どうして若手騎手ばかり記事にするのか①

小倉競馬が始まってから毎週のように若手騎手についての記事を書いていますが、『どうして若手騎手ばかり記事にするのか?』と思われる方もいるかもしれません。私の周りで閲覧してくれる人からも言われるので、実際にはまだまだいらっしゃるのでしょうが、その理由は至極簡単なものです。それは『若手騎手の成長が見られないから』です。

若手騎手とは?

まず、JRAの定義する【若手騎手】とは【騎手免許取得後7年未満の者】を指します。つまり8年目の2月までは未勝利だろうが、1000勝しようが若手騎手なんですね。英訳するとapprentice(アプレンティス)となるようで、1000勝する見習いってなんだよって思ったのは別問題ですが。

次に、2020年3月1日時点の若手騎手を見てみましょう。

2014年デビュー 石川、井上、小崎、小幡初、松若
2015年デビュー 加藤、鮫島克、野中、三津谷
2016年デビュー 荻野、菊沢一、木幡巧、坂井、藤田、森祐
2017年デビュー 川又、富田、木幡育、武藤、横山武
2018年デビュー 西村、服部、山田
2019年デビュー 岩田Jr、大塚、亀田、小林凌、斎藤新、菅原明、団野
2020年デビュー 秋山稔、泉谷、小林脩、原

以上となります。細かく調べたわけありませんが、各世代とも競馬学校への入学志願者は100名以上であり、入学できる者は約1/10ほどに絞られます。そこから様々なカリキュラムをこなし、騎手試験に挑戦できるまでに1/3が脱落し、もう1/3は試験で落とされるそうです。そんなに落ちてたかな?今度調べてみます。つまり、日本で騎手になるには非常に狭き門を潜り抜ける必要があるという事です。

若手騎手の成績は?

では、それらの若手騎手の成績はどうでしょうか?超高校級が高卒後、いきなりプロデビューして大活躍するスポーツと同じように、各世代の入学志願者から選りすぐり者だけが騎手となれるからには、程度の差はあれど、GⅠを勝つなどそれなりに活躍する騎手がいる事でしょう。

2014年デビュー 石川(166)、井上(65)、小崎(111)
         木幡初(70)、松若(307)
2015年デビュー 加藤(104)、鮫島克(176)、野中(57)
         三津谷(20)
2016年デビュー 荻野(120)、菊沢一(65)、木幡巧(113)
         坂井(106)、藤田(97)、森祐(60)
2017年デビュー 川又(83)、富田(54)、木幡育(39)
         武藤(104)、横山武(112)
2018年デビュー 西村(79)、服部(3)、山田(20)
2019年デビュー 岩田Jr(44)、大塚(3)、亀田(20)、小林凌(1)
        斎藤新(49)、菅原明(32)、団野(37)
※()内は勝利数、2020年2月23日現在

期間が短ければ短いほど勝利数は少なくなるのは当然ですし、長期の海外遠征をしていればその分勝利数は少なくなりますが、トップは7年目の松若で年平均51勝はリーディング20位前後となります。2番手は6年目の鮫島克、3番手は7年目の石川で、それ以降、100勝を超えるのは7年目の小崎、6年目の加藤、5年目の荻野、木幡巧、坂井、4年目の武藤、横山武となっています。全27人中10人が100勝を超えていますが、これを多いと思うか少ないと思うか。

例えば、昨年のリーディング50位は北村宏の20勝でしたので、仮に年20勝づつを積み上げたとしましょう。そこから各人の勝利数を差し引いてプラスであれば毎年リーディング50位以内に入れる実力があり、マイナスであれば実力不足であると見る事ができます。

2014年デビュー 石川(46)、井上(▲55)、小崎(▲9)
         木幡初(▲50)、松若(187)
2015年デビュー 加藤(4)、鮫島克(76)、野中(▲43)
         三津谷(▲80)
2016年デビュー 荻野(40)、菊沢一(▲15)、木幡巧(33)
        坂井(26)、藤田(17)、森祐(▲20)
2017年デビュー 川又(23)、富田(▲6)、木幡育(▲21)
        武藤(44)、横山武(52)
2018年デビュー 西村(39)、服部(▲37)、山田(▲20)
2019年デビュー 岩田Jr(24)、大塚(▲17)、亀田(0)、小林凌(▲19)
        斎藤新(29)、菅原明(12)、団野(17)

こう見ると松若が若手騎手の中でいかに優れているか分かります。それに続くの鮫島克ですが松若から大きく離されており、その次も離れて石川、荻野、武藤、横山武、西村がいます。それに木幡巧、坂井、川又、岩田Jr、斎藤新が続き、藤田や団野はその後になります。

重賞ではどうなのか?

次に若手騎手の重賞成績を見ていきましょう。松山が唯一の平成生まれGⅠ騎手と聞いた時に2000年以降にデビューした現役騎手の重賞勝ち星を調べておいたのですが、意外というか当然というか、以下のような結果になりました。

2014年デビュー 松若(6勝)石川(3勝)小崎(1勝)
2015年デビュー 鮫島克(1勝)
2016年デビュー 菊沢一(1勝)木幡巧(2勝)藤田(1勝)坂井(3勝)
2017年デビュー
2018年デビュー
2019年デビュー

2017年以降の新人騎手に重賞勝利はありませんでした。これは意外といえば意外ですし、当然といえば当然です。3年いれば誰か一人くらいは重賞を勝てる騎手が居そうなもんですが、不作の年が続く場合もありますし、なにより2015年にルメールとミルコが移籍してから若手騎手には重賞の騎乗機会すら満足に得られなくなった事が影響しているのでしょう。ちなみに2013年以前は以下の通りです。

2000年デビュー
2001年デビュー 川島(5勝)
2002年デビュー 田辺(32勝、内GⅠ2勝)
2003年デビュー 石橋脩(17勝、内GⅠ2勝)松岡(33勝、内GⅠ2勝)
2004年デビュー 川田(86勝、内GⅠ13勝)丹内(2勝)津村(12勝)
        藤岡佑(34勝、内GⅠ1勝)吉田隼(14勝、内GⅠ1勝)
2005年デビュー 大野拓(9勝、内GⅠ2勝)鮫島良(5勝)
2006年デビュー 北村友(21勝、内GⅠ3勝)黛(2勝)
2007年デビュー 荻野琢(1勝)田中健(3勝)浜中(42勝、内GⅠ9勝)
        藤岡康(19勝、内GⅠ1勝)丸田(7勝)宮崎(2勝)
2008年デビュー 三浦(13勝)
2009年デビュー 国分恭(2勝)国分優恭(3勝)松山(15勝、内GⅠ1勝)
         丸山(8勝)
2010年デビュー 川須(6勝)高倉(4勝)
2011年デビュー 横山和(1勝)
2012年デビュー 菱田(2勝)
2013年デビュー

やはり2010年以降は惨憺たる成績ですね。2010年以降の10年間で53名がデビューし現役は47名ですが、重賞を勝ったのは12名で内GⅡを勝ったのは川須、高倉、菱田、松若、石川、坂井の6名のみ。GⅡを2勝以上したのは坂井だけでGⅠを勝ったのは一人もいません。これじゃ武豊の後継者どころか、競馬界の将来を任せられる騎手すら居ないのと同じですね。競馬学校の指導不足だけではなく、短期免許制度やエージェント制度の弊害でもあるのでしょう。

また、ルメールとミルコが移籍した2015年3月以降の重賞勝ちを見てみると以下のようになります。

2000年デビュー
2001年デビュー
2002年デビュー 田辺(19勝、内GⅠ1勝)
2003年デビュー 石橋脩(10勝、内GⅠ1勝)松岡(7勝)
2004年デビュー 川田(50勝、内GⅠ8勝)丹内(2勝)津村(5勝)
        藤岡佑(11勝、内GⅠ1勝)吉田隼(7勝、内GⅠ1勝)
2005年デビュー 大野拓(2勝、内GⅠ1勝)
2006年デビュー 北村友(13勝、内GⅠ3勝)黛(1勝)
2007年デビュー 浜中(14勝、内GⅠ5勝)藤岡康(7勝)丸田(3勝)
2008年デビュー 三浦(4勝)
2009年デビュー 国分恭(1勝)国分優恭(2勝)松山(12勝、内GⅠ1勝)丸山(6勝)
2010年デビュー 川須(2勝)高倉(1勝)
2011年デビュー 横山和(1勝)
2012年デビュー 菱田(2勝)
2013年デビュー
2014年デビュー 松若(6勝)石川(3勝)小崎(1勝)
2015年デビュー 鮫島克(1勝)
2016年デビュー 菊沢一(1勝)木幡巧(2勝)藤田(1勝)坂井(3勝)
2017年デビュー
2018年デビュー
2019年デビュー

2015年3月を境に重賞勝利が半減した騎手は川島、松岡、津村、藤岡祐、吉田隼、大野、鮫島良、黛、荻野琢、田中健、浜中、藤岡康、丸田、宮崎、三浦、国分恭、川須、高倉の18名であり、川島、鮫島良、荻野琢、田中健、宮崎に至ってはそこから重賞勝ちはありません。中には松岡、藤岡兄弟、大野、浜中、三浦といったGⅠ騎手も含まれており、いかにルメール、ミルコが荒稼ぎしたか理解できるでしょう。

これらを総合すると、現在の日本競馬において騎手が危機的状況に置かれている事がハッキリと分かります。競馬学校での指導は、海外武者修行組が向こうで技術を評価されている事から馬を御す技術を教える点についてはできます。しかし、武さんや川田から競馬に乗れる技術については前々から否定的な意見が語られていますし、馬を御す技術を教えられても競馬に乗る技術を教える事はできていないのでしょう。それはやはりデビューしてから実際の競馬に乗る事で身に付くものだと思います。

しかし、現在では某大手馬主が推奨する勝利至上主義が蔓延しており、技術が未熟な若手騎手を乗せる事は難しくなっています。有力馬はリーディング上位から順に割り振られるだけでなく、シーズンオフにも関わらず枠が満杯になる短期免許組にも騎乗数を制限されることなく割り振られますし、有力馬やそれに次ぐ馬も短期免許組に割り振られ、残ったカスをベテランと若手騎手が取り合っているんですから。

それはファンが歓喜する人馬が一体となって成長するドル箱になるストーリーの大幅な減少を生みますし、若手騎手は騎乗馬を確保するために、競馬に乗る技術を学ぶ機会を得られる厩舎所属から離れ、デビュー早々にフリーになる始末。

もちろん、厩舎に所属すれば確実に競馬に乗る技術を学べるとは言えませんが、少なくとも『自分の考えたように乗って来い』と言われる機会は、若手騎手を育てる意識がない厩舎であっても、よそから騎乗依頼を受けた時よりかは多いでしょう。そうやって技術や競馬を学んでいく事が騎手を成長させるのではないでしょうか。

矢作先生が藤岡兄や坂井瑠星を乗せ続けるのは人を育てたいからですし、根本先生が3人も所属騎手を抱えているのも自分を育ててくれた競馬界への恩返しのためでしょう。引退された岩元先生が騎手変更を打診された和田を守ってテイエムオペラオーに乗せ続けたような話は、現在では希少価値のように扱われていますが、本来はこうする事が騎手の活性化に繋がるのです。

②に続く


いいなと思ったら応援しよう!