カズキタ(モテアマス)への嫉妬、同じだけのリスペクト。
いつかは書こうと思っていたnote。
そう思ってから恐らくもう3〜4年経っちゃったのだけど、たぶんタイミングが今なので書いた。
思い立ったきっかけはモテアマス7周年を迎えた上で公開されたこのnote。
読み終えた感想は素直に「かっけーなぁ」だった。
シェアハウスを運営してる人ならたぶん誰でもわかる「自分が欲しかった場所を作ってる」という気持ち。
それが思いのままに綴られていると思う。
このnoteは「カズキタ」と「モテアマス三軒茶屋」への嫉妬とリスペクトを、自分の体験を込めて思うままに書いた。
「閉める」という宣言の重みと実感。
2023年の3月末で管理人を引退したハイパーリバ邸、当時住んでいた住民に閉鎖を伝えたのはモテアマスと同じくちょうど1年前となる3月末のぼくの誕生日。
そのとき実体験ベースで感じたのだけど。
シェアハウスって「閉める」と決めたときより、そして実際に閉める日より、自分の中から言葉に出したときが一番辛い。
今その場に住んでいる、今その場を愛してくれている目の前の1人に伝えたとき、自分の心の中で思っているだけではない「事実」になってしまうから。
だから、7周年イベントのとき、リビングでカズキタが「あと1年でモテアマス終わります」って言ったときの気持ちは痛いほどわかるつもりだ。
あの言葉は「場」を持つものにとって、最も覚悟を持って発言しなきゃいけないものだから。
だけど、はじめた以上は終わりを告げるのは最低限の責任であり、最大の仕事だと思う。
「モテアマス」と「ハイパーリバ邸」
別に比べるものではないとは思う。(それは本当に思ってる)
でも内心は、運営開始から勝手にずっとずっと死ぬほど争ってた。
なんなら「モテアマスを参考にシェアハウス運営してます!」みたいなこと言ってるシェアハウス運営者に対して
「せっかく自分の世界観を体現できる場を持てたんだから自分のエゴ丸出しにしろよ!迎合すんな!!」とか思ってた。
(完全な飛び火&八つ当たり)
でも、その気持ちはわかる。
あの空間と文化はきっと、狙ってできるものではないけど意識しないと出来上がるわけがない。
あとカズキタのnoteを読んで、そして自分でこのnoteを書いててやっと明確に腑に落ちたことがある。
カズキタは、モテアマスへの想いについてこう綴っている。
これを読んだとき「やっぱいろいろ俺とは違うんだなぁ」って思った。
ぼくは、ハイパーリバ邸を閉める(卒業する)とみんなに伝える時点でもう完全に閉鎖するつもりでいた。
みんなの居場所を無くさないようにはしたい。ただ「俺が」ハイパーリバ邸を別の場所に移してでも継続したいとはもう思えなくなっていた。
これもまた運営者の性格によるものだと思うので、良し悪しではないと思うが、ぼくはハイパーリバ邸を「俺が運営している」と思ってて、カズキタは「みんなで作っている」と思っていたのだろう。
「カズキタ」と「ぼり」
カズキタとは、よく遊ぶし、よく仕事もする。
リバ邸の仕事をお願いすることもあれば、モテアソブの仕事を手伝うことも。
なんなら、ぼくのメインの仕事であるリバ邸公式サイトも、もはや名刺代わりとなっているCAMPFIRE解体新書もカズキタに(めちゃくちゃに)手助けしてもらってできたものだ。
あと、三茶ジャパンって名前の三軒茶屋のご当地おじさんアイドルユニットを結成したりもしてきた。
カズキタは散らかす人、ぼりは整える人。
めちゃくちゃ一緒に遊ぶし働くけど、全く真逆の性格。
性格も違えば得意なことも違う、だからこそとてもまぶしく見える。
ただ、根本で大事にしてるところは似てるんだろうな〜と思ったことが1回だけあって。
さらっとしたやりとりだったけど、けっこう印象に残っている。
仕事も遊びも、モテアマスもハイパーリバ邸も、自分が生きている(生きてきた)証であり作品なんだと思う。
カズキタ(モテアマス)への嫉妬、同じだけのリスペクト。
いろいろ思うままに書いたのだけど、たぶん俺が一番モテアマス、そしてカズキタの「すごさ」を目の当たりにしてきた人間だと思っている。
お互い「三軒茶屋」を拠点とした生活や遊びじゃなくなるのかもしれないけど、たぶんこれからも長くなりそうな関係性だと思ってます。
30歳を超えてから、これだけ仲良くなれたと思える人と出会えたことに感謝してる。
嫉妬と、同じだけのリスペクトを込めて。
これからも一緒に遊びましょう。
ちゅに。