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パラリンピックのレガシー

オリンピック開催中から、日本中でコロナ感染がさらに広がっていって、パラリンピックは中止になるんじゃないかって話まで聞こえてくるような状況での開幕。

もちろん今でも賛否はあると思います。
でも結果論かもしれないけど、やってよかった、やってくれてよかった、と思いました。

閉会式のコンセプトは「調和する不協和音」。
「多様なもの」「違うもの」が一つの色になるんじゃなくて、その「違い」が輝く世界を作り出すことを目指す、、まさにパラリンピックの意義を表しているように思いました。
カラフルなダンス、花火が素敵でした。

国立競技場、カラフルな花火

そして、パーソンズIPC会長の挨拶、めちゃくちゃよかった!
「日本の伝統技法の金継ぎのように、すべての人の持つ不完全さを隠すのではなく、大事にする」
「アスリートの後ろにいる12億人を取り残さない」
「これで終わり、の閉会ではなく、全ての人が共生できる未来への始まり。」

ジーンとして聞き入ってしまいました。
熱い男!って感じ。イケメンですし(笑)
最後の「本当はやりたくないけど、閉会を宣言する時が来た」って言葉にもジーン。
終わっちゃうんだな、と。

#wethe15のパーソンズ会長

次の開催国パリの紹介ムービーは、国歌から始まりました。
ルーブル美術館での手話表現がなんか神々しかった。最後、市長と同時に胸に手が当てられて、素敵でした。

フランス国歌の手話パフォーマンス

胸に手を当てるパリ市長


そして最後の「What a wonderful world」
ルイ・アームストロングの名曲。
聞き取ることはできないけど、歌詞を思い出しながら、聴き入り、映像を見て、うるうるしてしまいました。
♪あぁ、この素晴らしき世界♫
(手話も素敵でしたが、会場スクリーンの英語&日本語歌詞が見たかったなぁ。)

事故で半身麻痺のボーカリスト奥野さん

バイオリン&手話&歌(筑波視特支高生)



いつの時でもパラリンピックに対して、「障害者を見世物にしている」みたいな意見もあるようですが、でも「見る」ことで「知る」ことはたくさんあるはず。

「障害者」なんて、自分とは関係ない。
「障害者」なんて、可哀想な人たちだ。
そう思っていた人たちがパラリンピックを見ることで、何かが変わるかもしれません。

全ての障害者がパラリンピアンのような成果を出せるわけではありません。
IPC会長の言うように、アスリートの向こう側には12億の障害のある人がいるのです。
頑張りたくても頑張れない、飛びたくても飛べない人もいるに違いありません。

でも少なくとも、これまで「障害がある」というだけで、「何もできない」と思っていた人は少なくないでしょうし、中には「生きている意味がない」と思っている人もいるかもしれません。
それは健常者と言われる人だけでなく、障害者自身の中にも。

私もなんだかんだ言っても、実はかなり自己肯定感が低くて、いろいろなことを「聞こえないから仕方ない」と思ったりしてしまってます。
でも、今回のオリパラで耳が聞こえない人が手話通訳などを介してでもボランティアに参加しているのを知りました。
パラの開会式では、車椅子や義足のボランティアがプラカードを持って入場し、閉会式ではボランティアの代表で盲導犬ユーザーさんが壇上に!

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あー、私にもできたことがあったかもしれない。
「聞こえないから応募しても無理だろう」と諦めていたことを後悔しました。


車イスでも、少しルールを変えただけで、同じボール、コート、ゴールでバスケができるのです。
目が見えなくても、タッパーのサポートでプールで泳げるのです。
自由に動けなくてもできるボッチャ、
ボールを投げることも困難ならランプ(勾配具)を使えばいいのです。

大事なのは「できない」と諦める前に、「どうすればできるか」を考えることなんだなぁ、と改めて感じました。

パラリンピックでは、すべての競技に、さまざまな障害を持つ人たちがその競技をするために考えられた工夫やルールやサポート、道具などがあります。
そういう考え方、、それは、共生社会への道標になるんじゃないかな、とも思うのです。

NHKのパラ番組や中継では、手足の不自由な方や耳の不自由な方がリポーターとして出演していました。

NHKパラリンピック放送リポーターが紹介! パラアスリートの魅力と競技の見どころ | パラサポWEB
https://www.parasapo.tokyo/topics/34467

CMでもたくさんのパラリンピアンや障害のある人が出ていました。

これ、パラだけで終わらせて欲しくないと思うのです。テレビでお天気のお姉さんが義足だったり、
現地からのレポートをする人が隻腕(片腕のない状態)だったりしてもなんの問題もないと思いませんか?
今回のパラで「出来る」ことは証明されてるんです。
ぜひぜひこれからもあちこちで活躍している姿が見たいと思います。
それが「当たり前に」なることが、本当のダイバーシティではないのかな?と。

いろいろな違いが生み出す力、それが今回のパラリンピックのレガシー(遺物)になったらいいなぁ、と思います。

消えつつある聖火


あーぁ、終わってしまいました。
7月末の五輪開幕からの1ヶ月半、ステイホームの友はテレビ観戦でした。、
今日から何をして過ごそう、、、。


このオリパラの東京開催が決まってから、少しずつ進められてきた「ユニバーサルデザイン2020行動計画」。
社会のあり方、構造物、教育、etcの変革。
これはオリパラが終わったから、おしまい、ではありません。
オリパラはあくまでもきっかけであって、これからもずっと取り組んでいくべき課題だと思うのです。
私も構成員として関わってきました、このUD2020。
当事者の1人としても、これからも考え、動き、訴えていきたいと思います。

そんな決意が、私にとってのオリパラのレガシー、かな? これからも自分なりの歩みで、頑張っていきましょ。
私にもまだあるかな?翼。
We Have Wings

#WeThe15


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ぶーみおちゃんぷ
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