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同じ目的ならみんなで協力してやる方が手っ取り早くない?と思う鑑賞サポートの謎

前回のnoteに書きましたが、男子バスケがパリオリンピックの出場権を自力で手にした昨年のW杯のドキュメンタリー『BELIEVE 日本バスケを諦めなかった男たち』を観てきました。


上映館限定、4週間限定のはずでしたが、オリンピック前の強化試合がテレビで放送されたこともあってか、反響も大きかったようで、延長&拡大上映されることになったと。

この作品、公開当初から、Hello Movie対応で、バリアフリー字幕&音声ガイド付きでした。

私たち聴覚障害者よりもっとスポーツ観戦にバリアーの多い視覚障害者に、試合のドキドキ、熱気が伝わるように、というガイド制作者の想いも聞いていたので、多くの人に観て欲しい作品。

劇場での上映が続く中、今週からはAmazonPrimeでも配信が始まりました。

https://watch.amazon.co.jp/detail?gti=amzn1.dv.gti.f05a3d9b-3fa0-4b74-a2ab-d44382ea9571&territory=JP&ref_=share_ios_movie&r=web

ただし、字幕はありますが、音声ガイドはありません。
なので、視覚障害の方はスマホでHelloMovieアプリを併用してガイドを聞くことになります。

実は字幕も、わざわざアマプラで作成したものらしいのです。
HelloMovieですでに字幕も音声ガイドも作ってあるのに、なぜにわざわざ別に作る?
HelloMovie側はデータの活用を勧めているらしいのに、なぜわざわざ手間をかける?

しかも、その手間のせいか、配信では音声ガイドは取りこぼされてしまっている。

劇場での上映の場合、観る人は様々で、字幕の必要のない人の中には、焼き付けの字幕を煩わしく感じる場合もあるかもしれない。
音声ガイドが会場で流れたら、見えている人には本来の音声と聞き分けられず、混乱するかもしれない。
だから、字幕メガネやスマホを使っての字幕や、イヤホンを使った音声ガイドにすることで、それらを必要としている人も必要としていない人も、同じ会場で気持ちよく鑑賞できる「歩み寄り」になるのが望ましいと私は思います。

でも、配信は違います。
観る人が、自分の望む設定して、自分のやり方で鑑賞できます。
CC(クローズドキャプション)で字幕を表示したり、副音声で音声ガイドを聞いたり。
今流行り?の倍速で観る人もいるかもしれません。

そうやって、自分のデバイスで、自分に合った形で鑑賞できるのが配信のいいところ。

私が頼りにしているNetflixは、ほとんどが日本語字幕付きで、音声ガイドが付くものもけっこうあります。
中にはこんなものも。

映画シティハンター

映画シティハンターの音声・字幕案内画面

外国語の音声ガイドや字幕ガイドまである!
(字幕は外国語映画の日本語字幕のようにセリフを日本語にするもので、字幕ガイドは効果音、BGMなども見える化するもの)

これって「いろいろな人が観る」ことを想定していることの表れだと思うのです。
ていうか、いろいろな人に観てもらいたい、っていう気持ちの表れかもしれません。

でもこれってかなりレア。

他の大手配信サービスを見てみると、日本語字幕付きが少しずつ増えてきているもの(アマプラ、Huluなど)もあるけれど、ほとんど字幕がつかない(U-NEXT、wowowデマンドなど)。そして、音声ガイドがつくものはほとんど無し。

同じようにお金を払ってそのサービスを受けようとしているのに、障害がある、言葉が違う、ということで、観れるもの、観れないものの差が出るのは、おかしいって思ってくれないのかなーと思っちゃいます。

で、そういうことを問い合わせると、「分かっちゃいるけど「予算的な理由」「手間的な理由」で、できていないのよ〜ごめんなさい!」という返事が多いのです。

予算?手間?
劇場上映時に字幕も音声ガイドもついてる=データはあるじゃん、それを活用しようとかって思わないのー!?
何でもかんでも、自分でやらなきゃ、とか、他と手を繋ぐなんてプライド許さない!とかじゃなくて、「誰もが楽しめるように」「1人でも多くの人に作品を届けられるように」っていうことで連携できないもんだろうか。

大手企業や自治体が「助成金をうけて、〇〇実現のため、頑張りますー」みたいなこと表明した時、「えーそんなのもうあるよね」ってことも、けっこうあります。
「大手」って言われるような、声も規模も大きいところが手がけたものだけが信用できる、みたいなのがあるのでしょうか。
私たち当事者からすれば、なかなか声が届かない、でっかい組織よりも、私たちの声に耳を傾け、それに応えて、理想の形に近づける努力をしてくれるようなところの方が信用できるのだけど、そういうところはたいてい規模が小さく、資金とか人手とか潤沢とはいえないところが多い。
その分、国とか上の方からのしがらみが少なく、自由な発想で、そんな機能はどう?あんな機能があったら、、と柔軟に取り組んでくれてるとも言えるのだけど。

なんとなくの「名」や「コネ」や「見栄」とか、みんなとっばらって、カネ、アタマ、技術、設備、、それぞれが持つものを寄せ合って、おっきな目標のために一致団結してくれないものだろうか。

協力し合うどころか、足を引っ張りあってる感もあって、残念でしかたない私です。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
聞こえない歴も30年超えベテラン?に。
「障害者だから」と弁えて、「しかたない」と諦めてばかりいられない思いを綴っています。
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