私は嫌いじゃない、24時間テレビ
今年も始まりました、24時間テレビ。
やれ、偽善だ、感動ポルノだ、出演者のギャラを寄付しろ、だ、毎年、風当たりが強い番組です。
今年はジャニーズ事務所の問題もあって、さらに強い逆風の中での放送になりそうです。
確かに以前、感動させるため、みたいな過剰な演出とかがあったことは否めないけれども、でもなんだかんだ言って、この番組には大きな功績もあると思う私です。
なんせ2日間で毎年2億とか、過去最高で20億(東日本大震災の年?)とかの寄付が集まるイベントなんて、他にはないでしょう。
タレントのギャラが話題になるけど、好きなアイドルが出てるから、そのタレントに会いたいからチャリティに行こう、アイドルとお揃いで着たいからTシャツを買おう、、という効果をもたらすわけで、名もないボランティアさんたちがいくらやってもこれだけのお金は集まらないと思う。そして、「人寄せパンダ」「金寄せパンダ」だとしても、アイドルやタレントなどを生業としている「プロ」が出るのだから、その対価は払われるべきだと。
日本は「福祉」が絡むと「お金」を取るのは邪道、ボランティアでやるべき、みたいな考えがいまだに根強いけど、ね。
まぁ、もらったギャラをどう使うか、「寄付する」とかはアリだとは思うけど、無償で出演しろ!というのは、なんかおかしいなぁと思うのです。
まぁ、普段からチャリティやってるYoshikiさんですら、わざわざこう説明しないとならないくらいらいろいろ言う人がいるんだろうね。
ともあれ、毎年集まる膨大なチャリティ、、その恩恵は、障害者福祉だけでなく、災害被災地の復興など広く活かされています。
私たち身体障害者補助犬界でも、啓発のための動画やDVDをこの24時間テレビチャリティで作成しています。(私とチャンプも出演 笑)
集められたお金がこんなことに使われていますってことも番組の中で紹介されてます。
街角で、炎天下、イヌを連れて募金活動している団体の募金箱に入れるより、よっぽどお金の行方が分かるチャリティだと思います。
あと、もう一つの功績は、やはり「知ること」のきっかけとして。
日本はこれまでの考え方や教育ゆえに、心身のimpairment(機能的障害)を持つ人を見たことがない、会ったことがない、という人が多くいます。
そういう人にとって、自分たちにとって当たり前の機能が失われる(失われている)ということは、想像しづらいことであり、全く別の世界のこと、あるいは、存在しないものとすら感じるかもしれません。
多くの人が、マジョリティ(多数派)のカタチややり方を「スタンダード」として、それ以外のカタチや方法は「無いもの」としがちだけれども、見えることが当たり前の人がいるように、見えないことを当たり前として生活している人もいるし、足ではなく、車イスを使って移動する人、音声を使ってコミュニケーションを取るのではなく、他の手段でコミニュケーションを取る人もいます。
いろんな人がいて、いろんなカタチがあって、いろんな方法がある、ってことって、なかなか、見えない。
わからないから、自分とは違うカタチを恐れたり、避けたりしてしまう。
だから、番組を通し、こんな病気や難病がある、とか、こんな生きづらさがある、でも、みんな、この社会で生きてるんだよ。違うカタチだって、いいんだよって。そういう気づきがもたらされるんじゃないかな。
そしてそれは、いつか自分自身が、これまでの当たり前が崩れた時に、絶望でなく、希望にもつながるかもしれないと思うのです。違ってもいいんだ、違う方法でもいいんだって。
たとえば、、、毎年必ずある、聞こえない子供達による演奏やダンス。
その練習風景を見ることで、聞こえないと「動きを合わせる」ことがとても困難になるということを初めて知る人もいるだろうし、リズムをカウントして見せたり、スピーカーや太鼓の振動を使ったり、という方法があるってことも知るかもしれません。できないことばかりを見るのではなく、「どうすればよいか」を考えるって大事ということ。
今年も「イッテQ」の女芸人さんが聞こえない子供達とインドナートゥダンスにチャレンジ!がありました。
練習の時、いとうあさこさんが手話で話しかけたり、一緒にパフォーマンスする高校生たちが「聞こえない子と一緒にやるのは難しいと思ってたけど、身振りとか、書いたりすることで伝わった!」と言ってたりしてました。
ダンス後、ろう学校の子が手紙の朗読で感謝と、そしてテレビを通して多くの人へのメッセージも読み上げて、感動しちゃいました。いいことだ!!
そういうのを見てると、パフォーマンスを通して、いい体験・経験をしてるのは、聞こえない子供たちだけでなく、タレントさんや他の出演者たちもなんじゃないかな、と思います。
それもこの番組の功績なんじゃないかなー。
…と、24時間テレビ激推しみたいに書いてきましたが、これはどうなの?と思うのは、恒例のマラソン。
ランナーに選ばれた人はそれぞれいろんな思いを持って走り、その姿にみんなが感動する、ってことなんだろうけど、、警備とか、メンテナンススタッフとか、ほんとお金も手間もかかってる。
言い方悪いかもしれないけど、なんとなく自己満足的な気がしちゃう。最後はサライが流れて「ゴール、TVの枠に間に合う?間に合わない?」とかになってバタバタと終わることが多いけど、そこは24時間やってきたメインパーソナリティたちの思いを聞きたいなぁ、と毎年思ってしまってます。なんかいつもモヤモヤなフィナーレ。
そんなこと思ってたら、乙武さんがこんなことを書いてました。
障害の疑似体験、、「モニタリング」みたいに、タレントさんと分からないようにして、車イスで街に出て、「普通の」1日を過ごす。
物理的な壁にぶつかったり、冷たい視線を浴びたり、、。
単に買い物に行きたいだけなのに。
単にご飯を食べに行きたいだけなのに。
そんなリアルを体験してもらえたら、きっとみんなの大きな気づきになるだろうな、と。
無理かなぁ。
とはいえ、今年の「おじさんマラソン」のヒロミさんには、中年の星として頑張って欲しいです。
ともあれ!
今年のメインパーソナリティは、なにわ男子。
明るく元気な彼らが、いろんな人との出会いやチャレンジなどを通して、さらに楽しく面白く、アイドルとしてもタレントとしても俳優としても一回り大きくなってくれるといいなぁ、と箱推しの1人として願ったりします。フィナーレまで、頑張ってね!