昨日はよく泣いた withコロナ時代は男も泣きましょう、のススメ -withコロナ日報day2-
タイトル画像は、近所の穴場な公園の、お花見できないから少しだけ車で行って撮ってきた小川にたまる桜の花びらたち。美しいったらなかったです。
さてさて、昨日は2度も号泣しました。
47歳のおじさんが往来でなき、14歳と12歳の息子を含む家族の前でボロボロ泣いておりました。
ぼくは鹿児島育ちです。
東京の方にはわかりにくいかもですが、鹿児島で育つと
「おとこはないてはならん」
という、そりゃもう、猛烈なプレッシャーと同調圧力の中で育ちます。美学ですな。
でも、昨日は2度も大泣きしてしまいました。声を出して泣くくらい。
おじさんの泣きレポートにどんな社会的価値があるのかはさておき^_^
いっぱい泣いて、なんだかスッキリして。
朝起きて、やっぱりなんだかスッキリしてる自分に気づき。withコロナ時代には、これ、大事なんじゃないかと感じたので書きます。
1回目は、妻と近所のドラックストアに買い物に行った帰りに、近所の公園で遊ぶ12歳の次男たちを見に行ったときです。10人くらいで公園で走り回って遊ぶ新中学一年生のなかで、マスクをしていたのはうちの息子1人だけ。
今朝、都内も神奈川も感染拡大してきたから、ほんとは気持ちの上では外遊びもして欲しくないけど、きみたちもストレスで煮詰まるだろうから、マスクして手洗いとかお互いの距離とか、、、というのを、くとくど彼にはお願いしていたのでした。
しかし、「友達は誰もマスクなんかつけてない」と。
じゃあ、、親御さんにいうしかないか!とコーンフレークやないか!みたいな感じで、すでにほとんど知り合いの(PTA会長やってたおかげ^_^)お母さんたちにLINEで連絡。
個人的なお願いとして妻にも編集として入ってもらって、怖がらせ過ぎず、いま子供達がマスクをつけることの大切さを柔らかめに書いたメッセージを、公園遊びのいつものメンツの友達のお母さんたちに送っていたのでした。それが朝。
んで、午後夕方遅めに公園で目撃したのが上記の光景。
ものかげから隠れてこっそり妻と子どもたちの様子を見ていたのですが、マスクをしているのはうちの子だけ。。。
ここでフラッシュバック^_^
自分が小学生の頃、ともだちと近所の川に釣りに行こう!と盛り上がって自転車で遠足の計画を立て、リーダーとして出発する瞬間に祖母に「お盆の期間だから生き物を殺しちゃだめ!」と行くのを禁止された時のことをなぜか思い出しました。
リーダー格としてカッコつけたかったのに。
釣りで仲間たちにいいとこ見せたかったのに。言い出しっぺは俺なのに。
それまでそんなこと聞いてないのに。
釣りに行かせてもらえない。
楽しそうに釣りに行く仲間たちを追いかけて自転車で遠くから眺めていた景色がありありと、浮かんできたのでした。
こどもはこどもなりに社会があって、その中での仲間との連帯や自分なりのポジションや、羞恥心や、こうありたい、、というのがあると思うのです。きっとうちの次男にもあるでしょう。
親や祖父母や保護者の価値観でそれが果たせないことはよくあることと思います。
新型コロナウイルスに"過剰に反応している"(きっとほかの保護者からはそう見られているかもです)"頭のおかしな"オヤジのせいで、他の子とは違う行動を強いてしまってるのかなあ、と。
書いててまた泣けてしまうのですが、、、
ぼくは自分のことなら大抵のことを乗り越えていく自信があります。馬鹿にされても、軽んじられても、負けても、失敗しても、挫折しても、また立ち上がって自分なりのゴールと勝利を人生で勝ち取る自信があります。そこは薩摩隼人、九州男児、ますらお(益荒男と書きます^_^)な自分がいます。
でも、家族のことはダメです。無理を強いていたり、理不尽な思いをさせていると感じたり、十分なことをしてあげられていない、というのを自覚するとツライ。自分の最大の弱点かもです。
新型コロナウイルスへの感染予防行動を、地域に広めるのは、3週間後の、数ヶ月後の誰かの命を失わないために、医療現場の医療専門家たちを守るために必要なことだと信じて日々生活してますが、自分の子どもに無理を強いているかも、とリアルな場を見て自覚した時に、なにかが崩れたんでしょうねえ。。。あー、お恥ずかしい🙇♂️
横にいた妻は優しかったです。ありがとう。
遊んでるうちに呼吸が苦しくなって子どもたちがつけていたマスクを外すのも、親御さんが注意してくれたことを守れないのも、うちの子含めて"こどもあるある"で仕方ないこと。
ぶっちゃけ、親や地域がどう頑張っても、いまの状態ではこどもの感染を予防することは無理だと感じます。そしてこどもから大人に家庭内で感染は広がります。欧米での事例を見るまでもなく。
だからこそ世界中の日本以外のほとんどの国では国家が強制力を働かせて外出禁止措置をとっているのでしょう。。。自粛の限界を極ミクロな地域生活で感じたのでした。
さて、2回目の号泣は、昨日も書いたハナレグミさんの無料youtubeライブを夜、視聴していてちょうど大好きな「きみはぼくのともだち」を家族がそれぞれ好きなことしている状況で聞いていた時。
息子たちもこの曲をぼくが赤ん坊の頃から子守唄で歌ってきてたのでよく知ってます。
イントロで、ん?どっかで聞いたことあるこの曲、有名な歌だよね?とか言ってて、歌が始まると、なーんだ、あの曲か!と^_^
ハナレグミさんの歌声を聞いているうちに、住んでいたカリフォルニアのRedondo Beachの海の近くのCapriという白い壁と青い屋根のアパートの一室で、泣き止まない0歳児の長男を抱っこして夜中にこの曲を何度も何度も歌いながら寝かしつけしていたときの気持ちや腕の感触や重さや赤ちゃん時代の軽さが^_^蘇ってきたのでした。
うーん、書いてても泣けてきちゃいますね。。
歌ってすごい^_^
そんなハナレグミさん好きで集まってオンラインダイアローグバーを今夜開店します。気になる方、覗いてみたい方、ラジオ的に聴くだけ聞いてたいって方は、ぜひお声がけください^_^
招待URLを、21時50分ごろからお送りします。
https://note.com/boonbeppu/n/nb765c73233cd
さてさて、タイトルに戻りますが、
鹿児島生まれの47歳男子にとって、
年頃の息子の前で泣くなど言語道断!^_^
だけど、泣いたら息子たちは笑いながらも優しかったです。妻も優しかったです。
泣いて恥ずかしいという感覚はあったけど、もういいかな、と思って泣き続けたところもありました。
美学は大切だけど、変わっていっていい。
そう思います。
新型コロナウイルスは、新しい病気、これまでにない病気です。これまでにない敵と総力戦の戦争を戦いながら、ある意味でともに生きていくしかない時代だからこそ、これまでとは違う生き方を、あり方を大人もこどもも、試行錯誤することにとても意味があるように思っています。
これまでの常識を捨てて
新しい価値観やビジネスモデルや仲間たちと
これまでの自分の殻や思い込みや
メンタルモデルを手放して
自分を解放していけたらいいなあ。
愛亀おちょこ、がのそのそ動き回る、日向ぼっこな朝の時間に、そんなことを、考えるのでした。
男も女も大人も子どもも立場も役職も関係ないす。
泣きたくなったら、誰かの前でもいいから、家族の前や友達の前や仲間の前や知り合いの前や見ず知らずの人の前や親の前で思い切り泣きましょう。
そして、
いたわりあいましょう。
ねぎらいあいましょう。
むしろ、誰かがいてくれる状況で、誰かと一緒に泣くのがオススメかもです。
zoomでやろうかな。
泣きバー^_^
子なきじじいと砂かけばばあの、あいの子みたいになっちゃった^_^
誰かが受け止めてくれる、居てくれる状況でオンラインで好きなだけ泣けるという、、、^_^
そして探求はつづく。
今後の展開によっては手放すことになるかもしれないオフィス。愛着のある理想の空間だからこそ、手放したくない執着と向き合ってます。
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withコロナ情報
いよいよコロナ対策の専門家の先生たちが広報に乗り出しました^_^!すでに日本も諸外国同様の戦争状態に突入しています。
みなさんの、一般市民の行動変容(家に困って外に出ない、通勤しない、誰かに合わない、マスクする&三密を避ける、ソーシャルディスタンスを取るetc)が、一番大切だからです。
拡散しましょう!
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