主催という表現〜講演会主催あとがき〜前編
去る8月11日に、センジュ出版代表吉満明子さんの講演会を主催させていただいた。
当初は8月の下旬を考えていたのだけど、丸山さんからご連絡をいただいて、僕と吉満さん両方に予定が入りそうになったので、相談して日程を前倒しに変更させていただいた。
そうして日取りが決まったのがイベントのほぼ一ヶ月前
一般的にイベントの告知は一ヶ月前からと言われているのに、その時点では何も決まっていなかった。
テーマだけは、その前の週になんとなく頭に浮かんだ「仲間がいるよ」にしようと思っていた。
なんのことはない、そのタイミングで無料配信されたワンピースの漫画を一気読みしていたのだ。
昔の自分からそんなストレートなテーマはつけなかったと思う。
何かしらカッコつけたり、洒落た響きの言葉を選ぶ方が好きだった。
理性が「ダサいからやめなよ」と言うのにも関わらず、僕の直感が「これでいく」と告げていた。
にも関わらず、頭の部分はピンときてないもんだから、全くイメージが湧かない。
とりあえず動かねばと思い、福岡の移動式書店るーこぼんのるーこさんにご連絡し、イベント画像をお願いした。
当初はイメージを「明るく温かな雰囲気の会」とお伝えしていて、画像の選択はるーこさんにお任せしてしまっていた。
出来上がってきた画像も素敵だったので、画像をもとにFacebookでイベントページの立ち上げ、Peatixで申し込みフォームの作成など普段苦手としている事務系を詰めていく。
その合間にも吉満さんから「主催の思いを文章にして下さいね。シェアしますから。」と言っていただいていた。
その言葉をMessengerでも、Facebookのコメントでもいただいた。
まずい・・・早く書かねば・・・と思いながらも中々筆が進まない。
なんとかひねり出したのがこちらの文章。
「仲間がいるよ」というテーマに反して書き出しから暗めである。
仲間をテーマにした講演会の主催が、一旦仲間を否定して良いものか?
自分でも何やってんだと思いながらも、ここで嘘をついてはイベントの軸がぶれるので、おそるおそる投稿した。
仲間というものに対する懐疑と再構築の過程、そして身軽になった現在の自分を、混沌と織り交ぜた文章は、果たして誰に届くのだろうか。
そう思いながら、文章を書き上げたのが7月30日。丸山さんのイベントの前日で、気づけばイベント当日まで二週間を切っていた。
そして一仕事終えた気分で、7/31の丸山さん主催のセンジュ出版対話型講演会に参加。
それを受けての自分の感想文。
そしてまた一つ解像度が上がる。
会の始めに、吉満さんが言った言葉。
「この対話型講演会を主催される方は全員もれなく、誰の、何のために会を届けるのか、それを考えてから、告知の文章、イベント画像、そうしたものを作り上げているんですよ。」
そうだったのか。
あれ、そんなこと、俺、してたっけ?
…
してない!
「届けたいたった一人を考える」
これは吉満さんが常日頃言われる言葉で、「文章てらこや」でも言われたことだった。
人が集まるイベントでも、同じことだった。
反応してくれた人に深く届けるためにこそ、心に思い浮かべる一人は絞り込まれていた方がいい。
その瞬間から、思考が巡りはじめた。
自分がこの言葉を引っ張ってきた意味。
日々抱えているもやもやを整えて、昇華して、届けるべき相手のこと。
丸山さん主催の講演会で、吉満さんの話を聞きながら、考え始める。
どんな人に届けたい?自分に問うてみる。
答えは明白だった。過去の自分のような人だ。
孤独を感じ、周りに自分が考えていることが分かってもらえないような気がして、荒んで、上手くいかなければ自らの思想の優位性を盾に、人を下に見ることで溜飲を下げていた、あの頃の自分のような人が浮かんだ。
そんな人が肩の荷を下ろし、本来の自分に立ち戻るための会にしたいと思った。
具体的には誰か、過去の自分、もしくは父の姿が浮かんだ。
地域の歯科医師会長に就任してからというもの、父はどことなく、しんどそうで、苛立っていた。
その感情は僕にも覚えがある。自身が困難なとき、孤独を感じるとき、読書のすすめで買った本はとても良く自分を支えてくれた。それは間違いない。
けれど、読んだ者が解釈を誤ると、いやなやつになってしまう危険性もあった。
知恵は、人を馬鹿にするために付けるのではないのだと、出会った人達が教えてくれた。
自分も周りも豊かにして、永く楽しく歩み続ける事が出来るのだと知った。
読書のすすめの本を読みながら、地域で勉強会を開いている岡山の松森さんのように、どれだけ学んでも、後に続く者のためにきちんと一段降りて話をする、こういう本の読み方をしていきたいと思った。
人生には、逆風を吹かせてくる人も必ず現れる。
反論や行動で、こちらの足を引っ張っているのじゃないかという気分になることも当然ある。
その苦しみを分かった上で、前を向くことを伝えたい。
反対勢力の分だけ、仲間がいるのだと。
あなたの考え方を理解する「誰か」にはいつか必ず出会えるのだと。
そんなことを、講演会に参加しながら考えていた。
その後、改めて自分の中に湧いてきたイメージは、「焚き火を囲んで、話をする」だった。
そうして検索して出会ったのが上の画像である。
7月の講演会後、るーこさんに申し訳ないと思いながらも、改めて画像を作り直していただく事をお願いした。
るーこさん、本当にすみませんでした。そして、ありがとうございました。
過去の自分を振り返っても、焚き火を囲んで語り合う、なんておしゃれなことをした経験はない。
けれど、小さい頃から事ある毎に外でやった焼き肉、バーベキューの時を思い出した。
火を囲んで、同じ方向を見ながら、話をする。
昼から夕方に向かう中で、暗さがお互いのあわいをおぼろげにしていく中で、ふと出る正直な感情、それが目指すべき方向性のような気がした。
講演会後の8月2日に、吉満さんから会の対象について問いかけがあった。
二日前に考えていたお陰で、すんなり答えられる。
「1人だけに絞るなら、どちらを選びますか?」
そう言われて、父のために作りたい。そう感じた。
ただ、その段階では現地限定としており、Zoomで配信する予定はなかったのだ。
だから、同じように孤独を感じている人に向けて、という事で、なんとなく動き出した。
告知も頑張ろうと、noteの更新をしてみる。
しかし、本番まで2週間を切っている。皆様それぞれ予定も入っていることだろう。
そんな中、ポツリポツリと、参加の申し込みがあり、胸を撫で下ろす。
10人くらい集まれば良いなと、なんとなく思っていた。
イベント2日前、参加者は7名にまで増えていた。
前日になり、夜寝ようと思ったら、丸山さんからメッセージが入る。
なんとも、ご家族の事情で、明日来られなくなってしまったとのことだ。
なんと…
残念だなぁ。丸山さんにはぜひ、観に来て欲しかった。
でも、まてよ?
今こそ、Zoomで繋げば良いのでは?
「もしよろしければ、Zoomでお繋ぎしましょうか?」
そう答えていた。
こちらの丸山さんとは、足立区の特殊印刷所、安心堂さんの代表取締役である丸山有子さんという方で、紙ではなくサーモスのマグのような物から線香、お米、グラスなどあらゆる物に印刷を行う印刷所を経営されている。
また、企業活動だけでなく、西新井の慈善事業「おせっかい子育てプロジェクト」というものに協力されている。
安心堂さんでは、そのプログラムの一つとして、児童養護施設の子ども達を期間限定で社員として迎え入れ、一緒に企画を練る取り組みをされている。
企画で作り上げるのは沿線グラスという安心堂さんオリジナルの線路が描かれたグラスで、子ども達と一緒に販売するまでを一連の流れとして行っている。
この取り組みが本当に素敵で、気づけば記事を追いかけてしまっていた。
そんな丸山さんが7月に主催された講演会のお陰で、今回の僕のメッセージが具体化したのだし、何より僕のこのイベントに、誰よりも早く真っ先に申し込んで応援してくれたのは他ならぬ丸山さんだった。
ここで諦めるのは、なにか違うと思った。
当初、このイベントをオフライン限定にしたのは、会場と画面の向こうの方々の両方を前に、僕が参加者の皆さん全員に、真摯に耳を傾ける自信がなかったのもあるし、「仲間」を考える集まりである以上、会場で同じ空気感を共有したいのもあった。
あと正直、配信をお願いする事への気後れみたいなのもあった。
予算的な問題も、吉満さんにお願いすることにも遠慮があった。
なので、今回はこれでいこう、と思っていたのだが、流れが変わり始めた。
正直、この段階では、丸山さんが座る分の席にPCをおいて、マイクを上手く繋げば良いだろう、位の軽い気持ちで考えていた。
夜も遅いし、吉満さんには当日の朝報告することにして、その日は寝た。
翌朝、僕は吉満明子という人の底力を目の当たりにすることになる。
後編できました。こちらになります。
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