古草紙昭和百怪2 令和元年神無月 「あっ 霊魂がそこをさまよっている」(「ヤングレディ」 昭和40年) / 霜月「きょうも娘の霊がさまよう」(「女性自身」 昭和38年)
「あっ 霊魂がそこをさまよっている 全国調査 ゾーッとする特集」(「ヤングレディ」 昭和40年)
前回は裏頁が目次だったのが幸ひ、号数が判明したのですが、残念ながら、家蔵切抜の過半は旧蔵者による年月日の書込があるばかり。号数か発行年月日か定かならぬ上、齟齬や記入漏れも散見。実に心許ないのです。そこで、探求の折に識別の一助となればと、画像を併載してみました。
これも、近くは「怪樹の腕 ウィアード・テールズ戦前邦訳傑作選」(會津信吾 藤元直樹編 東京創元社)で雑誌印面を活用したのに大きく触発された結果。著作権が不詳な記事も、少なくとも見開組版だけは引用可能なのに改めて気付かされました。実際、古書肆の店頭や即売会で頁を繰る機会に恵まれるかは疑はしいものの、御参考まで。従って今後、特に断らぬ記事の年月日は、切抜に記された日付に過ぎません。
今一つの問題は、記事名の特定。本来なら目次と照合の上で記載すべきなのですが、叶はぬゆゑ、文字の配置から適宜に判断を。今回取り上げた「あっ! 霊魂がそこをさまよっている 全国調査 ゾーッとする特集」(「ヤングレディ」昭和40年7月18日 124~8頁 講談社)は、題字の上にも「最近ほんとうにおこった話です。あなたが信じようと信じまいと」とあるのですが、長くなるので勝手に割愛。本稿の目的も記事所在の指摘に限り、正確な書誌事項は然るべき方の手に委ねるべきでせう。
さて、この「調査」には「夜明け前に銃殺の音が 旧陸軍刑場跡の怪奇」「ぬれたハンカチを残して雷鳴の夜に消えた女性」「“ここでおれは首をつった”と旅館の離れで和服の男」「三人の高校生が更衣室の中で見たものは…」と小見出しが並び、終り二項には星由里子の体験や岩谷松樹の寸評を引用。他に「「ここに幽霊が出る!」で福岡市天神町知事公舎をはじめ、冥所10箇所を。肖像を除く図版は、著名な心霊写真等7点。締括りは何と谷啓、「ぼくは、オバケをなんとなく、好き…。…、オバケがなかったら、きっとさみしいことだろう。」と。正に至言。
令和元年10月 1日 (火)
「恐怖の手記シリーズ1 きょうも娘の霊がさまよう」(「女性自身」 昭和38年)
昭和の週刊誌記事を通読して、今昔の感に堪えないのは、概ね実名を明記するのが通例だった事。綺譚怪異談の過半は「事実」てふ前提で綴られて来ましたので、夙に「創作」全般が見向きされぬ傾きを増す往時、より強く擬製が需められたのでせう。
何かと煩い頃日なら、よもや幽霊の人物像の特定なぞ以ての他ですが、親族が率先して氏名を明かした験が少なくありません。「恐怖の手記シリーズ1 きょうも娘の霊がさまよう 新婚十一カ月で死んだ光江が夜ごと、ロウソクの中に」(「女性自身」昭和38年7月8日 光文社 42~5頁)では、花嫁裝束の本人肖像に加へ、通夜の仏前風景と思しき写真まで掲げて、実母が公開。この投稿、溶けた蝋【虫+獵-獣遍】燭が「つのかくしをした花嫁姿」を形作ったり、「一周忌には子供をだいた光江さんの姿が現われた」霊験を写真付で報告した点が異色ゆゑ、新連載の劈頭に選ばれたのかと。記事の末尾に「ゾッとするような体験とふしぎな写真をお持ちの方」に対する「原稿募集」広告を配置、締切は「7月12日」と短いのですが、以降の記事に同様の呼掛けは無いので、反響は大きかったのでせう。
ところが、後続記事に「おわび」を掲げる破目に。「内容に関係なく哲学堂幽霊像の写真を使」ったり、濫りに加筆の上、「タイトルに『さまよう』『恐怖』という言葉を使ったことが、神聖な光江さんの霊をけがしたという理由」で執筆者に平伏。「神聖」の二文字が強調の圏点を伴ふ辺り、厳しく捻ぢ込まれた様子が窺えます。
この「恐怖の手記シリーズ」の全貌は不詳ながら、下記二回を家蔵。
3「私は死霊の手からのがれたが… ある水難事件・被害者の恐ろしい体験」 昭和38年7月22日 55~57頁
4「私にのりうつった息子の霊魂 交通事故でいのちを奪われた一久が真実を訴える」 昭和38年8月5日 135~7頁
前者は今野円輔「幽霊篇」も引用した典拠、筆者は昭和30年に三重県中川原海岸で起きた橋北中学水難事故の「助けられて生きのこった9人のうちの1人」。因みに、「おわび」も同回。舌の根も乾かぬ内に、「内容に関係な」い米国の心霊写真を懲りずに併録してみせる厚顔さも御愛敬。
令和元年11月 1日 (金)