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「日記を脱ぐ」2021/11/15(月)


悠久の時を経て日記。
およそ半月前に下書きをした日記を書き上げた。半月寝かせたからといってクオリティに差は出ないことが分かった。
文章を考えて書く(打つ)って工程に思いを馳せるだけでたるくなるのだが、実際打つとそこまでではなく、しかし思考の殴り合いになり(この文章はいけすかない、この語感は喧嘩売ってる、なんだこの文意味分からんいや分かれ等)書いては消して書いては消してで疲れるのだが一通りできあがると達成感はある。なにを達成したのかは謎。そこに反応や承認を求め出すと地獄なので意識しないようにしている。脱ぎ捨てっぱなし。
しばらく記してないと、ネタが溜まるか同じこと考えてるかの状態になる。前者は良いが、後者はずっとその日の思考を着回している、「あれ、これこないだも考えてたなぁ」となってくる。思考に進展がなく、虚無。

vlogについて。
休日はねこに次いでYouTubeしている。YouTubeの中でも大食いに次いでvlogをよく見ている。ねこ>|超えられない壁|>大食い≧vlog。
なぜvlogを見てしまうのか。ふらふらと考える。
・その人の生活を知りたい→すでに名の知れた人のvlog
・丁寧な暮らしぶりをみて自分にトレースする(もしくはした気になる)→一般人でも丁寧めに動画を作っている人のvlog(4分割されたサムネの一枚がだいたいお空)
・自分と似た状態のダメダメな生活を肯定されたい→一般人で生活の途中からそのままカメラ回しました系のvlog(タイトルにズボラ)
vlogも言うなれば日記と同じ生活のlog(記録)で脱ぎ捨てられた何か。他人がまとっている服を見る需要もあるし、誰かの脱ぎ散らかした服を見る需要もある。


(電車降りたので終わりとする)

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