったのがこの名言である。
 もちろん実際には、フェミニストたちの感情的な「差別だ、差別だ」とみなす風潮に対する防護策としてこの名言が使われたといった経緯もあろう。いずれにせよ「差別はよくない」という制度が孕む構造的な問題(実際に差別と搾取によって成立せざるを得ない世界の現実と道徳的理想との乖離)によって生じた名言であり、そしてそれそのものが必然的に「差別するために」再利用されているという現状がある。

 とつげき東北氏は、ここで「差別」という語を『集団から集団への「キライ」の正当化』として定義し、それに基づいて以降の論を展開している。言うまでもなく、このような定義は辞書には掲載されてはいないし、また世間の慣用的用法に従っているわけでもなければ、国際人権規約等における差別の定義として採用されているわけでもない。このような差別の定義文は名言と愚行ウィキ以外のどこにも書かれていない。つまるところ非常に自分勝手な定義を作り、その定義によって『一般人』や『フェミニスト』を『差別を繰り返している』存在として裁いているのである。

 しかし、こうした退屈な事実の指摘によって、必ずしも論としての妥当性が否定されるということもない。実際、上記『差別ではなく区別』のページを読んだ読者のなかには、その明晰な分析に基づく論理に説得力を感じた人も多いであろうし、私もそのうちの一人である。

 こうした論法は、修辞学(レトリック)の分野では「説得的定義にもとづく論証」と呼ばれる。これは、ある語が元々もっていた慣用的意味をいくらか強引にでも変更、再定義し、そこから論証を行うことである。これが成功するかどうかは、ひとえにその再定義の意味内容が、聞き手・読者を説得できるかにかかっている。

 説得的定義それ自体は、いくら恣意的で荒唐無稽であっても構わない。たとえば「性的搾取」という概念は、もともと二次元イラストにまで適用されるとは想定していなかったように思われるが、どうやら近年のフェミニストは再定義し、概念の対象範囲を拡張したらしい。その結果、二次元キャラクターを描いたポスターまで「性的搾取」の事例として指摘するに至っている。
 純粋に論法としての構造を見るなら――本当に「それだけ」を見るなら――「差別」の語を「集団から集団へのキライの正当化」として拡張的に再定義し、いままでそうとは判定されていなかった「官僚」や「科学者」に向けられる視線までもその事例として含めたことと、変わるところはない。

 もちろん、私は「差別」の説得的定義を受け入れるが、「性的搾取」の説得的定義は受け入れていない。これはなんら矛盾的な態度ではない。ここで言いたいのは、論法それ自体では妥当性まで判断できないということである。うまく定義し、読者を納得させることができれば有効な論法となり、それができなければ無効な論法となる。

 ネット議論で「説得的定義にもとづく論証」を活用する場合、あるいはその論法が用いられている論を否定する場合、この「納得感に左右される」性質は覚えておいた方がよい。またこの論法は、哲学書・思想書の類でも頻出であり、やっていない本を探すほうが難しいくらいである。実際、一度意識してみると、きわめて多いことが分かるだろう。(たとえば、ニーチェやフーコーは明らかに「権力」の定義を自分勝手に作っている。そしてそれが何らかの意味において「素晴らしい」と評価されている等)

 ただ、ひとくちに「定義」といっても、その性質や作り方によって分類があり、議論における注意事項も異なる。そのあたりを見ていこう。


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