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試される大地、試される我
僕は北海道出身なのだけど、北海道には公式キャッチフレーズとして「試される大地、北海道」というものがある。
道民として結構この言葉は気に入っていて、誰から何を試されてるのかはさっぱりわからないけれども、何かを期待されてる感とか、フロンティア故のチャレンジ精神みたいなのをくすぐられる絶妙な言葉選びだなと常々思ってきた。
「試される」という言葉には上下関係が暗示されていて、高次の何かから、発展途上の自分達に対して何かしらの課題が課されている響きがある。
自分の生活に照らし合わせれば、何かうまくいかないこと、困ったことが起きた時に、奥歯を噛み締めながら、「ちきしょう」とか「ふざけんな」という思考が0.2秒ほどよぎるのだけれど、ふっと力を抜いた瞬間に心の中でこの言葉が聞こえてくるのだ。
「おい今、ひょっとしてさ、試されてるんじゃないの?」
何者かからの試験は突然に始まる。
論文のテーマに困っていたときに飛び込んでくる偶発症の症例
勉強しなきゃなと思っていたときに上司から課されるタイムリーなテーマの仕事
いいかげん仕事がもっと上手くなりたいなと思ったときには、土曜日も働きに来ないかとお誘いをいただいた。
勉強の仕方がさっぱりわからんと苦悩していたら、不勉強を懇々と諌められながら、自分がずっと求めていた臨床での勉強のヒントを示してもらった。
状況的には忙しくなるし苦しくなるけれど、その過程は徒労ではなく何かしらの成長の契機として自分をどこかに連れていく。
ぎりぎりと心を締め付けるような悔しさと共に、挽回するための一筋の蜘蛛の糸もちゃんと示される。
神様っているのかもしれないと、最近強く思う。
光り輝く人間の形をした何かを見ることはないけれど、自分の周りの色んな人の、その時々の発言には自分を導くヒントが散りばめられている。
そんなことに気づいてしまったら24時間、気が抜けないのだ。
今日もまた、誰かがいきなり僕を試す。