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【閲覧録20230616-20230715】

【閲覧録20230616-20230715】6月16~20日札幌市南区真駒内で個展。その間【閲覧される録】になるかも。あるいは【考え事録】か。何しろ一種の暴走老人でもあり、【徘徊録】が適切なのかも。

個展:
田原洋朗 アール・ブ[ック]リュット展 和綴じ手製本のライフログ的展開
札幌市南区真駒内1-1-15
 GALLERY kamokamo
20230616-20 11:00-18:00

20230615 15:08 設営完了。ギャラリーオーナー鴨下蓉子氏は、利尻島の旧仙法志村村長を大正13年9月1日から昭和3年3月15日まで務めた鴨下典正のお孫さん。田原はその仙法志の生まれ育ち。そんな縁もあって、2013年から2017年まで年一回6月に同ギャラリーで個展を開催し、今回は6年振りとなりました。

20230616 個展初日11:00-18:00。札幌市南区・GALLERY kamokamo。「田原洋朗 アール・ブ[ック]リュット展 TAHARA Hiroaki art b[ook]rut 展 和綴じ手製本のライフログ的展開」。良くも悪くもアウトサイダーアートでしかないという意識を持ちながら進む。批評性の強さが自分の創作活動の特徴かと思う。

20230617 個展2日目11:00-18:00。札幌市南区・GALLERY kamokamo。6月の北海道を愛している、というのが最近の6月北海道にいての自分のセリフで、その6月の北海道感を満喫したいがために、真駒内川畔・緑爆発のカモカモさんで開催している所以でもあり。「旅先」感、大事だな。行商行為なのかもな。

20230618 個展3日目11:00-18:00、札幌市南区・GALLERY kamokamo。『ゴールデンカムイ』本誌版合本2冊(自第282話至最終第314話)はもっと多くの人に見て欲しかった。口コミで見たいという人がこれから増えて来ることを願う。究極の一点物だし。シャレとかノリとかをいかに確実に手が手で形にするか。

20230619 個展4日目11:00-18:00、札幌市南区・GALLERY kamokamo。個展副題が「和綴じ手製本のライフログ展開」で、一読訳がわからないのだが、現場で現物を見ると、そうとしか言えない感じを持っていただけるのではないかと思う。単純に日本語訳すると「日記」じゃねえかということになる。すまん。

20230620 個展最終日5日目11:00-18:00、札幌市南区・GALLERY kamokamo。毎度催事のたび自己嫌悪に陥りがちだが、今回はいろいろ今後の道筋が見えてきた感じがあって良かった。やっとおいらも大人になったのかも(もう老人なんだがな)。キクチさんと竹中さん、ご来訪。皆様、ありがとうございました。

20230615
モンテーニュ・関根秀雄訳『随想録(二)』(新潮文庫 1954)。「第四十七章 我等の判断の不確実について」「第四十八章 軍馬について」。個展会期中で身の入らない読書。モンテーニュも兼好法師も馬に乗れたのかな。『徒然草』で馬の登場する章段は、あれッ結構ある。どちらも動乱時の随筆だものね。

20230622
『勝海舟(上) 子母澤寛全集 六』(講談社 1973)。p205「彼理」はペルリ「布恬廷」はプチャーチン、p206「十三代」にいえさだ(=家定)のルビ。『勝海舟』の特徴の一つは杉亨二(すぎ こうじ 1828-1917)大幅フィーチャーなところかも。p229「大阪の緒方洪庵の適々斎塾に二ヵ月程いた。」とある。

20230623
小川剛生『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』(中公新書、2017)始。発刊直後に一読、あまりにびっくりして短期間に三度読み返した本。重要さは充分感知できても、内容まで踏み込めなかったものが、大学院生になってからの四読目でそれなり読めてる。「本読み」の熟達度が上がったのかしらね。「はしがき」、「研究者が兼好の生きた時代の制度・慣習に無関心であったため、実像とはほど遠い、矛盾した人物像が世に行われ続けたと言える。」、「論語読みの論語知らず」ならぬ「テクスト読みのコンテクスト知らず」。「第一章 兼好法師とは誰か」、p14「名前を顕すために出家することもあり得る訳で、近代人が憧憬してきた「遁世」とは、実は多くの地下歌人にとり、かえって世に知られるための手段となっていてことは認めざるを得ないであろう。」、p15「勅撰集の「兼好法師」の表記は、おのずとその出自層を語っていた」、「六位で終わった」、「西行と同じく侍品に属することは明白」「官に昇り五位に叙されたならば、遁世しても必ずや俗名で表記されたはず」、「兼好の作は「よみ人しらず」とされてしまった。こうした私撰集もまた勅撰集に准じて編纂されるので、要するに侍品としても穏名か顕名か定まらない程度の身分であった。」。作品の質から類推して、希望的観測・バイアスをもって、歴史的事実を曲げるなよ、という話なんだろう。第二章は「無位無官の「四郎太郎」 鎌倉の兼好」というタイトル。それが、兼好の出自の実像。捏造(しかも兼好没後なので本人の意思にまったく関わらない)は怖いね。第三章以降は、都の兼好を大幅フィーチャー。とはいえそれはまた別の話。

20230624 
加藤陽子『昭和天皇と戦争の世紀 天皇の歴史8』(講談社学術文庫、2018)。「第四章 大陸と太平洋を敵として」途中まで。「プリゴジンの乱」勃発当日に読んだので、色々味わい深かった。p287「蒋(=介石)によれば、列国が干渉せざるをえない理由は二つあった。第一に、日本は中国侵略の過程で列国の在華権益を侵害せずにはおかないからである。第二に、日本の目的は東洋の盟主となり、太平洋の覇権を握ることにある。ならば日本は、アメリカの海軍力とソ連の陸軍力を武力で打倒しなければならなくなる。そのためには、必ずや日本は中国を征服し中国を足場とするに違いないからであると。歴史は、この蒋の大局的な見通しを、ある意味で正確になぞりつつ進行したことになる。」。p290は高松宮日記の引用がある。1937年頃、「日本が暗号解読の発展期に入っていたこと」の傍証として。同年8月14日付分「丁度、昨夜から暗号が変って、まだよめないのが多数あった」。さすが在軍令部の宮。

20230625
『旧約聖書 Ⅶ イザヤ書』関根清三訳(岩波書店、1997)始。例によって「解説」に目を通して、と。p319「旧約聖書のヘブライ語正典は、「律法」、「預言者」、「諸書」という三つの部分から成り」、同書は「ヘブライ語正典の本来の本来の預言書中、筆頭に据えられた書物である。」。予備知識として。

20230626
『宮本常一著作集 7 ふるさとの生活・日本の村』(未来社、1968)了。「日本の村」1948、了。p235「このような血のつながりの集まりを、中部地方ではマキといっています。」、利尻もそうだった記憶がある。p241「商売をして生活をたてる人たちの多く集まっている所が町であり、市であり、百姓たちの集まっている所が村だったのです。」、わかりやすい。p281「日本の農業は除草と肥料にもっとも多く力がそそがれていたことがわかります。」、「日本肥料史」という本があっても不思議はないんだろうが、いまちょっとググった限りは、なさそう。不思議だね。当然、鰊の話も出て来ることになるわけで。

20230627
『吉田健一著作集 第七巻 英国の近代文学 ひまつぶし』(集英社、1979)。岩波文庫『英国の近代文学』(今初めて存在を知った)の初版発刊が1998年なので、この四半世紀は吉田健一再評価の年月だったと言えるのかも。どう考えても、色々な意味、類い稀な個性だものね。にしても近代とは何なんだろう。

20230628
『高倉新一郎著作集 第3巻 移民と拓殖[一]』(北海道出版企画センター、1996)。「北海道拓殖史」途中。p100「漁場持の移民も、漁場持に於て移住費を負担し、家屋漁具等を支給し、官に請うて漁場を割渡し、需要品の仕込をして就業させた」、北海道の仕込業者は元来金融業者ではなく流通業者だった説。

20230629
筒井清忠編『昭和史講義【戦後篇】上』(ちくま新書、2020)。村井哲也「第8講 吉田茂内閣 時代で変化する吉田路線とワンマン宰相」、福家崇洋「第9講 戦後共産党史 レッドパージから六全協まで」、庄司潤一郎「朝鮮戦争と日本」。p142「「軽武装・経済優先」を選択した吉田のリアリズムとして高く評価される「吉田路線」」。そうその路線が今も我々の生活を多かれ少なかれ規定しているんだよね。意識するしないはともかく。p143「吉田は、明治憲法と新憲法の両方を経験した唯一の首相」、p144「新憲法を国際条約的文書として受け入れた」、あたり面白い。吉田茂と石橋湛山の関係性も面白いなあ。

20230630
『梅棹忠夫著作集 第7巻 日本研究』(中央公論社、1990)始。instagram「20230630 『梅棹忠夫著作集』も全巻通読中 「第7巻 日本研究」まで来て所収の『日本探検』再読 やはり圧倒的に面白い 「北海道独立論」は単独で繰り返し読んでいるが今日の「福山誠之館」「大本教」は久々 大いに啓発される」。

20230701
責任編集 弘末雅士・吉澤誠一郎『岩波講座 世界歴史 12 東アジアと東南アジアの近世 15~18世紀』(岩波書店、2022)。大木康「明代中国における文化の大衆化」、p173「明末における白話小説の登場は、メインカルチャーである詩文に対する、サブカルチャーの旗揚げだったのである。」、説得力あり。杉山清彦「マンジュ大清国の支配構造」、p183「両者の関係は明確な分業と厳格な上下関係のもとにおかれていたが、同時に一方が欠ければ他方は立ちゆかないという関係でもあり、その結びつきは極めて鞏固であった。」、鰊場の産業構造・社会構造の中にも見出せるのでは?上下関係間のトレードオフ?

20230703
『鶴見俊輔集 6 限界芸術論』(筑摩書房、1991)。「黒岩涙香」1963、涙香の兄は、札幌農学校第一期生の黒岩四方之進なんだね。「新聞小説論 高木健夫『新聞小説史稿』を読んで」1964。「円朝における身ぶりと象徴」1958。「『鞍馬天狗』の進化」1958、p219「(田原注:大佛次郎の)冷静な社会診断が当時の純文学の代表者、志賀直哉(『早春』)、横光利一(『欧州紀行』『旅愁』)、萩原朔太郎(『日本への回帰』)にはとうてい求められなかったことを、われわれはおぼえていたほうがよい。」。p221「現在の鞍馬天狗の親友は大臣参議になった維新の志士たちではなく、旧幕臣勝海舟とこれも旧幕臣江原素六(後の麻布中学校長)である。」。p222「ブルジョアとしての鞍馬天狗の特徴」p223「第四の特徴は、自由であることを自分の個人生活における最高の価値としていることだ。」。p226「大仏の作品は、新しい組織をつくって権力を奪取する方向を説かないが、どんな時代にも権力の腐敗をふせぐ割を果すような市民精神のありかたを描いている。これは現代日本の革命思想がともすれば吉川英治ータカクラ・テルの線上の農本主義の影響をうけて、集団にたいする個の埋没のよろこびと義務を説くあまり、味方側の集団にたいする批判精神を放棄し」だって。「個の埋没の義務」強いてはいかんよね。

20230704
司馬遼太郎『街道をゆく 7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみち ほか』(2008、朝日文庫)。この巻に関しては、自分的には、副題に不満ありで、宮本常一も登場する「明石海峡と淡路みち」をタイトルに入れて欲しかった。p116「羽織を着た人というのは、漁村の言葉で、網元のことである」、北海道はどうか。p146「最近、民俗学者に宮本常一氏の著作集が出た。『宮本常一著作集』(未来社刊)で」「その第八巻「海をひらいた人々」」、この著作集も通読中で、折しもその第八巻をこれから読もうというタイミングだった。楽しみだ。p149「もっともテグスという半透明の強靭な糸を魚つりのテグスにつかうことを考えたのは、宮本氏によると、江戸中期の阿波の堂浦の漁師だったことになる。」。p182「船山馨氏のすぐれた作品である『お登勢』」。p210「われわれの社会はよほど大きな思想を出現させて、「公」という意識を大地そのものに置きすえねばほろびるのではないかと思った。」そうだ。海の場合は?

20230705
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第四巻』(中央公論社 1996)。1942年4月中旬分。p218、13日「〔欄外〕作戦中ハヨイガ、其後ノ陸軍ノ態度ハイツモコマツタモノナリ。」、海軍関係者の総意だったのだろう。p222、17日「南洋興発」、注には「2 糖業を中軸とする準国策会社」とある。実はその営業報告書を古書交換会で仕入れたばかり。その「準国策会社」に関してまとまった研究などあったりするのだろうか。同日「汪政権ノ実力ツカズ、蒋政権下ノ民衆ノ困苦ノ責ハ日本ニ負フト云フ逃レ路アリ。」、この辺の事情は恥ずかしながら勉強不足でなかなかうまく理解できない。三すくみ的状況ということなのか。

20230706
『網野善彦著作集 第四巻 荘園・公領の地域展開』(岩波書店 2009)。「美濃国」「一 荘園公領制の形成とその盛衰ー東大寺茜部荘を中心に」終える。「あかなべ」と読むそうだ。p177「重宗流三河源氏の足助氏」は、足助素一(1878-1930)の先祖の一族なのかな。旧足助町は三河で、足助は岡山県出身か。

20230707
『開高健全集 第9巻』(新潮社、1992)了。「珠玉」、堪能した。p390「「修道の妨げになるものはすべて魔羅と呼ばれた、と。権力慾も、虚栄心も、金銭慾も、ケチンボも、すべて魔羅という。だけどそれだけがいつからか魔羅を呼ばれるようになって、ほかのものはすべて忘れられた。権力慾はあるやつもいるし、ないやつもいる。虚栄心は持ってるやつもいるし、持ってないやつもいる。稀れですがね。だけど、この、セックスというやつ。こればかりは誰にでもある。いつもある。どこにもある。だから生きのびられたんじゃないか。」」、開高健ならもう七回忌みたいな歳なんだが、やはりまだここにある。

20230708
山本義隆『磁力と重力の発見 1 古代・中世』(みすず書房 2003)了。「第五章 中世社会の転換と磁石の指向性の発見」「第六章 トマス・アクィナスの磁石理解」「第七章 ロジャー・ベーコンと磁石の伝播」「第八章 ペトロス・ペレグリヌスと『磁気書簡』」。中世に入って俄然面白くなってきた感あり。

20230710
橋本治『青空人生相談所』(ちくま文庫 1987)了。雑誌『写真時代』(!)などに連載された本物の人生相談の単行本(1985)の再編集文庫化。橋本氏30代後半。p116「理科系の人間の欠点は、そうなる為の勉強に忙しく、どうあればいいのかという根本が疎かであるということにあります。」、一概には言えないと思いますがね。折しも昨日20230715、『君たちはどう生きるか』という映画が公開されたらしい。p132「時代というものは、非常に人間の多くを決定します。決定して、そしてそのことを当の人間にはなかなか分からせてくれません。」、これはそれはそうだだよね。歴史学の日本語の論文なんかではよく「規定する/される」という語が出て来るけど、されている側はそのことに気付いてなくて、それを気付きに変えるのが歴史研究とも言えるのかもしれない。しかし、規定されている人たちは大概もう死んでいるので、そこに何か直接的な救いのようなものがあるわけではないというね。どうなの?p191「恋愛を成立させたかったら、自分の中に育ってしまった感情と同じだけの感情が相手の胸に育つまで待つしかありません。」「幸福な恋愛をしたかったら、恋愛とは裏腹の冷静さが絶対に必要です。それが、恋愛をする人間にとっての幸福であり、恋をする人間にとっての愛情でもあるのです。」御意。

20230711
『内村鑑三全集 3 1894‐1896』(岩波書店,1982)。「JAPAN AND THE JAPANESE」(1894)。「NAKAE TOJU-A VILLAGE TEACHER」了。中江藤樹(1608-1648)、近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者、ということですが、なぜ内村が中江を取り上げたのかはちょっとわからないままで終わってしまった。

20230712
前田愛『都市空間のなかの文学』(ちくま学芸文庫,1992 原本:筑摩書房 1982)。「町の声」(「たけくらべ」)、「仮象の街」(「彼岸過迄」)、「山の手の奥」(「門」)、「SHANGHAI 1925」(「上海」)、「劇場としての浅草」・「焦土の聖性」(「浅草紅団」)。p393、大岡昇平による「彼岸過迄」「小川町」論が面白い。p394「風俗画報」、最近同誌の入荷が多かったので、これを機にちょっとちゃんと見てみよう。p397「柳田民俗学でいう<<世間師>>」、自分のイメージでは「世間師」はむしろ宮本常一の重要ワードなんだが。「山の手の奥」(「門」)、p432の<ここ>と<いま>の言葉が面白い。「SHANGHAI 1925」(「上海」)、p457、横光利一・金子光晴・谷崎潤一郎、それぞれに戦前の上海があったのだね。p463「内山書店」。「焦土の聖性」(「浅草紅団」)、p533「衝動をかたくなに抑圧してしまったこのしたたかなリアリストの存在」として志賀直哉が登場する。若き日の白樺派も歳をとる?

20230713
『漱石全集 第十一巻』(岩波書店 1994)。「明暗」(1917)。何年か前、多分五十代で、読んだはずが全然記憶が蘇らずにいたところ、お延の劇場での会食シーンで「ここ読んだ!」となった。どこがどう印象深かったのか。漱石作品全般に言えるのだが、主要人物はどう読んでも近所の現代人。すごいね。

20230714
『柳田國男全集 第五巻』(筑摩書房 1998)。「日本昔話集」了、「蝸牛考」始。p163、六四(鳥取県日野郡江尾村〔現江府町〕。池田弘子採集)「銭の化物」、「毎年、年が明けると恵方まいりを」、「恵方」自体は古くからあり、それに「巻」を付けた人がジャニーさん的に商売上手だったということか。p173、七五(奈良県吉野郡大塔村。「吉野西奥民俗採訪録」宮本常一)「狼の眉毛」、こんなところにも宮本さんが。「蝸牛考」p197「方言の地方差は、大体に古語退縮の過程を表示して居る。そうして一篇の蝸牛考は即ち其例証の一つである。」と早々に結論を言ってしまう、柳田翁。まあ、そういう話だ。

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