「成功者」ってナニよ?
この記事は、こんな人が書いています。
「成功者」という言葉に、正直違和感を隠せない。
いや、私もなりたいですよ?成功者。
経済的自由を確保しながら、時間もたっぷりあって、人に大きな影響を与えて、尊敬もされていて・・・。
確かにそれは「成功者」ではあるのだけれども、、、
なんだろう?
高級車を乗り回して?
夜景を背景にワインを飲んだり?
転がしてるのか?赤ワインを、手で転がしてるのか??
ほんでもって、どうせ美女をはべらせてるんでしょ?????
・・・そういった種々のイメージが嫌というわけでもないのだけれども、この違和感。
きっとその正体は、「成功者」というワードが使われる文脈や空間、さらにはそのワードの背後にある「二極性志向」なのかもしれない。
「成功者」の対義語が気になってしまう
そう、きっと私が違和感を感じているのは、「成功者」という言葉を用いた途端、「その他の人達」が「非・成功者」として分類されてしまう・・・そして、それは「上下」の世界では「下」に分類されてしまう。
一昔前に流行った「勝ち組」に対する違和感みたいな感じなのかも。
その、見下し感とも言おうか、それが嫌なんだと思う。
「オレは、頑張って成功者になるぞ!」
と決意したとして、それを言葉に出してみるとなんとなく感じるかもしれないが、それはなんだか、他の【「非・成功者達」と対比した自分の在り方】に過ぎない・・・つまり、相対評価で自分のやりたいことを求めようとしている状態になってしまう。そんな気がしてしまうのだ。
褒めるつもりで、「ゆーじさんみたいな成功者になりたいです!」と言ってくれる人もちょくちょく見かける。
だが、このワードを聞くとどうも、違和感を感じるのだ。
その言葉を発している人だって、ある意味成功者かもしれないじゃないか。というか、人生を有意義なものにしたいと思っている時点で、既に成功者と呼んでもいいはずじゃないか。
・・・みたいな違和感を。憤りに近いかもしれない。
いや、私がひねくれすぎているんでしょーね、きっと。笑
きっと、彼ら彼女らは、「経済的に生活の心配をしなくて良くて、かつ時間もたっぷりある。しかも奥さんもめっちゃ素敵な人。」というのを包括して「成功者」というタイトルをつけてくれたのだと思う。
ちなみに、「経済的自由を達成した人」「時間的な余裕もたっぷりある人」「奥さんがめっちゃ素敵な人」「人生をエンジョイしている人」といったワードには特に違和感は感じない。
きっと、それは他の対象を下に見ることで、相対的評価を得ようとしていないから・・・なのかもしれない。
「成功者」というワードが使われる空間
「成功者になるために・・・」
こんなフレーズが使われる空間って、どうなんだろう。
私は、なんだか「ふふっ」と冷笑してしまう。
いや、私もなりたいですよ?成功者。
でも、このワードが使われる空間がしっくり来たという経験を、私はしたことがないような気がしてしまう。
きっと理由は、何かこう一つの価値観を妄信しているみたいな、そして何よりもその他の価値観が入る余地を許さないような、そういう価値観の押し付けみたいなものを感じて居心地が悪くなってしまうのかもしれない。
うーん。
なりたいんだけどね。成功者。
「成功者」問題にまつわる、きっと大事なこと
きっと大事なことは、
そういうことなんだと思う。
私の場合は、豊かな人付き合い、時間の自由、健康の確保、心理的安全と人生を最大限に楽しむためのゆとりが自分の人生にとってとても大事なものだと思っている。
その手段として、労働時間の圧縮と、ある程度の経済的自由を求める行動を起こした。
そして、何より自分にとって大事にしたかったのは、そのプロセスそのものを楽しむことだった。
というわけで、明日からもそのプロセスを楽しむことにしよう!
私は、最近は「お金について考える」ことそのものが好きなので、このプロセスを楽しむことこそが成功している状態であると言えるかもしれない。
あぁー、どうやったら3億円稼げるかなぁ。
(急にゲスいw)
あなたは、どんな状態をもって「成功」と呼びたいですか?