生後238日 子どもが産まれて、親のことを思う

赤子はお座りを覚えた。相変わらず夜泣きはするし、離乳食も食べたり食べなかったりだし、毎日が疲れるなぁしんどいなぁと思うこともあるけど、やっぱり可愛いなと思う。

夏には初めて実家に帰った。実家は遠方だが、今住んでいるところとコロナの規模があまり変わらず車で帰り実家のみに行くだけということで帰省を決意した。

半分はようやく赤子をちゃんと見てもらえるという楽しみで、半分は不安だった。実家で赤子が泣いたら父親が部屋にうるせぇと怒鳴りこんでくるんじゃないか、泣き止ませられない私が怒られるんじゃないかと。自分の父親がそういう人間であることを旦那に見られるのもつらいなぁなどと思っていた。優しい義両親の元で育った旦那には全く理解できない人種だと思うので。それでも、自分も子どもを産んだんだし一人の人間としてその時は毅然と立ち向かおう、夜泣きが酷かったら外に散歩しに行こう、と出来るかわからない誓いをひっそりとたてての帰省だった。

結論からいえば、父親はとても普通だった。初孫である娘を可愛がり、嬉しそうに構った。記憶の中にあったような瞬間湯沸かし器のような怒りは、まるでなかった。夜泣きがうるさくてごめんね、と声をかけた私に気にしなくていいし赤ちゃんは泣くものだし、リビングでテレビつけたりしてもいいからな、と声をかけられた。

ホッとした。同時に愕然とした。マジかよ。この人、まともになっている。孫娘を前に相変わらずの適当な子どもっぽいところはあれど、夜泣きやぐずりにも動じない。信じられないんだけど、と母にこぼすと「赤ちゃんはそういうものだってさすがに分かってんでしょ」と事も無げに言われた。数十年生きないとそれが分かんないのかよ、マジかよ。ドン引き。

同時に、本当にショックだったのは、「ずるい」と自分が思ったことだった。何に対してって、赤子に対して、ほんの少しだけど確かにそう思ってしまった。めちゃくちゃ悔しい。私は父親に対するすべてを諦めたと思っていたけれど、結局のところは赤子が父親に優しくされたと思って羨んだのだ。

本当は私にも優しくしてほしかった。こんな記憶ばかりにしないでほしかった。私の好きな野球も、プロレスも、別に最初から好きだったわけじゃない。父親自身が好きだったから、父親に気に入られたくて好きだと言い始めたものだった。もう何も期待しないと思っていた相手をまだ結局切れていない自分に落ち込む。ひどいところばっかりじゃなかったでしょ、と昔母に言われたけれど、思い返せば大体99%はひどいところだったよ。なのに切れない。あーあ。しんどい。

こんなふうに思っている自分がいることがめちゃくちゃに悔しい。家族だから嫌いになんてなれないなどと綺麗ごとは聞きたくない。家族だから何だよ。他人だろと思うくせに、その他人に未だに支配されている。あー悔しい。

深呼吸、落ち着いてちゃんと考えようと思ってこれを書いている。私がすべきなのは赤子に嫉妬することではなく、赤子を親孝行として差し出すことでもないな、と思う。これまで通り程よい距離を保って、必要以上に近づきすぎないことが大事な気がする。冷静に、義両親と自分の両親と、同じくらいの感覚で接して行こう。

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