プロジェクトKV二次創作『青より悟りて』
それは、きっと夢なのだろう。
左右の窓には果てしない青が見える。海なのか空なのかも判らない。
私は汽車に乗っていた。
他に人影のない客車で、端っこの座席に腰かけ、両手で顔を覆い、私はさめざめと泣いているのだった。
泣く理由は、目的地が失われたから。
私は、この汽車で輝かしい新天地に向かう筈だった。そこで起こる出来事、新しい出会いに期待し、私は胸を弾ませていた。
しかし、まさに旅路の最中で知ったのだ。新天地は脆くも滅び去ったのだと。
理由は判らぬ。元より尋常ではない罪の土地だった、などと聞いた覚えもある。だが、そのような背景は私が気にするところではなかった。
私はただ、共に生きたかったのだ。あの学園都市での日々と同じように、新天地に暮らす様々な人たちと、共に騒がしい毎日を過ごしたかったのだ。
最早それは叶わぬ夢となった。私は帰る踏ん切りもつけられず、未練がましく、情けなく、めそめそしているばかりだった。生徒たちには見せられない姿である。
足音が聞こえた。誰かが近付いてくる。
無様な姿を見られると思ったが、私は涙を止められなかった。俯いて顔を覆い、嗚咽をあげ続け、その姿はかえって憐れみを乞うようにすら見えただろう。
しかし、その誰かは私の傍で足を止めてくれた。そして、男とも女とも、老人とも子供とも判別のつかない声で問うた。
なぜ泣くのか、と。
私はたどたどしく答えた。生まれるはずであった新天地が、生まれる前に消え去った。そこに確かに生まれるはずであった者たちもまた、生まれる前に消え去ってしまった。どんな罪があったとしても、これはあんまりではないかと。
誰かは言った。
──信じればよい。
──"在る"のだと。
──あなたはそれを、学園都市で学んだのではなかったか。
私は思わずぐしゃぐしゃの顔を上げた。その誰かは、目で見てすら何者か判らず、ただ「誰か」と表す他なかった。
しかし、と私は思わず抗弁した。誰かの答えは慰めと言うにも余りに安易で、私の悲しみを軽く見られている気がしたからだ。
信じる、そんなことで失われたものが帰る筈はない。現実は覆らない。私は新天地が自らを消し去る決定的な報せを見てしまった。
私の言葉には感情が乗ったが、誰かは落ち着いた様子を崩すこともなく、哀れな子を諭すように尚も言った。
──かの学園都市とて、元は形無きもの。そこに姿を、声を、運命を与えたのは神ならぬ人の仕業。然り、新天地とて生みだすことなど難しくは無い。
──それがどこまで精巧で、多くの観測者を招けるかは、知見と運によるところだが──
──それでも、数多の人が今も成している通り、あなたもまた信じればよい。"在る"のだと。姿を、声を、運命を信じるのだ。
──なに、無から見出すよりは容易き筈。あなたは既に、新天地の姿を、そこで生きる者たちを見ている。その記憶をよすがとし、紡ぎ挙げるのだ。
──あなただけの、学寮都市を。
目の前にいる誰かは、相変わらず誰かとしか言いようがないが、わずかに捉えられることがあった。
少女であった。彼女の頭の後ろには、まるで御仏の像がそうであるように、輝く輪が浮かんでいる。
そこに神聖なる何かを見てしまったのかも知れない。私は、彼女を信じることにした。
席を立ち、床に直接腰を下ろす。無作法だが、この方が思索に耽るには良いように思えたからだ。汽車は揺れてはいない。新天地の滅びを知った時から、どこにも進んではいなかったのだ。
結跏趺坐。私はその姿勢を取っていた。仏の道に詳しい訳ではなく、何かの記憶の見様見真似であったが、瞑目すると思考は徐々に透き通っていった。
脳裏に浮かぶのは、わずかに見た新天地の断片。深く知るには余りに少なく、しかし一目で私の脳裏に焼き付いて離れない秋空の風景。幾人かの顔と名前。それより多い、影しか見えない少女たち。
想像の足場とするには頼りないだろうか。否。その先にはあの学園都市に並び、いずれ凌駕するような大きな世界が広がっている筈。信じるのだ。
断片を補間する。姿と名を与える。運命と、それを乗り越える強い意志を見出す。世界に抗する武器は、刀。刃の鋭さと輝きを信じ、全ての苦境を断ち斬り進むと信じて。
ふっと目を開いた時、少女はより具体的な姿をとっていた。彼女は微笑み、満足げに口を開いた。
「待っていたんだ、わが師よ」
それは、きっと夢なのだろう。
汽笛で目が覚めた。私は席に深く腰掛け、眠りこけていたらしい。窓の外には紅く染まった山林と、低層住宅の並び。
「終点ですよ」
乗務員の少女が笑いながら告げた。私はみっともない寝起き姿をどうにか整えようとして果たせず、誤魔化し笑いで彼女に礼を返す。
「お気になさらず。お客様に快適な旅路を提供することが私共の仕事ですから」
荷物をまとめて駅に降り立つ私の背中に、彼女はもう一声、投げかけてくれた。
「那由多鉄道をご利用頂きありがとうございます。今後とも御贔屓に!」
冷えるのは季節だけでなく、高地のためか。少し身を震わせて改札を抜けた私の目の前には、まったく新しく、しかしどこか懐かしい景色が広がっていた。
汽車の窓から見えていた紅葉の山々と、歴史を感じさせる町並み。生活に、仕事に、行き交う住人たち。
特に視界を多く埋めるのは、少女たちの姿だ。何種類もの制服を着て、友人と声をかけ合いながら思い思いに歩むその姿には、おそらくこの土地に由来する二つの特徴がある。
一つは、刀。あるいは刀剣。ごく平和な日常を過ごしていると思われる少女たちは、腰に帯び、背に負い、あるいは学生鞄に捻じ込むなどしながら、一人につき少なくとも一振りは刀を携帯している。中には二本差し、さらには背丈ほどの太刀や長巻、槍か薙刀を抱える子までいた。それが彼女たちにとって特別な光景ではないことは、柄や鞘を飾る可愛らしいアクセサリーを見れば解かる。
もう一つは、光輪。少女たちの頭の後ろ、わずかに離れた位置に墨で描いた様な光の輪が浮かんでいる。色は様々だが、制服をまとい刀を帯びる少女たちには例外なくその輪があり、見えているのかいないのか、誰もそれに注目する素振りを見せない。
そんな不思議な女学生たちが歩く先に目を向ければ、町並みの奥に大きな山門が見える。近寄って見上げればいよいよ巨大で、今まで目にしたことのある寺社仏閣の門の数十倍はある。冠木を飾る額は、右から読んで『修學殿』。これも少女たちにとっては見慣れたものらしく、みんな当たり前の様にその下で待ち合わせをし、通り抜けていく。
強烈な土地の個性に少し面食らい、その場に立ち尽くしていると大きな声が聞こえた。
「あーーっ!! いた!!」
振り向けば、なんと曲乗りじみて三人の少女を乗せたスクーターが、人混みを掻き分けこちらに向かってくる。六つの瞳が捉えているのは周囲の誰でもなく、間違いなく私だった。
「ちょっ、そんな乗り方! 危ないよ!」
学園都市にいた頃の癖で、思わず咎める様な声をあげてしまった。運転席の少女は「申し訳ありません!」と詫びながら器用にブレーキをかけて、私のすぐ傍に停車する。急制動にバランスを崩すこともなく、私の前に三人の女の子が降り立った。
「わ、私は……」
「あ、あの! お師匠様ですか!?」
最初に名乗ろうとしたのは長い黒髪の少女。光輪は蒼く、腰には大小の二本差し。スクーターを運転していたのが彼女だ。
しかして直後に、赤い光輪、身の丈ほどの大太刀を背負う栗色の髪の少女が、大きな声で割って入った。
「ちょっと、こはね! 最初に自分の名前を……」
一瞬、彼女たちのやり取りが遠くなった。
お師匠様。私はその言葉を頭の中でしばし反芻した。
この新天地における私の役割。目の前にいる三人の少女を、視界に入る多くの子供たちを、この地で暮らすまだ見ぬ生徒たちを、教え導くこと。
私の、大人の、責任。
「どうなんだ!?」
黄色の光輪、腰の左右に二振りの小太刀を吊るした、金髪ポニーテールの子が迫って来る。
「うん、そうだよ」私は答えた。「私はみんなの師になるためにやって来たんだ。これからよろしくね」
三人はしばし顔を見合わせ、ぱっと笑みを咲かせた。
「よし、じゃあアレやろう!」
「やろう!」
「ちょっと待って、まだ名乗ってない……!」
金髪の子が音頭を取り、栗色の子が乗り、黒髪の子が引きずられる。私もまず名前を聞くべきなのに、彼女たちの勢いに押されてしまった。
少女たちは結局、山門を背に大袈裟なポーズを取りながら、私を歓迎をしてくれた。
私は、この瞬間を生涯忘れることはないだろう。
「ようこそ!」
「わたしたちの、カピラに!」