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メークイン・テロリズム 20210626
先日実家に帰った。
私は自分の生まれた家から逃げるようにマンションの一室を借りた。実際に一人暮らしを始めて1年程度は出来る限り実家を避けて生きていた。しかし物理的な距離を置いて頭を冷やしたり、書籍を読んだり考えたりすることで、過去と向き合わないでいるのは臭いものに蓋をするだけだ、結局は進歩ができないのではないか、という結論に至った。私は進化したいのだ、そうして自分の足で歩けることの証明がしたい。そのために必要なのだ。
ということで2か月に1回くらいは帰省している。これは盆正月には帰らない事にとやかく言われずらいという点でもとくによかった。だって先月来たしね、という話になるからだ。
実家は相変わらず私にとっての具体的な地獄だ。まず、父と話しても会話にならない。一方的に中国がどれだけ悪なのかを熱弁され(んなわけねえだろ)、自分のはまっている植物の育成結果を見せびらかしたら、私の返答など聞かずどこかへ消える。父は我が子のことを自分の分身だと思っていると言っていたから、思考した事が全て伝わっていると思っているのかもしれない(んなわけねえだろ)。
そんな父がこの度つくったのがじゃがいもだ。それもたくさんの品種。最初、玄関にみかん箱がいくつかあって、開けてみたら底に半分くらい、様々な色と形をした芋どもが詰まっていた。「これはいっぱい採れたね、全部使うの大変だ」私がそういうと母はげっそりとして「それは『種芋』よ」と言った。
芋の作り方を知っている人は分かるかもしれないが、じゃがいもは『種芋』という元となる芋を地中に埋めて、それが成長していくことで増えるものだ。つまりこれは『元手』、成長した『結果』ではないのだ。
ノイローゼ気味の母の後について両親の寝室に向かうと、引っ越しすんのか?という量の大きめの段ボールが床にあった。どれも少し砂がついていた。まさか。そう思って開いた箱にはもうたくさんの芋芋芋芋芋芋芋芋芋芋芋芋!
メークイン、男爵いも、インカのめざめ、皮も中身も真っ黒な、品種の名も知らぬ芋!はじめまして!それが段ボールにぎっちり6~7箱!!
物事には適量というものがある、2丁拳銃も「ちょうどええ」となんども言っていたじゃないか。もはや一般家庭にある量ではない。ここはJAか?いいや寝室だ。そもそもなんで寝室に芋を並べているんだ、そこで寝るんだろ?
そして葉物野菜の様に煮込みまくって嵩を減らせないのもまたきつい。じゃがいもがどれだけの貧困を救った有能な食材だと思ってるんだ。腹にたまってしょうがない。ドイツじゃ主食だぞ。
母は疲れ切ったように袋をくれたので、私はいくつかメークインと男爵いもをもらった。とはいえ自炊は適度にやる程度の一人暮らしなので控えめに。
実は過去同じことが桃でもトマトでもゴーヤでもキュウリでも小松菜でも苺でもニンニクでも起きている。しかし今回ほどの規模ではなかった。どうにか頑張れば処理しきれた。育ち盛りのクソガキ共が3人もいて食料を奪い合っていたのも大きいかもしれない。
そもそも野菜をつくるという行為は余剰が沢山出来てしまうものなのだ。それをご近所さんと物々交換するというのも手だが、それでも全然余るのだ。そんな状況だというのに、じゃがいもの珍しい品種をネットで注文することにはまってしまった父が喜々として全部育てたのがこんな結果を招いた。
これは一種の兵糧攻めである。先日動画で軍隊の食糧が酷評される理由として、連食というものがあると見た。つまり、ずっと同じものを食べていたら、何でもない食材も嫌になってしまうのだ。
母が白旗をあげる前にまた芋を受け取りに行かねばならない。
じゃがいもテロには屈するな。