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競馬【おそらく聞いたことがない話】

これは、ある転職歴の多い三十代の男が、あなたが聞いたことのないかもしれない事柄について書いた文章【おそらく聞いたことがない話】です。

18世紀のイギリスにおいてジェネラル・スタッドブックという一冊の書物が記された。そこにおいて選ばれた一部の駿馬と、その血を受け継ぐ子孫たちが、現在において「サラブレッド」と呼ばれることとなった。それから約300年のあいだ、人間の手によってより優れたサラブレッド同士が交配され、自然界で起こり得るよりも遥かに迅速に、その能力を発達させてきたのである。より高い能力を持つサラブレッドだけが後世に血を残し、他の大多数の者は容赦なく歴史の舞台から引きずり降ろされて姿を消していった。

競走馬が血を後世に残すうえで、非常に重要な要素となるのが、けしてライバルに抜かれまいとする闘争心を有することである。人為的な淘汰の結果、サラブレッドは草食動物の範疇を逸脱するような激しい気性をもつ動物となった。 より猛々しい馬を、あらゆるライバルをねじ伏せる不屈の闘争心を持った馬を追い求めたホースマンたち。彼らが名付けた競走馬の名前についても、その願望が垣間見える。

例えば、ニジンスキーと名付けられたサラブレッドがいる。この馬の父は、ノーザンダンサー(北の踊り子)、母はフレーミングページ(炎の一節)という。両親の名前から連想し、ロシアの伝説的ダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーの名前を拝借した、というわけだ。ヴァーツラフ・ニジンスキーは、その跳躍を、空を飛んでいる、とまで評された天才ダンサー。燃えるように激しい官能的な振り付けで、センセーショナルを巻き起こした。 晩年に精神を病み、舞台に立つことなく不遇の生活を送り、「生まれ変わったら馬になりたい」と語ったという。

ニジンスキーが没したのは1950年。 そしてその20年後の1970年、彼と同じ名前をつけられたサラブレッド、ニジンスキーは、2000ギニー、ダービー、セントレジャーの英国クラシック三冠レースを無敗で制することとなる。ネーミングの由来となったダンサーからその情熱を託されたような馬だった。とても気性が荒く、手綱をとったレスター・ピゴット騎手は「炎のような馬」と語った。引退後は父として1992年に老衰で死亡するまでに数々の名馬を送り出す。そして、死の2ヶ月前に誕生したのがラムタラという馬である。

ラムタラは過去の名馬の例に漏れず、早くからその素質を認められていた。調教師アレックス・スコットは、まだいちどもレースを走ったことのないラムタラについて「いずれダービーを勝つ」と言って憚らなかった。 しかしラムタラは不運の馬でもあった。 当然のごとくデビュー戦に勝利するが、それ以降、ターフから忽然と姿を消してしまう。調教中に脚を捻挫してしまったのである。

そして、ラムタラの休養中に事件が起こる。ラムタラの実力を誰よりも買っていたスコットが、不仲だった厩務員に射殺されてしまったのだ。スコットの追悼式において、挨拶に立った騎手のスウィンバーンは、「私たちに現在できることは、ラムタラがダービーに勝ってくれるように、願うことしかないのです」と語った。

しかし、そんな願いにも関わらず、今度はラムタラ自身が死の危機に瀕する。休養中に重篤な肺の感染症に罹ってしまったのだ。一時は命を落としかねない危険な状態にまで悪化し、懸命の治療が行われた。
幸いにも回復はしたものの、長い休養期間を経たために、戦績において同世代の実力馬たちにすっかり水を開けられてしまっていた。

他の馬たちがダービーを目標に着々とキャリアを重ねているなかで、ラムタラはいまだデビュー戦を勝利しただけの病み上がりの1勝馬だった。通常の場合は、そのような貧弱なキャリア、まして病気で調教も満足に出来ていない馬を、最高峰のレース、ダービーに出走させたりはしないものだが、陣営はラムタラの素質に一縷の望みをかけ、ダービーへの挑戦を表明する。誰もが半信半疑だった。「気が狂っている」と揶揄する声もあった。

そんな紆余曲折を経て、1995年のダービーの大舞台に立ったラムタラ。しかしレース中にまたも不運に襲われる。スタートで後手を踏み、おまけにバテて下がってきた馬たちに囲まれて進路をふさがれてしまったのだった。非常に不利な展開のまま、最後の直線を迎える。やっと進路を確保した頃には、2400mのレースは残り400mを残すのみとなっており、先頭との差は6馬身以上。しかし、この絶望的な状況において、ラムタラは父ニジンスキーから受け継いだ闘争心をいかんなく発揮する。瞬間的に猛烈な末脚を繰り出して、みるみるうちに差を詰め、先頭を走っていたタムレを並ぶまもなく抜きさって逆転優勝。ゴール地点では1馬身ほどのリードをつけており、1934年に記録されたレコードタイムを60年ぶりに更新するという驚愕の走りを見せた。 ラムタラとともに走ったスウィンバーンは次のように語った。

「丘を下りながら私は、神よ、アレックスよ、我に奇跡を! と言ったのです。するとモーゼを前にした紅海のように、前が開いたのでした。私は、アレックスが天上から助けてくれていることを知りました。かねてから私は神を信じていました。しかし今は、本当に信じているのです!」

この一戦を皮切りに、真の実力を現したラムタラは、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス、凱旋門賞を連勝。いずれのレースにおいても底知れない闘争心を見せつけた。キングジョージにおいては、強敵ペンタイア、ストラテジックチョイスとの三つ巴の激しい攻防を制した。さらに凱旋門賞では、最後の直線でフリーダムクライに詰め寄られるが、馬体を併せられた瞬間に逆に突き放して勝利を収めている。この二戦で手綱をとったヨーロッパ最高の騎手、ランフランコ・デットーリもまた、ラムタラの闘争心に惜しみない賛辞を送り、次のように語った。

「ラムタラはライオンの心臓を持っている」

「ラムタラ」という名前は古アラビア語で「神の見えざる力」を意味しているという。
人間が追い求めたサラブレッドのひとつの到達点、ラムタラは、しかし人間の意図をはるかに超えた力を発揮したとも言える。ラムタラは凱旋門賞の後、現役を引退。通算4戦全勝、デビュー戦以外の勝利は、いずれもヨーロッパ最高峰のレースという前代未聞の戦績を残すこととなった。


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