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「オタクがなにかいってるよ」2021/06/20(日)🛵90

・へいへいへいへいヘい

・この中に一つ、カタカナの「ヘ」がいる…


・今日は洗濯機の上が人気だった。ねこらはしばらく争いを繰り広げていたが


・最終的に仲良く転がっていた


・尻穴かぐなや


・いや、争いをおさめるためには、まず己が全てをさらけ出し「敵意はありませんよ」とアピールすることから始まるのだ、というねこからのありがたい教えかもしれないな。ねこは平和主義


・いや、どっちも迷惑そうな顔してんな



・は〜〜〜〜帰宅時に2時間半電車乗るのは堪えるな

・日記のタイトル、きちんと回収したいんだよ私は



・暇なので、オタクがオタクのことを考えるよ

・オタクの心理に最近興味がある

・例えば、「推しの行った場所へ訪問する」などの追体験

・「追体験」で検索すると、臨床心理学におけるトラウマ関連のワードとしてでてくる。暴力的な両親を見て育ったから、自分はああはなるまい、と思っていたのに、なぜか親の軌跡をなぞってしまう…のような現象。どちらかというとマイナスイメージの言葉として登場する

・オタクにおける「追体験」はちょっと違う気がする。推し=好き、という方程式が成立する限り、好きな対象が体験したことをなぞるのは(それが良いことであれ悪いことであれ)、心動かされる経験となる。普段何気なくしている、どこそこへ行った、なにそれを食べた、に付加価値がつく。「推しが訪れた」どこそこへ行った、「推しが舌鼓をうった」なにそれを食べた、というふうに。人によっては、日記やブログへ記録するだろう。

・推しの経験をなぞることで感覚がチューニングされ、より推しの思考・嗜好を理解する。その結果、己の中に推しが擬似的に顕れてくるのではないか

・そうなったらこっちのもんだ。推しとどこでもいっしょ

・自分が推しに成り代わりたいわけではない、ような気がする。推しはあくまで別個人。その状態で共に在りたい、という欲望が満たされる

・追体験の究極形態がコスプレ、な気がする。究極というと語弊があるが、数ある追体験の中ではハードルは多い方だろう

・話は戻るが、オタクの追体験、宗教における「巡礼」に通ずるものがあるな。まんま「聖地巡礼」である。物理的な移動だけではなく、食事や体験なども含むようになると「巡礼」ではなく「追体験」の方がしっくりくる

・また、前者は元々宗教ワードなのもあるためか、いっちょ腰を据えて取り組むか!な一代イベントの印象が強い。そこから得られる体験は一生の宝になる。いや、「ならなければならない」というある種の強迫観念・気負いもあるかも知れない。こんなに遠くに来たんだから、こんなにお金をかけたんだから、何かを得なければ、というような

・それに比べると「追体験」はいくぶんライトなイメージだ。「お、推しのツイッターで見たアイスだ。食べてみるか〜」のように、日常でできる推し活である。SNSの普及により、他人の行動や思考を簡単に覗けるようになり、推しの追体験が気軽にできるようになった

・SNSの話まで足を突っ込んでしまうと、もっと詳しい人たちの領分な気がするのでやめておこう。他人の「怒」に触れると消しとぶ弱きオタクなので…

・まぁ、無害だし、むしろ経済効果も期待できるので、そっと続けさせてほしい




オタクの「追体験」の例


・ここまで書いておいてなんだが、「推す」ってなんだろうね???


・疲れたので終わる



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