Borke=樹皮 瘡蓋
こんにちは、BorkeのChihiroです。
今日は"Borke"という言葉について書いてみようと思います。
"Borke"とはドイツ語で"樹皮""瘡蓋"。
尊敬する方に屋号を伝えたときに
「樹皮って激渋だね〜!響きも良いし、覚えやすくていい名前だね〜!渋くてちろちゃんぽい!」
と言われて、すごくうれしくてドキドキした気持ちと
「渋いんだ!?渋すぎ!?!?!?!?!?大丈夫かな!?!?!?!?」
と思ったことを思い出します。
世の中の人たちはどのように屋号を決めているのだろう...か。
あるとき、豊田市美術館で催されていたゲルハルトリヒター展に、ひとりでふらっと行ってみた。
雪が降りそうな寒い灰色の日。
なんだかその頃は、気持ちがいっぱいいっぱいな時期で、憂鬱な気持ちを少しでも上げるために、お気に入りのファーコートとピンクのニットという、やたらと派手な出立ちで行ったのを鮮明に覚えている。(定期的にやたらと派手な服装の時期がある)
豊田市美術館は、木々が風で揺れる音や水の音がとてもクリアに聞こえて、敷地内に足を踏み入れた時の清澄感がだいすきだ。
あの空間に行くだけで心が浄化されるので、定期的に訪れるお気に入りの美術館。
そしてそこで観た"Borke"という作品から目が離せなくなってしまった。
なぜ惹かれたのかはよくわからない。
作品の意図は"無"だとリヒターは書いていた。
灰色一色で描かれたその作品は、筆致が多様で本当に"樹皮"みたいでとにかくかっこよかった。
「"無"とか言いつつもめちゃくちゃ"有"じゃん」
とか心の中でひとりで思ったりした。
帰り道に熱を帯びてぼーっとした頭で(だいたい美術館に行くとこうなる)、先程観た作品を繰り返し思い出しながら
「独立するならたぶんいましかない。」と決めた。
なので"Borke"だ。
"Borke"の意味である"樹皮"“瘡蓋"という言葉も
渋くてわたし自身しっくりきたし、ドイツ語の響きが単純にすきという理由も大きい。
“樹皮"ってなぜかそこにあると触れたくなるし、多種多様な質感も渋くてかっこいいし、無言でそこに静かに佇んでる...みたいな、いつの時代にも変わらない安心感もすきだ。
マニアックさがあるところもまた良い。
地味に“瘡蓋"という意味もとても気に入っている。
瘡蓋って傷が治癒していく過程で必ず必要なものだし。
こうして考えると割と安直な理由だなと思う。
名前とは不思議なもので
"自然とその名前に寄っていく"
みたいな力があると思うのだが、調べてみたらやはり音の響きが性格や風貌に少なからず関係しているとのことだった。
よく聴く音楽に、心情が左右されるのと同じような現象だろうか。
わたしの名前は"チヒロ"だが、わたしが産まれた時のもうひとつの名前の候補は“マキ"だと母が言っていた。
わたしは確実に"マキ"という顔と性格ではない。
どう考えても"チヒロ"だと思うし、“チヒロ"に寄っていっていまの自分な気がする。
もしかすると屋号も、人間や犬や猫の名前と同じでその響きの持つイメージに寄っていくのだろうか。
誰かにとっての、樹皮のような瘡蓋のような存在になれたらかっこいいな。
そんなことを思った今日この頃。