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歴代ダービー馬、そらで何頭まで言えますか?④

絶対に間に合わない気がしてきた今日この頃です。

ディープスカイ

もう助けてください。2008年のダービー馬ディープスカイは、当初決して目立つような成績ではありませんでした。2歳秋にデビューしてからダービーまで8ヶ月間で11戦しているように勝ち味に遅く、3歳春のアーリントンCで重賞に初挑戦した時はまだ500万条件の身でしたからね。

しかし、年明け5戦目となる毎日杯を6番人気で制すると、勢いに乗り当初の目標だったNHKマイルCまで制覇します。当時は、毎日杯のレースを見てもそこまで強い馬だとは思いませんでしたし、この馬を1番人気にするのは冒険だなと思っていました。そういう先入観が良くないんですよ。分かっているんです。

この結果を受けて急遽参戦したダービーでは、皐月賞馬キャプテントゥーレが回避した事もあり1番人気に支持されます。レースは1番枠という事もあり後方の内でじっくり待機し、直線に向いたら強引に大外へ持ち出して一気に伸び、変則二冠を達成します。改めてレースを見ると強いなぁと思うのですが、メンツ的には大丈夫かコレ?というメンツだった事も勝因でしょう。しばしばこういう事があるのが競馬なんですよね。

秋は中団から前目で競馬をする事を覚えて神戸新聞杯をしっかり勝ち、次走は距離適性を考慮してバブルガムフェロー、シンボリクリスエス以来3頭目となる3歳による天皇賞・秋制覇を狙います。ところがどっこい、出走してきた古馬は前述のウオッカとそのライバルのダスカ。レースに三強と言われた様相そのままにウオッカとダスカの一騎打ちに割り込む形でゴールまで叩き合いを続けますが、強い古馬牝馬2頭にやられて3着。1.57.2のレコードとタイム差なしですし、見応えがあるレースでしたが、格の違いを見せ付けられたとも言えなくもなかったな。

続いて陣営が大目標としていたジャパンCに出走します。ウオッカを抑えて1番人気に支持され、見事ウオッカに先着しますが、スクリーンヒーローに足元をすくわれ2着。ミルコマジックにやられましたね。ウオッカ、ディープスカイの馬連をしこまた買った私の夢はどこへ行ったのでしょう。

その後、翌年の大阪杯で復帰するもステゴ産駒の成長力を見せたドリームジャーニーにクビ差惜敗。続く安田記念で三度ウオッカと激突しますが、この距離と斤量差ではウオッカは止められず2着。そして宝塚記念ではまたもドリームジャーニーに競り負け、サクラメガワンダーも捉えられずに3着。春3戦全てが惜しい競馬で、なんだか未勝利時の勝ち味に遅い状態に戻ってしまいました。

そして秋に向け調整を続けていた8月に浅屈腱炎を発症し、残念ながら引退に追い込まれます。惜しい競馬も多かったですが、本格化した後の成績は決して悪いわけではなく、きちんと馬券に絡んでくれる私好みの馬でした。

ロジユニヴァース

やっと2000年代最後だ。2009年のダービー馬ロジユニヴァースはネオユニヴァースの初年度産駒です。阪神の2歳新馬を快勝すると、札幌2歳Sで早々に父に重賞初制覇をプレゼントします。続くラジオNIKKEI杯、弥生賞も制し、4戦4勝の最有力候補としてクラシック第一冠皐月賞を迎えました。

しかし、単勝1.7倍の圧倒的支持を集めるものの、最初の1000mを59.1という速いペースを6番手で進んだため、直線入口で早々に脱落し、同じネオユニヴァース産駒のアンライバルドにGⅠ初制覇を横取りされるという衝撃の結末となりました。結果からすれば上位7頭までが中団より後方に待機していた馬であり、暴走した先行勢は軒並み沈んだので、ノーカンとも取れますが、さすがに14着敗戦では次を買うのに躊躇いましたね。コレならポツンで負けた方がまだマシでした。

ところがダービーは大雨による不良馬場となったため、ますます先が読めない状況になります。ロジユニヴァースは皐月賞に続いて引いた最内1番枠を生かして好スタートから先手を取り、大逃げしたジョーカプチーノが最初の1000mが59.9を飛ばす中、10馬身ほど離れた3番手をキープすると、直線入口で前を行くリーチザクラウンを最内からブッコ抜き、4馬身の差を付けて鮮やかな復活劇を見せます。忘れてました。同馬は『騎手にダービーを取らせるために生まれてきた』だったのです。なお、西高東低が叫ばれて久しい時代にサニーブライアン以来12年ぶりの関東馬によるダービー制覇でもありました。

その後はドロンコ馬場を激走した影響か、アッチが痛い、コッチが痛いと復帰に時間が掛かり、ついには秋に出走する事はありませんでした。なんとか翌年の日経賞で復帰するも6着に敗れ、天皇賞・春は体調が整わず回避し、続く宝塚記念ではアンカツに乗り替わるも13着に大敗します。終わった感もプンプンした同馬ですが、8月にノリさんとのコンビに戻って出走した札幌記念では2番手から好位抜け出しを図る競馬を見せます。結果は、ピタッと付けられたアーネストリーにあっさり交わされ2着敗戦でしたが、復調の兆しは見せました。

ただ、その後は体調も悪けりゃ、トモにも不安があるという事で先の見えない長期休養に入り、復帰は2年後の札幌記念まで待たなければいけませんでした。その復帰戦は、鞍上のノリさんが『ある程度は覚悟していたが、別の馬みたいだった』とコメントするほどの衰えから、終始最後方を追走して大差のシンガリ負けを喫するという皐月賞並の衝撃の結末を披露し、ここで引退かと思いきや、関係者はさらに長期休養を挟むという暴挙に出ます。これがロジユニヴァースを史上最低のダービー馬の一角と見る要因なんですね。

結局、その後に復帰することはなく、一年以上経った2013年の秋に引退となりました。だったらもっと早く引退させろよと誰もが思ったでしょう。むしろ、最初の札幌記念の後に休養が長引きそうだと思ったら、その時点で引退した方が種牡馬価値も名誉も守れたと思います。こういう人災的な悲運に巻き込まれるダービー馬はカイソウだけで良いんですよ。

エイシンフラッシュ

あと10頭だぞ。頑張れ俺。2010年のダービー馬エイシンフラッシュは『騎手にダービーを取らせるために生まれてきた』一頭に近い存在です。ただ、どちらかと言えばダービーより天覧競馬のイメージが強いので、あくまで近い存在。

同馬は7月の阪神新馬でデビューすると、2戦目で初勝利、4戦目で出世レースのエリカ賞を勝ちます。この辺りがエリカ賞が出世レースと言われる最後の方でしょうか。まだヴィルシーナがいるか。年明けの京成杯を1番人気で辛勝し、本番前のトライアルに目指しますが、熱発でそれらを回避し皐月賞に直行する事になります。

当時はまだ3ヶ月以上は休み明けという感覚だったのでしょう。単勝オッズ40倍の11番人気という下馬評でしたが、4角12番手からスルスルと馬群を抜けて3着。2着ヒルノダムールとはハナ差だったので、次のダービーは俄然として注目される事となります。主に私にですが。

しかし、ファンの見る目が無いのか、本番では7人気に止まります。確かにヴィクトワールピサの父ネオユニヴァースは昨年の牡馬二冠を制しましたし、秘密兵器的なペルーサ、エアグルーヴの仔で良血のルーラーシップなどが人気になるのは分かりますが、ヒルノダムールが3番人気ならエイシンフラッシュだってもっと人気していいと思うのです。人気間違いなしのダノンシャンティだって回避したし、薔薇一族ローズキングダムだって2歳王者ですが、元々はGⅠでは勝ちきれない一族なんだから。そのせいで迷った私がエイシンフラッシュの単複を切ったんですよ。愚痴の一つも言いたくなります。

結局、レースは最初の1000m61.6、2000m2.04.8というスローペースから、ラスト3F33.4、内2F目が10.8というヨーイドンの競馬となり、上がり最速をマークしたエイシンフラッシュが戴冠。上がり2位のローキンが2着で、出走17頭中34秒を切ったのが11頭という欧州のようなふざけたレースとなりました。こんなダービーで良いのかよって思ったのは初めてかもしれません。ただ、鞍上の内田、藤原先生、平井オーナーのいずれもダービー初制覇なのは祝福しました。

ダービー後は、神戸新聞杯でローキンに遅れを取り2着に敗れると、ジャパンCと有馬記念では怪我や出遅れで本来の力を見せれず秋を未勝利に終えます。翌年の春は大阪杯、天皇賞・春、宝塚記念を走りますが、同世代のヒルノダムール、古豪アーネストリーの2,3着が精一杯で、秋のGⅠ三連戦は天皇賞・秋では短期免許のルメールを配置するも一瞬の見せ場を作っただけの6着に終わり、ジャパンCは後方のまま8着沈むなど良いところがありません。

しかし、有馬記念では最初の1000mが63.8秒、道中14秒台のラップが2度もあるスローペースを上手く流れに乗って5番手から2着を確保。上位馬は皆33秒台の上がりを使う、典型的なヨーイドンのレースでしたが、エイシンフラッシュはこういうレースに向いています。この時に気付いていればなぁ。5歳になるとドバイWC、帰国初戦の宝塚記念をともに6着で終え、秋も毎日王冠で9着に惨敗するなど復調の兆しが見えません。

ところが7年ぶりの天覧競馬となった天皇賞・秋では、新たにコンビを組んだミルコマジックが炸裂します。シルポートが1000m57.3という大逃げを打ちますが、大きく離れた後続はほぼ平均ペースか、少し遅い程度で、こうなると長い直線はエイシンフラッシュの庭となります。外を回る他馬を尻目に最内を通って上がり最速となる33.1の鬼脚でブッコ抜き、見事盾を獲得します。ゴール後のウイニングランで下馬し、西洋式の最敬礼をしたミルコも本当に素晴らしかったです。

ただね、誘導係のお姉さん邪魔。あのシーンはどの角度から撮っても素晴らしい一枚になるの。なのに全部にあなたが写ってる。上司に言われたんだろうね、ミルコがやらかす前に止めて来いって。仕方ないよ責められないよ。でも、アレはダメだ。行くならミルコに跳ね除けるくらいの気概で行かんと。ミルコに退いてってやられて、そこ立ち尽くすくらいなら最初から行くなよ・・・って愚痴を南武線でしたら、周りのお客さんから同意を得られました。こういう人も居るのです。怒らないでね。

その後のエイシンフラッシュは、翌年に大阪杯と香港のQEⅡ世C、天皇賞・秋で3着、毎日王冠で再び勝利を挙げますが、ダービー馬でありながらついにジャパンCには縁が無く、4年連続で挑戦して8,8,9,10着という結果に終わり、そのまま引退。なかなか恵まれない馬でしたが、同馬の見せる至極の切れ味は今でも記憶に残っています。

オルフェーヴル

きたよ暴走王おが・・じゃなくてオルフェーヴルが。2011年のダービー馬オルフェーヴルは成績から何から改めて書く必要はないくらい競馬ファンに知れ渡っている名馬です。

この年は東日本大震災があった年ですね。福島競馬場も大きな被害を受けましたし、近隣の牧場や乗馬施設などでも100頭以上が犠牲になりました。それでも春の中山開催、福島開催が中止、振替された上で、辛うじて競馬を施行できたのは幸運だったとしか言い様がありません。そんな年のクラシックを戦い、全て勝ったのがオルフェーヴルです。

オルフェーヴルは兄ドリームジャーニーと同じく新潟でデビュー戦を勝利すると、芙蓉Sで2着となり、京王杯2歳Sで重賞に初挑戦しますが、この一族特有の気性の荒さを見せて暴走し10着に大敗します。これを受けて陣営は兄が獲った2歳GⅠを諦め、じっくりとオルフェの成長を促す事にします。結果的にはコレが当たり、徐々に操作できるまで成長したオルフェは、阪神で行われたスプリングSから連勝を重ね、東京で行われた皐月賞、不良馬場のダービー、そして菊花賞、有馬記念まで制し、史上7頭目の牡馬クラシック三冠馬となります。

ところが翌年の阪神大賞典では暴走した挙句に自ら競馬を止めるという暴君ぶりを見せ、さらにそこから加速してあわや大逆転となる2着に食い込む常識の範囲外の走りを見せます。また調教再審査後の天皇賞・春では、見せ場無く11着に大敗し、三冠馬にあるまじき気分屋な一面を覗かせます。まぁ天皇賞・春については複合的な要因からオルフェ自身が競馬を投げたという結論が最もしっくりくると思いますので、額面通りの着順には受け取れませんが。

そして秋にはフォワ賞から凱旋門賞に挑戦します。鞍上は池添からスミヨンに替わりましたが、これは本当に頂けない。三冠どころか五冠を獲ったコンビを海外遠征という理由で降ろすなら、今後日本人騎手が日本馬で海外遠征をするのはできないからです。事実、その後にずっとコンビを組んで凱旋門賞に出走できた日本人騎手ってハープスターの川田ぐらいでしょう。その川田もハープの騎乗法について現地でボロクソに言われましたが、そこから学び成長していったじゃないですか。逆説的に考えればリーディングでトップ争いをする川田でさえ、海外遠征の可能性は五分五分なんですよ?それでどうやって日本人騎手がチャンスを貰えばいいと?

それに現地の経験があっても遠征馬、日本馬の経験が無ければ大きなリスクを生む事になります。逆に現地の経験が無くても、遠征馬の事を十分理解していればリスクを最小限に留める事ができます。つまり、ケースバイケースで公平な判断で鞍上を決めるべきだし、間違いがあればそれを直す事に力を注ぐべきです。オルフェが直線抜け出してから急に内に斜行してソラを使った際、池添なら対応できたと今でも思いますし、それができたら勝っていた可能性は非常に高いでしょう。前哨戦に騎乗させておきながら、スミヨンにヨレる癖を体験させなかった私のミスと発言した池江先生にはガッカリを通り越して失望しましたよホントに。

その後、帰国して出走したジャパンCでは猿アタックを食らって3歳牝馬の2着に敗れ、ショックを受けた陣営は有馬記念を回避し来年に備えます。昨年4つもGⅠを勝った馬が全盛期にもなる年にGⅠを一つしか勝てないとはね。最初から有馬記念を目指していたら史上初の有馬記念三連覇もあったのに。

5歳になったオルフェは再び海外遠征を目指すために、春シーズンはドバイを回避するという不可解さから先行きに暗雲が立ちこめる気がしたのは私だけじゃありません。というか、ステゴの成長力を読んでいたら、5歳がオルフェの完成時期という可能性は考慮すべきですが、春は大阪杯と宝塚記念の2走のみを予定し、宝塚記念を怪我で回避して1戦のみで全盛期を棒に振るとは・・呪われてるんじゃないかな。主に池添の。

秋には予定通り二度目となる凱旋門賞に挑戦しますが、またもトレヴという3歳牝馬にボコられ2着。同じ日本馬のキズナが蓋をしなければという意見もありますが、それも含めて競馬だし、そうならないように準備をしておくべきでした。池江先生は完敗だったと言っていましたが、私には前年同様に準備不足という印象を受けました。親子揃って何やってんだ。

そして帰国後にラストランとなる有馬記念に出走し、圧勝で現役生活に別れを告げます。これだけのパフォーマンスを見せれるなら、帰国初戦はジャパンCでも良かったんじゃないかなと思いますね。前年はダメージを抜く前に帰国し、レースの負担と輸送の負担がダブルで来た上に日程が足りず不本意な結果になった。今年はダメージを抜いてから帰国し、日程も空けたから完璧な結果に。一見、正解のように見えますが、オルフェは古馬になってからGⅠ2勝しかしてませんからね?昨年と同じ轍を踏まないんでいないのだから、ジャパンCを目指すべきだったし、体調が今一歩なら回避して改めて有馬記念を目指せば良かった。非常にもったいない。

何にせよ、オルフェについては日本競馬界の姿勢を良く現してくれた馬だと思います。良くも悪くもね。全盛期同士ならディープとやってもタメを張れたでしょうし、これだけの馬をGⅠ最多勝(古馬でGⅠ3勝)に導けなかったのは間違いなく陣営のミスです。なお、以上の内容は全て私個人の感想ですので、お忘れなきようお願いします。

ディープブリランテ

もうちょいだぞ。2012年のダービー馬ディープブリランテは、ディープの2年目の産駒にして、初めてダービーのタイトルを獲得した馬ですね。

同馬はパカパカファームの生産です。同ファームの創業者ハリー・スウィーニィのインタビューを何回か拝見していますが、大変面白い人という印象があります。外国人でありながら日本で農地を取得し、馬主審査もクリアするという非常に難しいミッションをこなしてしまうのですから、きっと有能で素晴らしい人なんでしょう。

そんなパカパカファームが生産したディープブリランテは、今をときめく矢作先生が惚れ込み、セリで負けたのにも関わらず管理だけでもと頼み込んだ馬であり、関係者の間でも育成段階から高い評価を得ていました。2歳秋に阪神でデビュー戦を飾り、2戦目で東スポ杯2歳Sを勝つと、翌年の共同通信杯に単勝1.4倍の人気で出走しますがゴールドシップの末脚に屈し、さらにトライアルのスプリングSでもグランデッツァに差され2着に敗れます。

皐月賞本番では折り合い重視で3番手を追走し、稍重の馬場で荒れた内を嫌って大きく外を回って直線を迎えますが、後方から荒れた内に突っ込んでワープしたゴルシに先に先頭に立たれます。懸命に追いすがるディープブリランテですが、最後方から大外をぶん回したワールドエースに差され3着敗戦。距離ロスはリスクになると何べん言えば・・・という一戦でしたね。

ダービーでの雪辱を誓う陣営と鞍上の岩田は、互いに妥協しない姿勢で調整を進めるも、スタッフを信用したい矢作先生と、無い知恵を絞って何とか良い方向に持って行きたい岩田との間で溝が出来るなど、決して良い状況とは言えませんでした。そうした状況にビシッと一喝してそれぞれの立場を明確にした矢作先生の手腕で、陣営はバラバラになる事なく調整を進める事に成功します。いやぁダービーともなると、やはり人を狂わせるんですね。競馬ファンからしたら大きなレースの一つかもしれませんが、当事者からすれば人生一度きりのチャンスかもしれません。そう考えたら誰だって必死になりますし、それが悪い方向に向く事もあるでしょうが、ここは上手くまとめた矢作先生の手腕が光りましたね。

そして迎えたダービーでは、大きく離して逃げる2頭を尻目に虎視眈々と4番手をキープし、4角からは一気にペースを上げて前を捉えに行き坂上で先頭に立つと、猛然と追いかけるフェノーメノをハナ差抑えて悲願のダービー制覇を達成しました。馬上で号泣した岩田は『3週間を一緒に過ごすことによって、馬が僕のことを受け入れてくれた。22年間、馬に乗ってきて、初めて人馬一体になれた気がします』とコメントしましたが、やはり競馬とはこうあるべきだと教えてくれたように思います。人馬一体となる事が良い結果を生む・・そのためには安易な乗り替わりや短期免許の外国人騎手を偏重してはイカンのです。

残念ながらディープブリランテは2ヵ月後に挑戦したキングジョージで8着に敗れ、帰国後に屈腱炎を発症し引退してしまいますが、サンデーレーシングのGⅠ馬で史上初めてデビューから引退まで同一騎手が手綱を取った稀有な例であり、こうした物語をもっと我々に見せて欲しいと思います。なお、同一騎手にはついては後年メジャーエンブレムとルメールが、現役中ですがクロノジェネシスと北村机が記録しています。

キズナ

あと7頭もいるのかよ・・。2013年のダービー馬キズナは前田一族が率いるオーナーブリーダー、ノースヒルズが生産、所有する馬で、ノースヒルズに初めてダービーのタイトルをプレゼントした馬です。

キズナという名前は東日本大震災直後に遠征したドバイWCで、現地の沢山の人から温かい言葉を受けた事に感銘を受けた前田が、牧場の一番馬に震災復興のシンボルとも言える絆という言葉を選んで付けたそうです。

キズナ自身は佐々木先生が『コレでダービー取れなかったら最悪の調教師だ』と語るほどの素質があったそうで、2歳の6月早々にデビューする予定でした。しかし、挫石の影響でデビューを延ばし、10月のデビューとなりましたが、新馬、黄菊賞を連勝しラジオNIKKEI杯2歳Sで重賞獲りを狙うものの、シーザリオの仔で良血のエピファネイア競り負けて3着に敗れ、賞金も加算できませんでした。

年明けは弥生賞で権利獲りを狙いますが、カミノタサハラの一世一代の豪脚に屈し5着敗戦。これにより皐月賞への出走が厳しくなり、陣営はダービーに照準を合わせます。そして毎日杯で上がり2番手に1.1秒の差をつける34.3の末脚で見事重賞初制覇を飾ります。実は、このレース前に武さんのエージェントから同レースで落馬負傷した経験から違うレースを・・と申し出があったそうです。このエージェントって、あのエージェントですよね。こういう事も言うんですね。もしこれで、じゃあ他の騎手で・・となったらどうするつもりなんでしょうか。

続いてトライアルの京都新聞杯に出走し、最後方待機からまたも上がり最速でブッコ抜いて1着。順調にダービーまで駒を進めます。私の記憶ではこの辺りでキズナの存在を認識したハズです。普段はあまり上がり最速とか見ないのですが、同馬は京都新聞杯まで6戦して4度の上がり最速、2度の上がり2番手を記録しており、かつファレノプシスの下という事で、否が応でも注目せざるを得なかったですね。

迎えたダービー本番では、皐月賞馬でGⅠ2勝のロゴタイプ、初の牡馬クラシックに手を掛けた福永騎乗の皐月賞2着エピファネイアを押さえて1番人気支持されると、最後方から5度目となる上がり最速の末脚を繰り出し、先に抜け出したエピファネイア福永の夢を打ち砕いて1着。武さんは5度目のダービー制覇と史上初の同一騎手によるダービー父仔制覇を達成しました。

このレースの最後の直線の実況は非常にハッキリと記憶に残っており、『・・400を切りました!その外からは16番ペプチドアマゾンと、
さらに外から8番ロゴタイプ、8番ロゴタイプ追ってきた!
そして外に出して9番のエピファネイア、さらには2番のコディーノ、
その外から1番のキズナも追って各馬横に広がって大激戦!
アポロソニック、ペプチドアマゾン、
ロ・ゴ・タイプ、そしてエ・ピ・ファ・ネイア、
さらに外から1番のキズナだ!キズナだ!キズナ差し切ってゴールイン!』と流れるように各馬の名前を上げ、状況が分かりやすいように説明、そして抑揚。聞いていてサブイボ立つような興奮を覚える実況だと思いましたね。特に、最後のロゴタイプ、エピファネイア、キズナの3頭に繋がる流れはコレが競馬実況だと言える実況でした。

ダービー後はニエル賞から凱旋門賞を狙うプランが発表され、9月に海外初戦となるニエル賞に出走したキズナは、後方待機から外を鋭く伸びて先頭に立ち、英ダービー馬ルーラーオブザワールドの猛追を振り切って海外重賞制覇を果たします。そして2度目の挑戦となる現役最強馬オルフェーヴルと一緒に凱旋門賞に参戦します。キズナはフォルスストレートでオルフェの外に着けて締めつつ、直線で先を行くトレヴを追いかけますが、さすが3歳牝馬の有力馬。斤量とか関係なく豪快に突き放され、キズナはおろかオルフェすら影をも踏ませぬ圧勝劇を見せ付けられ敗戦しました。

力の差を見せ付けられたキズナは、帰国初戦となる翌年の大阪杯でエピファネイアやメイショウマンボなどを相手に、最後方から上がり最速の後方一気で快勝。続く天皇賞・春では1.7倍の圧倒的な支持を受けるも、骨折により4着敗戦。それでも上がり最速というのだから驚きです。

その後、翌年の京都記念で復帰しますが、+22の馬体重と展開が向かず3着まで。続く大阪杯でもラキシスに競り落とされ2着敗戦。そして天皇賞・春では初めてと言っていいほどの凡走で7着に敗れ海外遠征を断念。当初の予定を変更し2016年も現役続行が発表されますが、9月に浅屈腱炎を発症し引退します。国内の全12戦中上がり最速は8度、上がり2番目が3度という典型的な末脚勝負の馬でした。それにも関わらずこの成績を残すんですから能力は高かったと思いますし、産駒に能力が受け継がれれば海外での活躍も期待できますね。

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