大糸線(糸魚川ー平岩)乗車と姫川温泉(2024/11/30)
東京から糸魚川へ行く時、東京6時28分発の「はくたか551号」に乗れば、8時41分にすんなり到着できる。程よい時刻に現地に立つことが叶う理想的なダイヤだ。
一方、大阪を基準に見ると、6時30分発「サンダーバード1号」が敦賀7時54着だが、接続する「かがやき506号」は糸魚川に停まらない。なので、先行の「つるぎ2号」でまず金沢まで行き(8時48分着)金沢始発の「はくたか558号」(9時17分発)に乗り換えることになるが、これで糸魚川が10時07分着。金沢での30分近くの待ち合わせが、時間のロスを生んでいる。その待ち合わせだが、金沢駅のホームやコンコースは人でごった返していて、座る場所もない。コンビニも行列している有様で、途中下車ができないこの金沢の待ち時間が非常に苦痛だった。新幹線が敦賀まで延伸したのに、乗換回数が増えた上、新幹線も短い時間の乗車なので、せっかくの車販も楽しめない。需要の関係といえばそれまでだが、こんな乗り継ぎなら、夜行急行「立山」「きたぐに」の方がよっぽどマシである。
私は憮然として、糸魚川駅のホームに降りた。
3年半ぶりの糸魚川である。目的は当然、大糸線だ。JRと沿線自治体との存廃論議が続いているので、廃止が決まった訳ではないが、せいぜい乗っておきたい路線だ。糸魚川から大糸線に乗る場合、以前なら青春18きっぷシーズン以外ならゆっくり座れたものだった。しかし、前述のように北陸新幹線で関東から糸魚川のアクセスが各段に良くなっているため、週末はけっこう乗っている。今日もホームに停まっている車両をのぞくと、ボックスシートは先客で埋まっていた。
それでも良い。ロングシートの一角で、銘酒「妙高山」を開ける。
そしてサンドウィッチ。不恰好な組み合わせだが、朝から何も食べていないので空腹だった。
10時31分発。2駅先の頸城大野駅までは平野部を走る。やがて、曲線が多くなり、次の根知駅では姫川が迫ってくる。対岸の山が色づいていてきれいだ。
大糸線の本領はここからである。まずは鉄橋で姫川を何度か渡る。すると、対岸の国道148号のスノージェット(防雪施設)が長々と続くのが見える。
やがて、大糸線もスノージェットが始まる。
鉄道や道路が開通する前の信州と糸魚川の道は、塩の道と呼ばれ、完全な山越えだった。荷は人が背負ったり、馬が利用されていて、糸魚川からは塩や海産物、信州からは大豆・麦・綿・酒・茶などが運ばれていた。その苦労は並大抵のことではなかっただろうが、荷物を運ぶ人(ボッカという)にとっては貴重な賃金を得る手段であり、塩の道は地域に根付いていた。
その塩の道も、明治時代より平坦な道が検討されるようになる。しかし、険しい地形と豪雪地帯が難所となり、開通には年月を要した。開通後も雪崩や姫川の雨量が増えると洪水が発生して、道路は幾度も被害を受けた。一方、鉄道が信州から糸魚川まで結ばれたのが1957年なので、道路よりはかなり後になる。今の情勢からはよく開通まで持ってこられたと思う。
そんな道路と鉄道が大災害に見舞われたのが、1995年7月の集中豪雨である。姫川が氾濫して、道路と鉄道を呑み込んだ。スノージェット崩壊、鉄橋流出が発生し、復旧作業中にも土石流で作業員の方が亡くなって、今も語る継がれる大災害である。結局、道路の復旧に3年以上、鉄道も2年以上要し、当時のニュースをリアルタイムで見ていた私は、この車窓を見るたび、身が引き締まる。
水力発電所がある小滝駅を過ぎてもスノージェットが続き、やがて一直線の長大トンネルだ。後方運転席で展望していたが、いつまでたっても入口の明かりは見えたままだ。トンネルを出たら、展望露天風呂で有名なホテル朝日荘(過去に一度だけ泊まったことがある)が見えて、その横に「ガンバレ大糸線」の看板。日帰り湯の姫川温泉「瘡(くさ)の湯」が掲出しているものだ。これから私もそちらへお邪魔する。
平岩駅11時09分着。降りたのは私だけだった。
大糸線に乗る時、結局は平岩駅に下車することになってしまう。温泉という恰好な癒しスポットがあるからしょうがない。
滞在は、12時30分の糸魚川行までが持ち時間。小雨がぱらつく中、ゆっくり歩いて「瘡の湯」へ到着。
広間のような休憩所で料金を払って、浴室へ向かう。浴室へ入ると、先客のおじさんがいたが、入れ替わりに出て行った。
湯に入る前に緊張感が走る。以前、夏場に当所に来た時、湯温が激アツだったからだ。今は冬場だし、熱いのは歓迎だが、とにかく恐る恐るかけ湯する。
「あれ」
何のことはない。通常の銭湯と同等の湯温であった。どうやら加水しているらしい。気分が楽になった私は、ルーティーンで汗が出るまで半身浴。そして、露天休憩場で体を覚ます。目の前の姫川に架かる鉄橋に列車は来ないが良い景色だ。この場所も、前述の大災害では濁流にのみ込まれていた。
2度目は全身深く浸かって、頭と体を洗う。時計が設置されているので、時間を確認できるのが助かると思っていたが、この時計は後で確認すると10分近く遅れていた。困るなぁ、ちゃんと合わせといて下さい。もう一度浸かって湯を上がる。入れ替わりに親子連れが入ってきた。
ぽかぽかでやや汗ばんだ状態で、休憩室へ。
乳酸飲料のサービスがあって、ありがたく頂戴する。
隣ではご夫婦がラーメンを食べている。美味そうだ。私もビールでもと思ったが、置いてあるのか判然とせず、おとなしく過ごした。
謝意を述べて外へ出ると、近くの源泉湧出場を眺める。
いつ見ても思うが、姫川温泉は源泉が豊富だ。昔はもっとホテルがあって(姫川観光ホテルに泊まったことがあるが、既に廃業)おみやげ通りらしき場所が残っているが、今は静かな雰囲気に包まれている。
もし、大糸線が廃止になったら当地まで来るのは至難の業になってしまうので、まだまだ通わないといけない。それには、北陸新幹線の糸魚川アプローチを何とかしてもらいたいところ。
帰りの糸魚川行は、輪をかけて混雑していた。何とか空席を見つけると、すぐに眠たくなり、糸魚川までは夢の中だった。