地獄行きオクトーバー (6/10)
十月七日。裏路地。
その日もお姉といっしょに深夜までぶらぶらしていると、シルクハットの英国紳士が待ち構えていた。月明かりの下、ナイフをべろんと舐めている。
「キッヒヒヒ……。今晩は、お嬢さんがた。私は魔人ジャック・ザ・リッパー。貴女たちをズタズタに切り裂きたいんですが、いいですよねェ?」
ジャック・ザ・リッパー! かつてロンドンを震撼させた伝説の殺人鬼だ。わたしは不謹慎にもちょっと興奮した。
「いいわけないでしょボケ。裂くのはあたしの服だけにしときなさい」
「おやおや。これは必要な外科手術なのですよ。サキュバスの貴女は肉がつきすぎなので削ぎ落とした方がよろしい。そして薄っぺらいそこの彼女に移殖するのです」
「お姉こいつ早くブチ殺そうよ」
わたしは銃口を向けた。
しかしその直後、うなじにひりつきを覚え、振り返った。放物線を描いて何かが飛んでくる。
わたしはそれを撃つ。飛んできたのはカボチャだった。カボチャが爆ぜ、橙色の火がアスファルトにまき散らされた。
カボチャ、鬼火。そしてハロウィン。意味するものはただひとつ。わたしは睨んだ。夜を照らす炎のむこう、襤褸のコートをはためかせるカボチャ頭の魔人を。
「おれは魔人ジャック・オ・ランタン……。天国にも地獄にも弾かれ、現世を彷徨いつづける愚者。エクソシストの娘よ。お前はおれの彷徨を終わらせられるか?」
「お姉。こっちはわたしがやる」
「オッケー。あたしは変態の方のジャックね」
お姉はソウル・ドスを生成し、れろぉ……と舐めた。ジャック・ザ・リッパーが跳びかかった。
「キヒャアーッ! 貴女の血をダージリンに混ぜて、明日のアフタヌーンティーと洒落込んでやりますよォーッ!」
「やってみろやブリカスがァァァッ!」
交錯する金属音。それを背に、わたしは撃ちながら前進する。
ジャック・オ・ランタンは次々とカボチャ爆弾を投げつけ、射線をさえぎってくる。とても厄介だ。至近距離で爆発すれば致命傷となる威力なだけに、わたしはそれらを撃たざるを得ない。しかし撃ち落とすほどに鬼火がまき散らされ、障壁となってしまう。
「さっさと接近するしかないか」
膝を折り、身を低くする。わたしは走り出す。水面を切って翔ぶツバメのように、炎のなかへ突っ込んでいく。頭上でカボチャが爆発し、シスター服も、わたしの肌も焼き焦がす。構うものか。
炎を越え、奴がみえた。最後の加速。
わたしは腕を振り上げ、カボチャ頭の下から二丁の銃を突きつけた。
「ああ。これで永き彷徨も終わりか。それとも虚無を彷徨うか?」
「さあね。祈ってあげる」
撃った。カボチャ頭は弾け飛び、溢れた鬼火が襤褸のコートを焼き尽くした。穏やかな火だった。わたしは銃で十字を切った。
「いたた……いっぱい火傷しちゃった。聖水で治せるかな……ん?」
ふと、わたしは上をみる。廃ビルの窓で、何かが光った気がしたのだ。
しかし気配は特になかった。たぶん、鬼火の光が反射したのだろう。
「そっちも終わったかい、妹よ」
振り返る。アスファルトの火が消えていく中、お姉がジャック・ザ・リッパーの生首を片手に歩いてきていた。レオタードはズタズタにされ、あられもない姿をさらしている。
「いやあ、強敵だったわ。でもこいつ、あたしの肉を切るたびに絶頂しててさあ。触ってもいないのに吸精して回復できちゃって、なんかゴメンねって感じ」
なるほど。殺人鬼にも天敵っているもんだ。
◆
十月十六日。小学校の校庭。
クッパのコスプレをした獅子舞がいる。と思ったら、正体は魔竜タラスクだった。
「グワッハッハ! サキュバスとエクソシストが何の用じゃ! 儂はこれから『人の子、獲ったどー!』ってして、この子らを焼いて喰うんじゃ! 邪魔をするでない!」
タラスクは宙に炎を吐いた。奥で縛られている子供たちが、「きゃー!」と悲鳴をあげた。みんな布切れおばけとか妖精とかマリオとかの格好をしている。タラスクをクッパだと思ってついてきちゃったのかな。
「獲ったどーって、古くない? 流行遅れにも程があるわよ」
「二千年前のヒトだから」
そんなわけで戦い始めたのだけれど、これが意外と苦労した。こっちの攻撃をことごとく甲羅にこもって弾いてしまうのだ。その隙に子供たちを助けようとしても、にゅっと首を出して火を吐くし。
「んがーっ面倒くさい! ちょっとミナ、弱点とかないのぉ!?」
「伝説だと、聖女マルタ様が聖水を浴びせたら大人しくなったらしいけど」
わたしは歯噛みした。ふだんならミネラルウォーターで自作した聖水を持ち歩いているのだけれど、今夜に限って忘れちゃったのだ。
本当は、作り置きしたものがあるはずだった。でもなぜか冷蔵庫に入っていなかったのだ。お姉は魔族だから聖水は飲めないはず。記憶違いか、わたしの飲みかけを素材にしたからバチが当たったのかな……。
「聖水ねぇ。見習い聖女ちゃん、おしっこ近かったりしない?」
「……新しいの作ってくる」
お姉にその場を任せ、わたしは全速で最寄りのコンビニに走った。
いつもはヴィッテルで作るんだけど、サントリーの南アルプス天然水にする。ついでに子供たち用にお菓子も買う。駐車場で十字を切ったりなんだりしてペットボトルを祝福。ここまで十五分はかかっている。わたしはさらに全速力で街を駆けた。
「ハァー、ハァー……お姉、お待た……あれ?」
戦いは終わっていた。タラスクがひっくり返って伸びている。
ぽかんとするわたしをよそに、子供たちは安堵に泣き叫んでお姉に抱きついている。お姉は舌なめずりをした。
「あぁ~、子供ってかわいい~……。吸いてェ~……」
「お姉、どうやって……」
わたしはそこで言葉を切った。聞かない方がいい気がする。
◆
十月二十三日。河川敷。
ベンチがたくさん並んでいるその場所は、バブルの頃からカップルの聖地として有名だったらしい。少なくなったとはいえ、そういう意味では未だに現役の場所だ。ここを通りかかったら、全員色欲の罪で堕ちちまえと呪詛を吐きかけるのが作法である。
この夜も多くの若者で賑わっていた。ただ、男女比がいつもとちがう。男が100くらいに対して女が1なのだ。
その1の側、しおれた三角帽をかぶった魔女ラヴ・クラフターは、人垣に埋もれた状態で卑屈に笑った。
「ふ、ふひ、ふひひ……ど、どうよ、エクソシストちゃん。この男たちは、あた、あたしの媚薬入りキャンディーで支配した、つつ罪のない一般人よ。あんたら聖職者には、手、手ぇ出せないでしょ……?」
ラヴ・クラフターは混乱状態のアニメキャラみたいなグルグル目だ。服装は野暮ったいよれよれのワンピースで、布地がすごい伸びてるなと思ったら、びっくりするほどの巨乳のせいだった。たぶん尻もでかいんだろうな。
「あ、あた、あたしはね。何百年も前、女の子の恋を叶える魔女として、たくさん媚薬をつ、つくってたの。な、なのに、どいつもこっ、こいつも、あたしへの感謝を忘れて、あげく火あぶりにしやがって。ム、ムカついたから、この街の男をぜんぶ、寝取ってやることに、したわ。邪魔をす、するなら、ひどいこと……するわよ」
うーん。なんか倒す気が失せてきた。教会の指示だから見逃すわけにもいかないんだけど。
「街の男ぜんぶ? 見上げた根性してんじゃない。でもダメね。媚薬に頼ってるうちは、まだまだ二流よ」
「ひっ!? だ、だだだ、だれ!?」
ラヴ・クラフターが驚き跳ねる。
わたしはぬるりと銃を撃ち、街灯を捻じ曲げ、スポットライトめいてベンチを照らしだした。お姉が足を組んで座っているベンチを。
「強すぎる媚薬は愛を歪ませるわ。あたしらサキュバスは自然派よ。全身全霊で磨いた己のエロさで勝負するの。こんな風にね」
お姉は唇に指をあてる。そのままつつ、と、喉仏、鎖骨、胸の谷間へと下ろしていき、レオタードにひっかける。乳房を申し訳程度に隠していた布地が少しずつズレていく。
「えっ……えっ、えっ? そそ、そんな、それ以上さげたら、み、みえ」
ラヴ・クラフターは顔を真っ赤にしている。ゾンビじみた男たちも、視線がお姉の方に向いていた。
お姉はなおも止まらない。組んでいた足をほどき、M字形に広げ、エグい喰い込みを見せつける。さらに悩ましげな息を吐きながら、もう片方の手の指をそこに這わせ、なぞり、布地に……。ああダメだ。これ以上はわたしが鼻血だしちゃう。
「ひゃあ! ちょ、ちょちょちょちょっと、そそそれ以上は、やッ……やッ、やばっ、やばいッ、て!」
「ふうん。これだけやっても支配が解けないなんて。あんたの魅力も相当みたいねぇ」
「え、え? あた、あたしの……?」
ラヴ・クラフターは戸惑っている。男どもは媚薬とお姉の誘惑とに挟まれ、支配が揺らいでいる。今なら大丈夫だろう。
わたしは人垣のなかへ入った。特に抵抗を受けることもなく、するりするりと人垣を泳いでいく。一人くらいわたしに向くやつはいないのか? いいんだけどさ。
「ひ……ひいッ!? こここここ、こっち来てるぅ!?」
ラヴ・クラフターがわたしに気付いた。逃げようとしているけど、もたついているみたいだ。引っかかる部分が多いからか?
わたしは腕を持ち上げ、銃口を向けた。
「びゃあああああああ!? ご、ごめ、ごめんなざいぃ! ゆるじでええええッ!?」
濁った叫び声をあげて、魔女は箒にまたがって空を飛んだ。もう遅い。射程距離内だ。
わたしは空中に向けて撃った。ラヴ・クラフターは「ぴぎゃッ」と声をあげ、ドボンと川に落下した。死体は確認しなくていいだろう。わたしは脱力し、腕を下ろす……。
その時だ。いきなり後ろから誰かが覆い被さってきた。
「わあッ!?」
わたしは慌てて引き剝がし、振り返る。
支配を解かれた男たちはきょとんと辺りを見まわし、あるいはお姉のストリップに見入っている。わたしの方を向いている人は、少なくとも近くには見当たらない。人垣に紛れたのだろうか。
鳥肌が治まらず、わたしは肩を抱いた。