書くことの意味 -スマホで100日連続noteに挑戦day23-
久しぶりのちゃんとした雑誌に載る原稿と格闘して朝4時起きを繰り返してなうです。
タイトル画像は実家のお花たち。朝日はすごい演出家ですな^_^
原稿と格闘してるタイミングで音楽の凄さを体感したので、文章で伝える、受け取る、という営みの大変さと音楽への羨望と、一周回って書くことの意味を考えたりする今日この頃です。
文章を書き続ける、宣言
発見したのは、いや、わかってたんですが、再認識したのは、自分はちゃんとした文章書くの、めちゃ下手だなあ、ということ。
研究者時代はそれなりにいろいろ書いてた気がするけど、なんちゃってだったしなあ、とか思い出したり。
下手は下手なりに書いていかないと、ますます下手になるのだ、という、当たり前の気づきがあったのでした。遅くて編集長さんに迷惑かけてるし、、、ほんとすみません🙇♂️
なので、note100日書く、というのに続き、締め切りのある文章を、しかもわりとちゃんとした文章が求められる媒体向けに、定期的に書いていく、ことを自分に課そう、と思いました^_^
べっぷに原稿依頼あるかた、お気軽にどうぞ^_^
自分からも書きたい媒体、企画を探して持ち込んでみようっと。
年間6本。2ヶ月に一本くらいのペースで書き続ける宣言、自分にしてみます。
書くと、元気になる
書くと、なにを日頃考えてるのか、なにをだれに伝えたいのか、明確になりますよね?
これ、初歩的なことだとは思うんですが、改めてすごい効果、すごい意味が、書き手に生まれてるなあ、と感じるわけです。
もちろん、めんどくさいですよ?
とくに自分みたいに下手な人間には
自信無くすし。
構成や編集に付き合わされてる妻もいい迷惑ですし。。。
時間だけじゃないコストやエネルギーも、多大に使うし。
でも、それを乗り越える意味や効果を内的にもたらしてくれることを感じたのです。
今回、音楽に敏感になれたのも、文章を書く、ということと格闘していたタイミングだから、という気がしますし^_^ なので、続けよう、と。
利己的に、書く
自分のために、書く
noteも書く、かたい文章も書く
noteは自分にとって、ストレスミニマムな場なので、上手いとか下手とか自分のツライとこに触れずに書き続けられる様にしかやってないので、心地よい反面、書く作法や作業、中身については、かたい文章書く場面とはら自分にとっては、気づきが異なります。
って、ここまで書いて、それも自分が生み出してるキメなだけで、noteで思い切りかたい文章書いてもいいんだよなあ。当たり前なことに気づいた。社会派なnoteもいっぱいあるだろうし。
ただ、その媒体や場のもつトーンや読者がいるから、使い分け、でしばらくやってみようかな。
いずれにせよ、両方書いていきます。
この100日で自分がどんどん変わっているのを感じつつ。行動しながら後付けで考えていくのが自分が今やりたいことみたいなので、当面このままいきます^_^
あなたはどんな、書く意味を持っていますか?
そして探求はつづく。
実家のお茶の釜^_^
掛け軸。季節もの?
父の謎の趣味によって我が家に連れてこられたしょんべん小僧と百合^_^