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どこでどう育ったのか、について考える -スマホで100日連続noteに挑戦day54-

タイトル画像は、近所の公園の落ち葉たち。美しさにいつも惹かれます^_^

恩師の金婚式に参加して先輩方から楽しく昔のお話を聞いたり、妻や仲間たちと昔話する時間が豊富だったので、本日は標記について。

自分はどこで、どのように育ってきたのだ、という自覚

同郷の同窓の先輩たちや後輩たちと話すと、似たような環境で育ったにもかかわらず、感じてきたことや体験したことがかなり違うことに思い至ります。

関連して、自分の子供のころのことや、一番最初に出会う大人たちである親戚のことを思い出したりしながら、人生の最初に、「人間関係について探求する」というお題を受け取っていたことに気付いたりして。

また、別の場面で友人の若いころの話を聞いて、自分のことを思い出したり。

そんな時間を過ごしてして、なんだか、自分がどこでどのように育ってきたのか、について自覚的になる、というか、思いを馳せる時間が訪れました。

これまであまり自覚したことがなかった自己認識。

サバイバルしてきた自分へのねぎらいと共感

この年になってようやくわかったことですが、そんなお題やアイデンティティに自覚的になり、これまでの人生で、時にはあやうい場面を乗り越えながら、いまこうしてサバイブして生きていることに、自分に対してねぎらいと共感を感じたりして、ちょっと驚きます。

自分の場合
・人生の最初で周囲の大人たちから家族関係、人間関係の課題を提示され

・それに伴いお金に対する悪いイメージを持ち

・そこスタートで、探求が始まり

・人生の前半でまず、看護や医療やヘルスコミュニケーション研究の世界を通じて、人間心理と人間関係について課題探求と課題解決について探索して

・実社会で家族を養うためにお金と向き合いだし

・人間関係や人間のこころの問題に向き合う力を得た後に

・民間企業や病院経営や個人事業主の世界を通じて、お金と真剣に向き合い

・お金のことが一部、理解できてきた頃に

・人の心理と行動について、理解を体系化して実践行動に移す、事業化するフェーズへ

・事業化に伴い、お金のことにもさらに向き合うのだろうなあ。。。


でも、似た環境で育ったひとが、全く異なる内面世界を生きてきていたりして、はたと驚くわけです。

違う人間、違う生い立ち、違うバックグラウンドなのだから、そりゃそうだ、なのですが。。。

だからこそ、いまこうして生きている自分にねぎらいと共感を、改めて感じたりしているわけですが、なんだか今日は、そんな今の自分が、好きです。

どこでどう育ち、いま何を思い、これからどう生きていくのか

の真ん中に、ひとはいつもいるはずなのに、日頃考えることあまりないですよねえ。

そしてそれぞれのフェーズに対する言語化も、大人になっても意外と進んでなかったり。

自分はある意味でつらかった子供の頃も、幸福だった子供の頃も、ようやくどちらも思い出して今を生きています。

冬隣りの秋晴れの日に、そんなことを思いながら、これからのことをわくわくしながら考えるのでした。

考える力を、未来を創るために使う。
自分にダメ出ししたり、誰かのことを悪く言ったり、ベキ論やねばならない論の為ではなく。

そして感じる力を、呼び覚ます。
先生になり得る存在すべてに敬意を払いつつ。赤ん坊にも、動物にも、こどもにも^_^


そして、探求はつづく。

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通りすがりの紅葉。良い天気でしたね^_^

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