〈超短編〉惑星の命名【おそらく聞いたことがない話】
えー、夏の夜の楽しみとして、天体観測ちゅう、なかなか高邁な趣味に興じていらっしゃる方も、さてはこのなかにいてはるかも知れまへん。ワテみたいな無学の徒には金平糖がようさん空に浮かんどるもんや、というほどにしか思われまへんが、聞けば大宇宙、いっとうきれいに光っとる恒星から、がらくたみたいな小惑星まで、とにかくいろんな星に名前が付けられとるそうで、天体望遠鏡の傍らに図鑑をひらいて、自分の見てる星の名前を調べる、というのもなかなか面白そうなことではありますな。
ところがなかには、どうも変てこな名前の星がある。と言いますのも、小惑星に限っては発見者が名前を決めることができるそうで、まあ、そういう高邁な趣味の方々のなかにも、ひねくれモンがいて、ちょっとおかしな名前をつけてはるんですな。「たこやき」「トトロ」「庵野秀明」に「安野モヨコ」、これみんな小惑星の名前でっせ。まあ「たこやき」なんちゅうのはワテらからしたら親しみやすくてよろしおますけどな。
さてさて、ここにもひとりの変わりモンがいてます。この男、京は宇治、老舗の菓子屋の職人、というのは昼の姿、じつは幼少の砌より筋金入りの天体マニアでございまして、だれも知らない小惑星を発見し、それに自分で名前をつけるのを人生の最大目標としておりました。そんで夜通し望遠鏡を覗いているさかいに、もう昼間は眠くて眠くて、仕事どころではありまへん。
そこでこの男、社内での自らの立場を利用し、弟弟子として入ってきた見習いの新人に天体望遠鏡をむりやり渡し、毎夜の小惑星探しを押しつけた。弟弟子にとっては堪ったモンやない。睡眠不足とパワハラからくるストレスにてたちまち精神に変調をきたし、じぶんで作った抹茶ロールケーキ見て「渦巻銀河M83やあ!」と叫んで泡吹いてぶっ倒れる始末。これを機に抹茶ロールを正視することがようできんようになってあえなく菓子職人生命を絶たれたのでありました。すぐに事実は露見し、菓子職人の親方は天体マニアの男を呼びつけました。そら煮えた鍋をひっくり返したがごとく、怒り心頭に発しておりました。
「あの新人の素質ゆうたら、ワシでさえ舌まくほどのモンやったのに、オマエのせいで惜しいことしたわ!」
「おやっさん、あいつが巻いてたのは舌やなくてスポンジケーキや、耄碌するんはまだ早いんとちゃいますの」
「ぬかせ! オマエみたいなボンクラのおかげで、すっかりワシのツキも落ちたもんやわ」
「それはちょっと科学的正確さを欠くもの言いでんなあ。月は地球の重力に引っ張られて落ち続けている、と言うべきですわ。地球のまわりを円運動しているわけで…」
「もおええ! せっかく見つけてきた輝く期待の星に、われ、なんちゅうことさらしよってからに!」
「ああ、そら恒星や。あきまへん、じぶんで勝手に光っとる奴を見つけてきても何もおもろいことおまへんで。恒星については国際天文学連合が命名を行いますさかい。発見者に命名権があるのは小惑星だけや」
「もうええ、おんどら腐ってもワシの弟子や、そこに正座せい!」
「いや星座ではあきまへんて」
「忠誠の姿勢を示せ!」
「中性子星は恒星の死後の姿でっせ」
「このヘンコのせいで!」
「変光星とは時間とともに明るさを変える恒星のことを言います」
「ワシ、もう情けのうなってきた」
「NASAやのうて国際天文学連合ですわ」
「どついたる、ワシが更正さしたる!」
「せやから恒星はあきまへんて! なんべんゆわすの!」
これは、ある転職歴の多い三十代の男が、あなたが聞いたことのないかもしれない事柄について書いた文章【おそらく聞いたことがない話】です。