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「かわいいの見逃し/異常嗅覚」2024/07/25

今日はなにしてたの。

落ちているねこをふと見ると、かわいい。

見ていない時もかわいいのだろう。
今まで一体どれくらいのかわいいを見逃しているのか。
かた時も目を離せない。



時代もテイストもバラバラな3人の男たち。
ペットボトルで結ばれる縁。


東京で働いているくせに初めて見る麒麟の橋。バレぬ様はしゃぐ。

行方不明展へ行く。
行方不明になるにはいささか暑すぎる日。


行った。
良かった。
なかなか混んでいた。夏休み周波を受けておそらく小学生〜中学生くらいまでいた気がする。

100枚近く写真を撮り、スマホの充電がギャンギャン減っていく。さいたま国際芸術祭の時は充電器を忘れて、展示の後半は厳選して写真を撮っていた。その時は最終、なんとか2%で乗り切った。
今回は充電器を持参。安心して撮りまくった。


行方不明展、おもしろかった。
薄汚れた公衆電話は室内にあるだけで異様だし、山積みのガラケーにはポケモンパンシールが貼ってあったりして物から人の気配が漂っている。
サントリーの2リットルペットボトルに詰め込まれた吸い殻はちゃんと全部吸い切ってある物で、展示として白い台の上に乗っているから異様だ…と思うも、川っぺりに落ちていたらそのまま気がつかないだろう。
あと、室内にうずたかく積まれた土山を囲んで、小さなテレビの映像展示やエレベーターで不思議な乗り方をしている映像を、赤の他人と大勢で囲んで見た。
はたから見たら、その状況自体が異様すぎておもしろい。


睨んだ通り、趣向はさいたま国際芸術祭の様な、一見不可思議なものたちの展示だった。展示の風情が似ている。

大きな違いはキャプションの有無の様な気がする。
キャプションがつくだけで、一気にちゃんとした展示になる。名刺を渡されている様な。
そして鑑賞者はそれを「読む」。これがけっこう違う。
これはこう見てください、そう読み取ると繋がりますねのサイン。展示物側からある程度、読む速度や見る角度のサインがある。また、キャプションを読んでいると他の鑑賞者にも引っ張られるものがある気がする。
キャプションなんて、一般的な美術館や博物館のような「展示」を冠するものにはあって当たり前なのに、一度キャプションのない展示を体験してしまうと、それを嗜好してしまう。明確な「正解」や「ストーリー」がこっちに委ねられており、展示物もただそこに在るだけ。ある意味で不親切な、しかし何か意味ありげなものたちがそこに確かに在る。

さいたま国際芸術祭ではそれに惹かれた。
キャプションは一切なく、自分で展示物(?)を見つけて勝手に解釈していく。住所も電話もない会社なので名刺なぞありません、お好きにどうぞの展示物たち。なんなら展示ですらないかもしれない。展示かどうかは鑑賞者の解釈次第。

テーブルに乗ったスポンジ。
それ以上でもそれ以下でもない。


帰りに見たら開いていた

芸術祭のことばかり思い出して失敬したが、行方不明展も存分に楽しんだ。この展示のテーマである行方不明という現象については、追々考えそう。
1時間は短すぎる。落ち着いたらまた行きたい。

会場の外に出ると目の前に電話ボックスがあり、ドキッとする。
行きにもあったはずだが、全く認識していなかった。
鑑賞後の、異常に対する異常な嗅覚の発達。

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