宝石の国

宝石の国【おそらく聞いたことがない話】

不思議な物語だ。
人間が絶滅したのちの世界で、ダイヤモンドやアメシストといった宝石が、少年か少女のような容姿をもって、言葉を話し、「学校」というところで生活を送っている。
流行の「擬人化もの」の一種とも言えるが、ミステリアスな描写が多い。
この、人のように動いて喋る宝石には、敵がいる。月より襲来する「月人(つきじん)」と呼ばれる者たちだ。彼らは宝石を誘拐し、月へ連れ帰ったのち、装飾品や武器に作り替えてしまう。さらに、それとは別に何らかの目的があって宝石をさらっているようである。宝石たちは月人に抗い、剣を持って戦っている。
主人公は「フォスフォフィライト」というマイナーな宝石で、仲間のなかで一番年若く、非常に脆いことから、戦いには出られない。
フォスフォフィライトが自分に適した仕事を探すところから、物語が始まる。
  

目下アニメも放送中の、市川春子『宝石の国』は、謎の多い漫画である。
それがこの作品の面白さのひとつであり、今後、真実がどういう形で語られるのか、とても興味深い。
ただし、ストーリーの冒頭に、なぜ宝石たちが人間のように活動できるのかについての説明がなされている。宝石の体内には、「インクルージョン」という微小な生物が住み着いており、宝石の欠片を人型につなぎ合わせ、光合成をおこなってエネルギーを供給しているのだという。
ゆえに宝石たちは物を食べる必要がない。さらには性別もない。
戦いで体が砕けても、破片を集めればもとの姿を取り戻す。
自我があり、人間のようにふるまうが、人間ではなく、モノとヒトの中間のような存在。 

作者の市川は、2006年にデビューした作家で、じつは『宝石の国』に先立つ作品にて、深海に棲むバクテリアに内臓や脳を食われ、貝殻の身体を与えられた女性など、人間とそれ以外の生命や非生命である物質を横断するようなキャラクターを頻繁に描いている。
こういったモチーフが、市川の作品群において、同工異曲のように何度も形を変えては反復されることとなる。
それは『宝石の国』においても、例外ではない。「人間ー生命ー物質の連続性・つながり」を描くことを、市川はとても大切にしているようだ。
宝石たちのキャラクター設定には、おおげさに言えば市川の生命観、ないし宇宙観というようなものが込められていて、そこにこの漫画の独特の魅力を感じる。

『宝石の国』に触れて、私は『利己的な遺伝子』で有名な生物学者、リチャード・ドーキンスの『盲目の時計職人』という本のことが頭に浮かんだ
この本のなかで、ドーキンスは、地球にどのようにして生命が誕生したかについて、面白い仮説を紹介している。「無機鉱物説」というのがそれで、生物の進化を遡ってゆくと、川を流れる鉱物の欠片へと辿り着く、という。生き物は、体のなかにDNAを持っており、DNAを用いて自分の複製を作ってゆくが、地球にDNAという物質が誕生する前に、その仕組みをはじめに行っていたのが、川を流れる粘土とか鉱物なのだそうだ。

小学校の理科の実験で、ミョウバンの結晶を作ったことがあるかと思う。飽和水溶液のなかにミョウバンの小さな結晶を投じ、水溶液を蒸発させると液中のイオンが結晶とくっついてどんどん大きくなる、というものだ。
これを、ごく単純に、無機物が自分と同じものを作っている、つまり自己複製の原初的な姿と考える。
この自己複製の工程は、理科室のなかだけでなく、自然の川や沼などにおいてごく普通に起こっていて、その働きを模倣するようにして、DNAが地球上に出現し、生命へと至った、というのが「無機鉱物説」なのである。
ここには、『宝石の国』をはじめとする市川の作品に通底する、生物と非生物のあいだの滑らかな連続性が存在する。
そういう感覚を共有できる人に、『宝石の国』はきっと深い愉しみを与えてくれるだろう。

write by 鰯崎 友

参考:漫画『宝石の国』/市川春子 (講談社アフタヌーンにて連載中)TVアニメ『宝石の国』(2017年10月より放送中)

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