![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/41046555/rectangle_large_type_2_3ffd6acd3b534a1a2c592b2999c9df07.png?width=1200)
【けだものは神に祈るのか?】 #2
暮れ方。燃えるような色に染まった平原の道を、三人の冒険者が歩いていく。揃いの革製防具を身につけた剣士の少年と弓使いの少女が肩を並べ、その後ろにレイチェルが続いていた。
少年はケネト。少女はエメリという名である。彼らは同じ村で育った幼馴染らしい。ケネトは「エメリが勝手についてきた」と言い、エメリは「一人じゃ何にもできない奴だからついてってやることにした」と言う。きゃいきゃいと口喧嘩が盛り上がったところで「仲が良いのですね」と声をかければ、「「んなことない」」と声を合わせる。そんな二人だ。
三人は魔物退治の依頼を出した村に向かっている。冒険者ギルドで途方に暮れていたレイチェルを、彼らが誘ったのだ。「初心者二人じゃ不安な依頼だから」と語る様子は、冒険者として羽ばたくことに慣れ始めた者のそれであった。
「へえ、レイチェルさん、《緋色の牝鹿亭》に泊まってんの?」
退屈を紛らす雑談のなか、ケネトが問う。レイチェルは頷いた。
「ええ。長いことお世話になっています」
「あたしらも冒険者になりたての頃に何泊かしてたよね」エメリが言った。
「ああ。馬小屋よりはマシっつって、お前が探してきたんだっけか」
「そうそう、安かったから。従業員の男の子も素っ気なかったけど、居心地は悪くなかったな。レイチェルさん、あんまり儲かってないの?」
「そうですねぇ。何やかやと過ごす内に、いつの間にかなくなってしまっていることが多くて。お金って、どうして減っちゃうんでしょう?」
「いや、そりゃ、使うからじゃねーの……?」
「うーん、思い返してみても、使った記憶があんまりないんですよねぇ」
「なんか、意外だな。レイチェルさん、しっかりしてそうなのに」
「そうしたいとは思ってるんですけどぉ」レイチェルは重い溜息を吐く。「本当、自分の自制心のなさが情けないと言いますか。我ながらほとほと呆れる限りです」
レイチェルは金欠となった顛末を話した。ケネトは酒の金額に驚愕し、エメリは大笑いした。
「うへえ、一本で1000クリムも? なんでそんな高いんだ?」
「イスタリオ霊銀洞の湧き水で蒸留したお酒だったんです。ミスリルの霊力を豊富に含んだ名水で、最高級のポーションなんかに使われる素材ですね。だからとっても貴重なんですよ」
「へえー……。俺には想像もつかないな。安物のポーション買うのにも苦労するぐらいだし。美味いんなら飲んでみたいもんだ」
「無駄よ無駄。猪と羊肉の区別もつかないような味音痴じゃない、あんた」エメリはそう言って幼馴染を突つく。「猪にケツ掘られたくせにさ」
「誤解されそうな言い方やめろ。追い回されただけだっつってんだろが。子供のころの話をネチネチと……」
エメリは悪戯っぽく笑った。歩きながらレイチェルに振り返る。
「でも凄いね、そんな貴重なお酒を一晩で空けちゃうなんて。うちのおっ父も酒飲みだけど、きっと羨ましがるわ。そんなに好きなの? お酒」
「好きなのは好きなんですけれど、普段はそんなに飲まないんですよ。祈りの術をたくさん使って、霊力をたくさん消費した後だと、度をなくしてしまうんです」
「へえ? 霊術師って、みんなそうなの?」
「いえ、そんなことないです。疲労はしますから、お腹が空いたり元気がなくなったりとかはあるようですけど、お酒を飲みたくなるのは私の体質ですね」
「ふうん。ま、今回の仕事も注意しなきゃね」
「ええ、本当に」
真剣に頷くレイチェルが可笑しかったのか、今度は二人揃って笑った。
「あたし、レイチェルさんのこと好きになってきちゃったよ」エメリはそう言って、気安げな笑みを向けた。「ね、何で冒険者になったのか、聞いてもいい?」
「私の神様のお導きなのです」
「ご神託ってやつ?」
「そうなのでしょうか。未熟な私にはよく分かりませんが……」レイチェルは両手を組み、目を閉じた。「こうして祈っていると、私の内側から声が聞こえてくるのです。『善く生きなさい』。『手の届くかぎりの人々を救いなさい』。『世の中のことをよく知りなさい』……他にもたくさん。だから私は、そのようにしているだけなのです」
エメリとケネトは目を見合わせて瞬いた。深入りして良いものか、目線だけで相談しているかのようだ。
「よく分かんないけど……。要するに、色んな人の役に立ちたいってことだよね」
「そうですね。単純でしょう?」レイチェルは頷き、問い返した。「お二人は、どうして冒険者に?」
「俺らも単純。金のためさ」ケネトが答えた。「業突く張りの領主を戴く寒村に生まれると、苦労するって話」
「まあ……」
「枯れかけの土で作物を育てながら、山で鹿や猪を狩る。食い扶持くらいは何とか稼げる。でもそんな生活がずっと続けば、苦しくなる一方だろ。俺らはいいが、年寄りやチビどもをちっとでも楽にしてやりたいんだ。だから少しずつ仕送りしながら、あわよくば一発当てて、土地を買い上げられればいいなって」
土地を買い上げる。貴き血筋や家柄でなく、金銭と契約によって所有権が担保されるこのグランダース連合領ならば、確かに可能である。だが村ひとつ買うとなると、レイチェルが飲んだ酒がどれだけ必要になるだろうか。
ケネトの横顔は真剣だった。それを見るエメリの微笑みには、隠しているつもりなのであろう幼馴染への感情が、自然とにじみ出ていた。
「は……はは、大それたこと言ってるよな!」沈黙にくすぐられてか、ケネトは誤魔化すように笑う。「身の程知らずの戯言だと思って、忘れてくれよ」
「いいえ」レイチェルは首を振った。「叶うといいと思います。本当に」
ケネトは言葉を返せず、困ったように頬を掻いた。
小高い丘に隠れていた村が見えたのはその頃だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
村に到着した時には既に陽は沈み、満月が代わりに浮かび上がってきていた。
錆びた棒の頭に載せられた篝の中、焚かれたばかりの火が煌々と踊っている。同じものがもうひとつ。それらの間に隙間を残して、粗末な木の柵が村を取り囲むように立ち並ぶ。その隙間が村の入り口なのだろう。
そこには門番らしき男がいた。槍代わりのピッチフォークを両手で握りしめ、レイチェルたちを睨み据える。
「あ、あんたら、何者だ」
「冒険者です。リディアから来ました」先頭のケネトが両手を上げ、敵意がないことを示しながら答える。「狼らしき魔物の退治を依頼した村はここですよね?」
「ああ」門番は肩の力を抜いた。「わ、悪かった。依頼を受けてくれた人なら歓迎だ。まっすぐ行った所に村長の家があるから、詳しい話はそこで聞いてくれ」
「どうも」
三人は一礼して村の中へ入る。通りがかり、門番はレイチェルをじろじろと睨め回した。修道女が珍しいのだろうか。
よくある寂れた村である。ちらほらと姿を現す村人たちは、三人の余所者を倦み疲れた目で遠巻きに眺めるばかり。そこに期待の色はなかった。自分たちが依頼したとはいえ、異物は異物。警戒しているのだろう。
(それにしても……)
疲労。不安。それ以外にも何らかの感情の気配がある。この状況に微妙にそぐわぬ何か。レイチェルは訝しく思った。
陰鬱な空気の中、三人は無言で進む。
一際大きな──ボロ屋には変わりないが──家屋の前、初老の男が待っていた。
「ああ、よう来て下さった。儂がこの村の村長です」
「こんばんは。俺はケネト。剣士です。こっちが弓使いのエメリで、彼女は癒し手のレイチェル」ケネトが代表して挨拶した。「早速だけど、詳しい話を聞かせてもらえますか」
「勿論です。どうぞ、我が家へ」
村長に案内され、家の中へ入る。
部屋の中央には大きな食卓。一本の蝋燭のか細い灯りで照らし出されている。
「お疲れでしょう。討伐は明日になさるのがよろしいかと存じます。実はちょうど夕食にしようとしていた所でしてな、粗末なシチューで良ければすぐにご用意いたしますぞ。何、お気になさらんで結構。やもめ暮らしにまだ慣れておりませんで、つい作りすぎてしまうのが癖でして」
村長は返事を待たずに竈へ向かい、てきぱきと用意を始めた。
三人は勧められるままに食卓に着き、礼を述べて、木製の皿によそわれたシチューに口をつける。粗末というよりは素朴な味だった。
「ご馳走さんでした」ケネトがいち早く皿を空け、口を拭った。「そんじゃあ、仕事の話だ。ギルドで依頼内容は確認しましたけど、村長さんの口から聞かせてください」
「分かりました」
村長は訥々と語り始めた。
始まりはひと月ほど前のこと。森に入った猟師が狼のものらしき足跡を発見した。対策を講じている内に、川まで洗濯に出ていた娘が襲われ、森に引きずり込まれてしまった。そして人の味を覚えたのか、村のすぐ近くまで姿を現すようになったのだという。
「そいつはくすんだ水色の毛並みに、普通の狼より大きな体躯をしておりまして。こりゃあ魔物だと」
「くすんだ水色、か。やっぱりミストウルフっぽいかな」
ミストウルフ。二十年ほど前、エルガルディア全土を魔性の霧で覆い、惨憺たる悲劇をまき散らした《惑霧の魔王》の眷属種である。眷属種は普通の魔物より強力で、初級冒険者では荷が重い。
「住み着いたのは一匹だけ?」
「断言はできませぬが、二匹以上でいる所を見た者はおりません」
「俺達の前にも二度、冒険者が来てるんですよね。言い辛いことかもしれないですけど、死体とかは見ましたか?」
「いいえ。村人を含め、死体が出たことはありません。森の奥に引きずられた血の跡などがあるだけです」
「その場で喰ったわけじゃないのか……」
レイチェルも気になった。特徴を聞く限りは、至って普通のミストウルフである。しかし一度目の冒険者は二人、二度目は三人パーティだったと聞いている。ミストの名を冠する眷属種といえど絶対的な脅威ではない。にも関わらず、一匹のミストウルフが計五人の冒険者を返り討ちにし、かつ住処まで引きずり込む。どうも不自然に感じる。
「どう思う、レイチェルさん?」ケネトが問うた。
「村の方々が認識していない別の個体がいる。その可能性が高いように思います。群れならばすでに襲撃をかけているでしょうから、恐らくつがいではないかと」
「ああ、なるほどな」ケネトはふんふんと頷く。「雄が餌を獲って、身重の雌のために巣まで運ぶ。ありそうなことだな」
「二度目の冒険者の時には、もう産んでたんじゃない?」エメリが言った。「二匹以上でこられたら、三人パーティでも危ないだろうし」
「うん、確かに。えっと、二度目の冒険者が村に来たのは……」
「一週間前です」村長が答えた。
「魔物は成長が早いからな。一週間もありゃ、そこそこの大きさに育ってると思っていいか」
「じゃあ、三匹以上のミストウルフと戦うことを覚悟しといた方がいいわね」
「だな」
二人は小気味良いテンポで議論を交わす。頼りになる子たちだ。レイチェルは自然と笑むが、村長は浮かない表情だった。
先ほどの村人たちと同じ、どこか昏い感情の色が瞳に見える。悲しみか……、否。
「何か、ご心配がおありですか?」
「え、あ、いえ」村長は慌てた様子で首を振った。「申し訳ありません。実はその、最初に襲われたというのが、儂の孫娘でございまして」
「ああ……」
レイチェルは食卓に並ぶ四人分の皿を見た。やもめ暮らしに慣れていない。そういうことか。
「妻に先立たれ、息子夫婦を病で亡くし、このうえ孫娘まで。定めといえばそれまでだが、どうにも遣る瀬無くなってしまいましてな」
「それは……、さぞお辛いことでしょうね」
「しかも、儂らのために来て下さった冒険者の方々まで、五人も犠牲になっている。そう考えると……」
「村長さんのせいではありません」レイチェルは首を振った。「このような仕事を選んだ時点で、皆、大なり小なり覚悟はしております」
「そうは申しますが……」
「『今の自分にできないことなら、遠慮なく他人を頼りなさい』。私の神様もそう仰っています」
レイチェルは両手を組み、目を閉じる。
「私たち冒険者は戦うすべは持っていますが、日々の糧を生みだすことはできない。その点において、私たちは皆さんのような方々を頼っています。であれば、私たちと皆さんの立場に優劣はありません」
「……」
「五人の冒険者たちは、皆さんと対等な関係において契約を結び、それを果たそうとした。しかし力が足りず、失敗した。残酷なようですが、事実はそれだけです。悲しむべきことではありますが、どうか必要以上にご自身を責めませぬよう」
「……有難き、お言葉で」
村長は俯き、そこで言葉を切った。その瞳から昏い感情の色は消えていなかった。
沈黙が下りた。
それが破られることを、レイチェルは予感として感じ取った。それも悪い予感だ。彼女は自然と身構えていた。
どんどん、と入り口のドアが叩かれる。皆がそちらを見た。
「村長、お客人はこちらで?」外から男の声がした。
「おお、そうじゃ。何か用か?」
「ええ、ちょっと……」
「まあ、入りなさい」
ドアが開く。
甲高い叫び声とともに、短剣を構えた男が突進してきた。