銃知識から銃撃事件の正しい議論を
ついに日本で要人への銃撃事件が発生した。
もちろん「ついに」と言っても過去になかったわけではないし、一部地域では反社勢力による発砲事件もそこまで珍しくはない。
正しい表現に努めるならば、「事件は起きるかもしれないけど身の回りではほぼ起きないだろう」と、そう思って生きていたというところだろうか。
どこまでが「身の回り」なのかは議論の余地があるが、それはそれとして実際日本に住む多くの人々にとっては幸いなことに無関係なトピックであり続けた。
だが残念なことに、コロナ然り、ロシアウクライナ戦争しかり。いつだって事件は唐突に起きる。
いずれにせよ。
こういう事件が起きると、我々は何かを語らなければならない使命感のようなものを感じてしまう。政治に詳しいわけでも、銃器に詳しいわけでも、警護業務に詳しいわけでも、医療に詳しいわけでもないのにも関わらず、だ。
それ自体を責めたいわけではない。なにせ私もその一人だ。
問題があるとすれば何をどう話すかでしかないと思っている。
手製の銃
犯行には手製の銃が使われたようだ。
しかしこれが一体なんだったのか。理解していない人間があまりにも多すぎると感じた。
日本において銃の具体的な話はタブー視されていると思う。そもそも日本は戦後GHQ占領下で自衛隊すら存在しなかった国家である。
アメリカにはアメリカの都合がある。だから「アメリカのおかげ」など言おうとは思わないが、ただ事実として我々は完全に武力を奪われたために、銃社会を形成する余地を完全に失うことができた。
そんなお国柄では銃の話、特に製造方法なんて話になれば「お前は模倣犯を生むつもりなのか」と非難轟々となることは間違いない。
気持ちはわかる。
だが気持ちだけではどうにもならない問題もある。
それは「実際その気になればこんなものは誰でも作れてしまう」という最悪な現実のことだ。
そして実行するつもりのある人間は必ずこの方法にたどり着き、興味のない善良な市民達はそれに気付かず、あるいは見て見ぬふりをして、いつか自分や身の回りの人間が撃たれてはじめて現実に直面することになる。
本当にそれでいいのだろうか。
少なくとも議論を進め、健全で安全な社会を実現し、有事の際に自身や周囲の人々の命を守るためには、銃というものがなんなのか知る必要はあるのだ。
どんなものだったか
まず全体のフォルムから言うと、二つの銃身が束ねられた"水平二連"といわれる形態だった。
事件の映像が出回り始めた頃、被害状況の詳細がないにも関わらず「散弾銃ではないか」と言われていたが、おそらくこのフォルムが一番の理由ではないかと思っている。
水平二連は主に散弾銃において使われている形態である。
また銃身の後部からそれぞれ1対の導線が延びており、銃身下部にバッテリーのようなものが見えることから電気的に火薬に着火したと推測できる。
発砲時の煙の量や発砲音からは、現代の一般的な弾薬で用いられる"無煙火薬"ではなく"黒色火薬"の類いが使われているのだろうと推測できる。
稼働部品は電力のスイッチとなるであろう引き金部分以外にはほぼ見当たらず、非常に簡易な作りであることがわかる。
銃の本質
そもそも、銃とはなんなのかという話をしなければならない。
銃というとあのガチャガチャした部品が組み込まれた金属の塊をぱっと想像すると思う。
意外だろうが、あんなガチャガチャした部品達はその本質において全くもってどうでもいい部品である。
銃の本質は頑丈な筒だ。
近代的なライフルのように、連射で何発も撃てたり弾倉を交換して給弾できたりすることは主に"戦争において、あれば助かる"機能を実現したものに過ぎない。
極端な言い方をすればおまけである。ガチャガチャした部品はそのおまけ的な要求を満たすものでしかない。本質は弾丸を正確に真っ直ぐ飛ばす、鉄の筒だ。
吹き矢という武器、あるいはそれに類するおもちゃを思い出してほしい。
あれは筒に息を吹き込むことで、筒の中に装填された矢が筒の中の圧力に押され、前方から飛び出す仕組みだ。
基本的な原理としてはあれと変わりがない。
勢いを強くするために息を吹き込むのではなく火薬を使い、その強烈な圧力に耐えられるように頑丈な鉄の筒を使っている。
フィルムケースにドライアイスを入れておくとケースの蓋が弾け飛ぶ、なんて遊びをしたことがある人も多いだろう。
銃とは根本的には本当にそれだけのことなのである。
大昔の銃
皆さんご存じとは思うが、大昔には火縄銃という銃があった。
火縄銃は日本には16世紀頃に伝わったとされている。
縄に火をつけ、引き金を引くと火縄は火皿という火薬の盛られた器に叩きつけられ、連鎖的に銃身に詰められた火薬にまで引火し、銃身内の圧力が高まり、筒の先端の方に詰められた弾丸がそれに堪らず飛んでいく。名前通りの銃だ。
また火縄銃というのは"先込め式"の銃である。
銃の筒においては、弾丸が飛ぶ方向の反対側の口は密閉されてなければならない。
筒の両端が抜けているのであれば、火薬が発火しても弾が詰まってない方から勢いよくガスが抜けていくだけだ。
逆に言えば筒の後端を塞ぎ、前方だけから圧力が抜けるようにすれば銃身内の高圧を解消するために銃弾は前に進むしかなくなる。
そして後端が溶接され塞がれているので、当然先端から弾丸と火薬を入れることになる。
これが先込め式だ。
ここまで読めば理解していただけると思うが、火縄銃は非常に簡単な作りであり、「鉄パイプの片側を溶接し、火薬とパチンコ玉を詰める」だけでその要件を満たしてしまう。
難しいのはせいぜい火薬だろう。
しかし事実としてこんなものは戦国時代にすら作られていた。
つまり、具体的な話はここからは自重するが、しかし考えれば誰でもわかるように、火薬すらをも含めて近代的で専門的な設備は作成に不要なのである。
近代的な銃
一方、近代的な銃は銃身の後端から弾と火薬を入れている。
"弾薬"という、弾と火薬を"薬莢"という一つのケースに納めたものを、例のガチャガチャした部品が後ろから押し込む。
「密閉しないと筒の後ろからガスが抜けてしまうという話はどうしたのか」と思われるだろうが、これもガチャガチャした部品が筒の後端をパズルのように密閉する。
この一連の動作が、発射時のガスの一部や反動を利用することで自動的に行われるよう、メカニズムが構築してある。
繰り返しになるが、やはりあのガチャガチャした部品はあくまでそういう発射とは関係のない役割を担っているだけであって、せいぜい弾を一発撃つだけなら無用の長物なのだ。
近代的な密造銃の事例
過去、カルト教団のオウム真理教はソ連のアサルトライフルである「AK」シリーズを模倣し国内で生産を企てた。
そもそもの設計や、設計図に乗り切らない製造上のノウハウ不足など様々な問題があったのと、単純に長期の製作の中でいよいよ警察の介入があり失敗に終わったようである。
これは彼らの日本政府の転覆という野望の為に「軍用ライフルに匹敵する装備を自身で調達する」という目標を掲げた結果である。
つまり要人の暗殺に留まらず、戦闘を行うことをも想定していた結果、製造の難しい近代的な銃が必要になり、要件のハードルが上がりすぎて失敗したのだ。
逆に言えばそんな目標を設定しなければやはり昔の火縄銃でよく、そしてそれは特別なノウハウもなく簡単に作れてしまうのである。
今後の情勢と規制と対策
規制に関しては正直なところ不可能に近いと思っている。
本件に限っては使われたのは登録された銃器でも密輸された銃器でもなく、ごく一般的な市販品を組み合わせた工作品でしかないからだ。
ホームセンターから鉄パイプを消し、薬品を消し、パチンコを潰し、ベアリングのボールも規制するなんて不可能としか思えない。
そもそも現在でも取り締まる法律はある。
火薬自体の取り扱いもそうだし、本件に関しては明確に銃刀法違反だし、何故だか一般的と思われている護身アイテムですらむやみに携行すれば条例に引っかかるようになっている。
なので今すぐに政府が動くことでどうにかなる、というビジョンは持っていない。
そんな簡単な話ではないし、簡単な話で済む部分は既に手が打たれている。
しかし今回の火縄銃的な銃器の問題、であると同時に救いとなるのは"先込め式"であるが故に、発射の度にいちいち銃身の前方から火薬を流し込み、弾丸を詰めなければならないことだ。
「三段撃ち」という逸話があるように、この形式の銃器では射撃後に絶対的な隙ができる。
これは大規模なテロや乱射事件などには明らかに向かない。
もちろん、死傷者が一人でも出ればそれは既に最悪である。慰めにもならない。
だが今後大規模な事件に繋がる懸念があるか、という点に関してはせめて安心してほしい要素ではある。
またこういうケースでは、犯人が規定弾数を撃ち尽くした隙にあなたがあなたの大切な人と逃げるくらいのことは出来るかもしれない。取り押さえる場合でも目視で水平二連とわかれば現在射撃可能かどうかの判断が可能で、一か八かで突撃せずとも済む。
もちろん、その他にも武器を携行している可能性が高いので取り押さえなどせずに逃げることだけ考えてほしいが、そうは言っていられないときもあるだろう。
妙な記事を書いてるのは自分でも理解しているが、私も犯罪者に知識を授けたいわけではない。
こうして知ることで救える命もあるかもしれないということをわかってほしい。
さらに余談ではあるが犯人の手製の銃が水平二連だったことも上記のことが理由だったと考えられる。
銃身に1発分しか弾薬を保持できないということは、逆に考えれば複数の"火薬と弾の詰まった銃身"が事前に用意されていれば先込め式でも連射に問題はないのだ。
事実、犯人は初弾を外し、二発目で命中させたとされている。
最悪なことに、犯人の合理性や慎重さは功を奏してしまったことになる。
3Dプリンターに言及するような人々
ここまで読んでいただければ理解出来たかと思うが、本件に3Dプリンターの影響はもちろんない。
銃の本質は先ほど書いた通り、頑丈な筒である。そこに3Dプリンターが出てくる余地はほとんどない。
3Dプリンターが役に立つとすれば先述の"近代的な銃"の機能的な部分でしかなく、今回の稼働部品のまるでないシンプルな発射の仕組みにはほぼ関係がない。
むしろ「いかにして3Dプリンターを使わずに銃を作れるかという動機があった」と言われた方が納得できるほどだ。
3Dプリンターで銃が製作できたとして一時期話題となったが、やはりあれは先述の"近代的な銃"を作成する前段階の試験的なものであり、しかも出来上がった銃もせいぜい数発で壊れるような代物だった。
連射に耐えないのであれば今回の連射機構がそもそも存在しない手製銃と変わりがないし、更に言えば射撃中に銃器が破損すれば漏れ出た燃焼ガスや破片によって射手にすら危害が及ぶ。
いくら破滅的な犯罪者であったとしても、今回のような計画的な犯行においてそのような信頼性のない手法をわざわざ採用する理由はない。
本件において3Dプリンターを槍玉に上げる人間は銃の本質を理解せず、感情的になり、怒りのぶつけ先を闇雲に探し八つ当たりをする犯人と、大差ない。
私が一番懸念しているのはこれだ。
「3Dプリンター」「警備体制」「元自衛官」「陰謀」「医療」。
様々なキーワードが悪意の元に、あるいは無知ゆえに抽出され、標榜され、軋轢を生み出す。
今本当に必要なのは知ることだ。議論ではない。まず知らなければならない。
知らなければ議論はできない。
そんな当たり前のことすら、焦燥感に煽られて忘れてしまっている人間が大勢いる。
私が不謹慎の謗りを受ける覚悟で「銃」の話を取り上げたのは、あからさまに誰しもが理解していないのに理解しているように振る舞っていることが一目瞭然だったからだ。
そしてこのギャップは必ず他のベクトルでの議論においても存在すると、確信があった。
そしてその自覚を促すのであればここからだと思った。
それだけだ。
3Dプリンターありきで銃が作られているわけではないこと。
護衛以前にそもそも街頭演説自体が無防備であること。
殺害は亡くなる側の都合ではなく殺害する側の都合であること。
銃を撃たれても場所によっては直ちに出血しないこと。
散弾銃はゲームのように近距離で飛散するわけではないこと。
自衛隊で銃の作成方法など習わないこと。
そもそも自衛隊で扱うような近代的な銃ですらなかったこと。
そんなことも知らずに議論を焦り、議論と言う名目で行き場のない怒りをぶつけあうことに意味などない。
一度冷静になり、更なる知見を得るべきだ。
もちろん私も他人事だとは思っていない。
最後に。
故人のご冥福と、せめて今ご家族のもとで安らかでおられますよう、心よりお祈り申し上げます。
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