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合理性と信念

人生で初めて年越しを海外で迎えた。

現在、ヨーロッパにある小さな島国のマルタ共和国に来ている。

2024年の年越しのタイミングでチームメイトと年越しイベント会場へ訪れた。

前にステージがあり、アーティストやDJが音楽を流してみんなが踊ったりお酒を飲んだりその時間をただ楽しんでいる。

私たちもシャンパンを持っていき年越しのタイミングにみんなでお祝いをした。

その後、私はみんなの空のコップを集めた。

ずーっとそれを持っていると

チームメイトから「下に捨てなよ」と言われた。

地面には缶やプラスチックのコップ、ビンも転がっていた。

渋谷の10倍以上のゴミが地面に落ちている。
(渋谷も最近はとても綺麗)

私は持っている空のコップを地面に落とすことを躊躇していたが、
「sorry」となんとなく発しながら地面に捨てると

マルタ人、アメリカ人、イタリア人のチームメイトが一斉に

「なんでだよ、いいんだよいいんだよ、あとで掃除するんだから」

的な英語を早口で伝えてきた。

おそらく私の躊躇する姿や「sorry」ということが理解できなかったのだろう。

俯瞰して考えると、

1, ゴミはすでに地面に多く転がっているのだから私が持っているものを捨てても何も不思議ではないということ。

2, 後ほど掃除されることは容易にイメージができるので環境破壊にはなりにくいこと。

3, 音楽に合わせてみんなでダンスしたりしているのだから、手にゴミを持っていたら邪魔であること。

ゴミを地面に捨てることはその状況では合理的ではあった。

しかし、日本人マインドなのか、躊躇してしまう自分がいることは確かだった。

1, ゴミは持ち帰るもの、地面に捨ててはいけないという信念なのか。だとしたらその信念は今の状況でも必要なのか。

2, 何かに縛られているが故にこの状況でゴミを捨てない判断をしていたとすれば、それは何なのか。

3, この状況が日本であった場合、私はどうするか。

単なる小さなことではあるが、すごくモヤモヤした瞬間だった。

こういう小さな違和感を見逃さずに無駄に考えていきたい。
そしてこんな時にゴミの写真を撮り忘れた。とっときゃよかった。

みなさま、
あけましておめでとうございます🐲


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