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足立正生【おそらく聞いたことがない話】

フィリップ・グランドリュー監督の『美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう/足立正生』は映画監督にして元日本赤軍の闘士、足立正生についてのドキュメンタリー映画だ。

足立は1961年の監督映画『椀』で学生映画祭大賞。若手映画作家として頭角を現すが、同時に左翼思想への傾倒を深め、1974年、日本赤軍に合流、パレスチナ革命に身を投じた。数々のゲリラ活動に携わり、国際指名手配犯として1997年にレバノンにて逮捕拘留。その後帰国し、自身35年ぶりとなる映画を発表。『幽閉者 テロリスト』と題されたその映画は、日本赤軍の岡本公三をモデルとし、極限状況において、正義への確信と、世界革命への夢、しかしその正義が実は誤りではないかという怯え、多くの人間を殺めたという事実、それらがひとりの人間の頭のなかで坩堝のように煮えたぎり、溶け合う様を、足立自身の左翼活動と拘留体験をもって活写した、鬼気迫る映画だった。念のために言っておくと、私は左翼思想についての思い入れは一切ない。それでもこの映画には心を動かされるものがあった。

足立正生は罪深い作家だ。
足立はグランドリューのインタビューに答え、「自分のなかで、芸術と政治を分け隔てるものは何も無い」と語る。通常、政治に傾倒してゆく過程でその作家の作品は柔軟性を失ってしまう。多くの作家が左翼思想に傾倒するなかで作品の芸術性を失い、凡庸なプロパガンダ作品を生産していったことに反し、政治にコミットすればするほど、足立の映画はその作品性を深めている。

若松孝二との共同監督作品、『赤軍−PFLP 世界戦争宣言』(1971)のような徹頭徹尾左翼思想をプロパガンダする目的で作られた映画までが、本来そのような映画には宿るはずのない作家性を内包している。しかもそれは、左翼思想を宣伝するための映画ではあるが、芸術性も高い、というような生ぬるい関係ではない、足立においては、左翼無くして、芸術も無い。要は、単なるプロパガンダ映画ではない、ということだ。

恐らくは足立の映画によって左翼活動に身を投じ、そして足立の映画ほど美しくない現実を目の当たりにした者も少なくないだろう。もし足立の映画が、単なる駄作であれば、足立を責め、それを信じてしまった自分を責めれば済むことだ。しかし、足立の映画は、左翼の戦意高揚映画であると同時に、本物の芸術作品でもあった。そして残酷なことだが、どれだけ多くの人間を苦しめたとしても、足立の映画の輝きは全く失われることがない。足立の映画の罪深さというのは、こういうことだ。その意味で、フィリップ・グランドリューが今回の足立正生についてのドキュメンタリー映画のタイトルを以下のように命名したことに、私は深く共感する。

『美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう/足立正生』

美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう/足立正生 映画公式サイト
(劇場公開は終了)


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