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日本史の面白さ

川島君から紹介いただいた上田です!理系の実験について詳しく聞く機会が少ないので、川島君のノートとても興味深かったです!

川島君はバリバリの理系ネタだったので今回は、バリバリの文系ネタでいきたいと思います!
よく日本史と聞くと漢字が多くて難しそうや暗記ばかりで面白くないといった印象を受ける方が多いのではないでしょうか?実際生徒からも頻繁にそういった声をもらいます。
しかし、個人的には最も面白い教科だと思っています!
今回は暗記ばかりで面白くなさそうな日本史が面白くなるポイントについて説明します。

期間ごとのドラマとして捉える!

ずばりポイントは日本史をただの出来事の羅列として捉えるのではなく、対象の期間に1人の人物を主人公とすることでストーリー性を持たせ、ドラマを見る感覚で学習するというモノです。

江戸幕府の開府時の徳川家康を例に考えて見ましょう!

https://rekisi-daisuki.com/wp-content/uploads/2019/05/20170326085924.jpgより引用

江戸幕府開府時の出来事は大まかに以下の通りです。
①1598年 豊臣秀吉病没     
②1600年 関ヶ原の戦い     
③1603年 江戸幕府誕生      
④1605年 徳川秀忠将軍職就任  
⑤1614年 大阪冬の陣      
⑥1615年 大阪夏の陣      
⑦1616年 徳川家康病没     

うーん、漢字が多くてなんだか覚えるのがめんどくさそうですね(;。;)

しかし、この期間を家康が主人公としたストーリーとして見てみるとどうなるでしょうか?

関ヶ原の戦い以前は、家康は天下人であった豊臣秀吉の家臣でした。
当時の家康はその家臣団の中では最高権力者でありましたが、秀吉という目の上のたんこぶが上にいる以上、天下人になる可能性はまずありませんでした。
しかし、1598年に豊臣秀吉が死亡①します。この時秀吉の跡継ぎの秀頼はまだ、5歳。とても政治を行える年齢ではありません。
政治を行える明確な天下人がいなく情勢が不安定な中、59歳となっていた家康に最後の天下人になるチャンスが巡ってきたのです!
ここからこの期間の主人公の家康が天下人になり、幕府を開き、その体制を盤石にするまでのドラマが始まります。

まず家康は豊臣家の弱体化を図ります。その始めとして、自分と同じく豊臣家の重鎮であった石田三成・毛利輝元らと敵対。全国のほぼすべての大名を巻き込み、関ヶ原の戦い②を引き起こしました。
この戦いで勝利した家康は、政権内で自身と対立する大名を一掃することに成功し、政権運営を好き放題にできる様になりました。

しかし、依然として、豊臣秀頼の家臣という立場は変わりません。
そこで家康は権力を駆使して、朝廷に頼み込み、天皇から政治を預る官職の征夷大将軍に任命してもらい、江戸に幕府を開きます③。征夷将軍職はすべての武家の頂点に君臨することを表します。つまり、この時家康は豊臣家の家臣という立場を脱した独立した政権運営者になったのです!

それでも未だ豊臣秀頼の存在は家康にとっては恐怖でした。
そしてここから家康による体制を盤石にするために豊臣家滅亡を目指した
ドラマの第2期が始まります!

まず、明確に江戸幕府、将軍職は徳川家のモノだと世の中に宣言するために将軍職を息子の秀忠に譲ります④。このことは、今後将軍職は徳川家で世襲するのだという主張であり、家康は秀頼が成人したら、家康は政権を豊臣家に返してくれるという豊臣家の希望を打ち砕き、同時に全国の大名に今後は徳川が天下を治めつづけるのだと示します。

そして、そこから10年かけた政権運営により大名に徹底して豊臣ではなく、徳川が主君であることを知らしめます。こうしてすべての大名が徳川の傘下になったあと満を持して豊臣に攻めかかりました。これが大阪の陣⑤、⑥です。この時には豊臣家に味方する大名は一人もいませんでした。この戦いで豊臣家を滅亡させた家康は、徳川の天下が盤石になったことを確認して、ほっとしたかのように大阪の陣の翌年亡くなります⑦。


まとめ

いかがだったでしょうか。家康を主人公としてみることで①~⑦の出来事がわかりやすくなったのではないでしょうか?

今回紹介した期間はわずか15年程度で日本史のほんの一部です。日本史には今回紹介したようなドラマがいくつも内包されていて、どれも本当に面白いドラマばかりです。皆さんがすこしでも日本史を面白いと思ってくれたら幸いです。

さて、次回は人事部で同僚の佐久間さんです!
どんな記事を書くのか楽しみです!




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