待つことの耐性
海外にきて異なる文化はなんですかと問われたとしたら
真っ先に浮かぶのは「待つこと」だろう
私はマルタ共和国でいろんな場面で"待つ"ことをしてきた。
この文字が浮かぶほど、「今待っているな」と感じる場面が多いということだ。
もしかすると、マルタの文化ではなく単純に私の待つことへの耐性が低い可能性も考えうるが、
日本にいた時と比べた私の感覚によるマルタの文化ということで捉えてほしい。
まず、マルタの特徴を羅列してみる。(私の主観も含まれる)
まだあるが一旦ここまでにしておこう。
そして、私が体験してきた「今待っているな」の場面を羅列してみる(目安の待ち時間)
特に店でご飯が運ばれてくるのが遅すぎる。
60分待つことは珍しくない。
(極限の空腹時は店には行かないと決めた)
マルタの特徴からすれば、待つことは必然的なことだろう
しかし、少し気に障ることは
マルタ人は待たせることに対して特に何も思っていないことと
マルタ人が待たされている時は急かしてくることだ。
たまにイラっとするが許容範囲だ。
空気を読む日本人には耐え難い状況ではあるが、
これが文化の違いか、教育の違いか、歴史の違いか、神経系の違いか、
といろんな知識を入れることで自分の心は平穏を保つことができる。
初めは、待つことに嫌気がさしていたが
その自分に気づき、状況に興味をもち、調べ知ることによって
俯瞰できるようになる。
また、自己分析にもつながりより自己理解が深まるきっかけにもなる
日本人の好きなところに気づくこともある。
異国にきて文化の違いを経験するということは、
その場面に気づく力を育み
自分の気持ちを感じる力(メタ認知力)を身につけ
調べる力、情報を取りに行く力、知識を育み
自分の受容量や許容量を広げ、関わる人を増やし
それにより更に文化の違いを知る機会を得ることができる
という循環を作ることができるのだと思う。
苦手な文化の違いを感じて、自分から切り離すこともできるが、
せっかく異国に来たのだからとりあえずその違いに向き合ってみようと思う。
もしこれが帰国した時に友人への土産話になるのならばより最高だ。
にしても、今日もバスがこない、むかつく。