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【けだものは神に祈るのか?】 #5
「レイチェル……さん……?」
ケネトは痛みも忘れた様子でその名を呼んだ。
レイチェルは頭領から視線を外し、ケネトの方に一歩を踏み出す。ケネトを踏みつけている賊は肩を跳ね、曲刀を振り上げて叫んだ。
「や、やめろッ! こいつの命が惜しくねえのかッ!」
レイチェルは地面に突き立った手斧を拾った。振りかぶり、投げると同時に走り出す。
「う、うわ、あッ」
賊はまごついた。手斧はその額を容赦なくかち割った。賊は曲刀を振り上げたまま、白目を剥いてゆっくりと倒れていく。
「な……何だ、なん」
すぐ傍にいた賊は、仲間の死に様と、向かってくる殺人者とを戸惑いながら見比べた。
レイチェルは十歩の距離をひと跳びに詰める。恐怖に叫ぼうとする賊の頭を殴りつけ、叫ぶ間もあたえずに砕き散らした。血飛沫が舞った。
ケネトは呆然とレイチェルを見上げた。
彼女は彼を見て、頷いた。そして地を蹴る。エメリの元へ。
「来るな! 来るなァァァ!」短剣の賊がエメリを盾にして絶叫した。
レイチェルは構わずに跳ぶ。空中で倒立し、彼らの頭上を飛び越しながら、賊の頭を両手で挟み、百八十度捩じった。賊は泡を吹いて死んだ。
「こっ、このアマァァァ!」
別の賊が斧を振りかぶり襲い掛かってくる。レイチェルは地面に散らばっていたエメリの矢を拾い、立ち上がってその額に突き立てた。そうしながら、逃げようとしたもう一人の頭を掴んだ。
「ひィィやァァ! 助けて! 助けてくれ、たす……げばっ!?」
泣き叫ぶ賊の顔面を、村長宅の壁に思い切り叩きつける。鼻がひしゃげ、額が割れた。腕を引き、もう一度叩きつける。前歯が折れ、額が更に割れた。腕を引き、もう一度叩きつける。頭蓋が割れ、命が消えた。賊はずるずるとしな垂れ落ち、壁に血の跡を描いた。
エメリは座り込み、泣き腫らした目でそれを見ていた。レイチェルは彼女を見返した。
「大丈夫だよ。あいつら、みんな殺すから」
そう言い残し、彼女は白い風となって駆けていく。エメリは振り返れなかった。涙は止まっていた。
「ひィ! こっちに来る……!」
「お、おガしらァ! あの娘ッ子やべえ、やばすぎるよおゥ!」
周章する手駒どもの様子に、頭領は血管を浮き上がらせる。彼は大剣を地に叩きつけ、一喝した。
「腰引けてんじゃあねえッ! 根性見せやがれッ! この場から逃げ出そうとしてみろ、俺様が叩ッ斬ってやっからな!」
賊どもは悪鬼のような頭領とけだもののような女に挟まれ、絶望に震えた。やるしかないのだ。彼らはそう悟り、哀れな蛮勇を振り絞った。
「ち、ちくしょう! 女が怖くて《オニキスの蠍》やってられっかッ!」
「ぶっ殺してやる! ウオオーッ!」
二人の賊が曲刀と斧を手に突進する。
レイチェルは滑りながら速度を殺し、目にも止まらぬ拳をそれぞれの鳩尾に見舞った。
「オボッ」「ゲボッ」
怯む二人の頭を掴み、互いにかち合わせて砕く。崩れ落ちる両者から武器を奪う。それぞれの手に構え、押し寄せる賊どもを正面から睨み据えた。
「ナメんじゃねえーッ!」「オラーッ!」「キィエアアァァーッ!」
奇声を上げる賊に向けて、彼女は両手の武器を投げ、まず二人殺す。
接近してきた順に瞬間的な拳の一撃。斃れる者から武器を奪い、次に迫る者へ適宜投げつける。武器がなくなれば拳で怯ませ、砕き、へし折り、殺す。その繰り返し。
吹き荒れる血風はすべて山賊のもの。しかし、それでも数の優位は彼らにあった。次々と仲間が殺されていく中、彼らは左右に展開し、レイチェルを包囲していた。
その包囲も残り二人にまで減ったところで、斜め後方から隙を突くことに成功した賊が、ようやく彼女の肩に斧を突き立てた。
「やっ、やった! やったぜおかし……ら……」
満面に喜色を浮かべた賊だったが、その手を掴まれ、凍り付く。裏拳で顔を砕かれ、絶命した。
レイチェルは少しも表情を歪めることなく、斧を抜く。鎖骨に届こうかという傷が、ひと呼吸する間に塞がった。
「ひ……ヒャアァァ! もうダメだァァァ!」
最後の賊は泣き叫び、逃げ出そうとする。レイチェルはその背に斧を放り投げた。首に突き刺さり、倒れた。
「レイチェルさん後ろだァーッ!」
「!」
ケネトの叫び声。振り返ろうとした時には遅かった。腰と首とに太い腕が巻き付き、彼女の体を圧迫する。半裸の巨漢だ。
「ゥへへへエ、つガまえだぞおゥ! き、綺麗な娘ッ子、オデのもんだァァ!」
「よおし、よくやった!」頭領が快哉を叫んだ。「そのまま首をへし折れッ! そいつはすぐに殺せェッ!」
巨漢は涎を垂らしながら、レイチェルの体を持ち上げる。両腕ごと全身の血管を締め付ける。
レイチェルは呻いた。しかしその眼の殺意はいささかも衰えはしなかった。
大きく顎を開き、歯を剥き出しにする。二対の牙が伸びる。目の前の腕に齧りつき、その牙を立てた。
「ゥギャアアア! いデえ、いデえよおゥ!」
叫びながらも、巨漢は離そうとはしない。レイチェルはより深く牙を突き立て、肉を引っ張った。
引っ張って、引っ張って……やがてみちみちと音を立て、肉が千切れた。巨漢は絶叫し、締め付けが緩んだ。
少しだけ自由になった腕で、首になおも巻き付く腕を掴む。今度は肘に近い位置で牙を突き立て、また引っ張った。
「アアァァァ! やめデえ、やめデぐれよおおゥ!」
彼女はやめなかった。肘から先の腕を、骨ごと引き千切るまでやめなかった。
「アアアアアアァァァァァァ──ッ!!」
鮮血が噴き出す。巨漢は泣きながら仰向けに倒れた。
レイチェルはふわりと降り立ち、腕を吐き捨て、曲刀を拾う。巨漢はなおも慟哭している。その口の中に曲刀を突き立てた。黙った。
頭領は冷や汗とともに呟いた。
「化け物め」
レイチェルは血にまみれた口元を拭い、再び頭領を睨み据える。
次はお前だ。けだものは眼光でそう告げた。
頭領は逃げ出した。
レイチェルは姿勢を低くして駆ける。白い髪が後ろへたなびく。
林に挟まれた村の外の道。逃げる獲物と追い立てる肉食獣。月がそれを見下ろしている。
頭領は図体と装備の割に速かったが、彼女の方が疾い。徐々に距離が詰められていく。頭領はちらちらと後ろに目をやり、それを測る。
やがて彼女は跳んだ。人間離れした跳躍力で殴り掛かってくる。
(跳ぶと思ってたぜッ!)
頭領は滑りながら減速し、大剣を横薙ぎに振り回す。跳びかかる女の肉体を両断すべく。
空中で躱すこともできぬ女の腹に、斬り込む、
その直前、
剣の腹に、拳が。
叩きつけられ。
地に引きずり下ろされた。
頭領は目を見開いた。
レイチェルは着地した。白い髪がふわりと舞い降りた。
彼女はすでに決めていた。だから躊躇しなかった。
跳躍。回転。回し蹴り。頭領の首が捻じれ、体は後退する。レイチェルは着地した。
跳躍。回転。回し蹴り。頭領の首が捻じれ、体は後退する。レイチェルは着地した。
跳躍。回転。回し蹴り。頭領の首が捻じれ、体は後退する。レイチェルは着地した。
跳躍。回転。回し蹴り。頭領の首が捻じれ飛び、体は後退して倒れた。
レイチェルは着地した。
「……」
彼女はしばしの間、己が殺した男の死体を見下ろした。
首の断面から流れた血を土が吸っていく。その様を、事実として目に焼き付ける。決して忘れることのないように。
やがて満月と死体に背を向け、歩きだした。
ケネトはエメリの肩を借り、村の入り口からそれを見ていた。
彼らの目の前まで来たとき、レイチェルの髪は既に元の色へと戻っていた。彼女は手を組み、血を拭いきれていない顔で微笑んだ。
「お二人とも、大丈夫でしたか」
「あ……」ケネトは一瞬、言葉に詰まった。「ああ。骨は折れてるけど、命には別条ない。エメリも」彼が顔を向けると、エメリは頷いた。
「良かったです。ああなっている間は、他の方を癒すためには祈れないのです。痛かったでしょうに、待たせてしまってごめんなさい。すぐに治しますからね」
「ああ……。ありがとう」
そう返すケネトに、レイチェルはにっこりと笑った。
ケネトには彼女に聞きたいことがあった。
霊術とは、霊素……魂を形づくる力を消費して紡ぐものだという。大気に漂うそれらの力や、何らかの術具を利用しない場合、己の魂を削って術を発動することになる。
ケネトは霊術を学んだことなどない。そんな彼でも、レイチェルが祈りを終えたあの瞬間、光が彼女の躰に満ちたことを感じた。それほどまでに凄まじい量の霊素を消耗した、ということだ。
それをどこから用意したのだろう? 大気や術具に肩代わりさせられる量ではなかった。ならば自身の魂からか。だとすれば、必ず何らかの代償があるはずだ。自分たちを助けるために……。
彼はそれを確かめたかった。けれど彼女の微笑みは、それを柔らかに拒絶しているように思った。だから聞けなかった。
「レイチェルさん、みんなやっつけたんだよね」エメリが言った。「これで、全部終わり?」
「いいえ。終わっていません」レイチェルは首を振る。「山賊は人質をとって、村の人々を従わせていたようです。その人たちを助けなくてはなりません。きっと近くにアジトがあるはず。留守を預かる山賊もいるでしょう。仲間が戻ってこないことに気付けば逃げ出すでしょうから、今夜中に決着をつけなければ」
「なるほど、そうだな」ケネトは頷いた。「アジトの場所は生き残りの賊から聞き出そう。素直に吐くか分かんねえけど」
「レイチェルさん、本当に骨折とかすぐに治せる?」エメリが聞いた。「あたしら、情けない有様だったからさ。アジトを強襲するってんなら、あたしらに任せてほしいんだけど。レイチェルさんも疲れてるんじゃない?」
「情けなくなんてありませんよ。でも、ええ、そうですね。お言葉に甘えたい気分ではあります。お二人がすぐに元気になるよう、精いっぱいお祈りしますね」
「お願いね。今度はあたしらのカッコイイとこ、見せたげるから!」
二人は笑った。レイチェルは微笑み返した。
三人は村へ戻る。そこへ村長が駆け寄ってきて、何度も何度も地に額づいた。村人たちもそれに続いた。ケネトたちは困惑し、なだめすかすのに必死だ。
それを後ろから眺めるレイチェルの呟きは、だから彼らには届かなかった。
「ああ、浴びるようにお酒が飲みたい」
それを聞いていたのは、たぶん、月だけだったろう。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その後の処理には三日かかった。
最初に奇襲してきた三人の賊からアジトを聞き出し、その晩のうちに間髪入れず襲撃した。宣言通り、ケネトとエメリが頑張って、カッコイイとこを見せてくれた。
攫われた村人たちはみな無事だったが、心身に深い傷を負った者も多かった。村長は孫娘と抱き合い、村人たちは一様に感謝の言葉を繰り返した。
捕らわれた冒険者も助けたが、その数は女性三人。二人の姿はなかった。
彼女たちの傷が一日でも早く癒え、失われた魂が安寧を得ることを、レイチェルは祈った。
リディアの都まで馬車を出してもらい、生き残った山賊の身柄を冒険者ギルドに引き渡し、報告する。依頼の内容は虚偽ではあったが、報酬はきちんと支払われた。
追加報酬もあった。頭領の首をギルドが査定したところ、3000クリムの懸賞金がかけられていたのだ。レイチェルは三等分しようとしたが、ケネトたちはレイチェルが全額受け取るべきだと主張した。揉めた末、レイチェルが半分貰うことで決着した。
「レイチェルさんと一緒に仕事できて、本当に良かった」別れ際、ケネトは晴れ晴れとした顔でそう言った。「俺たち、一旦リディアを離れるけど、また会えた時はよろしくな!」
「そん時までにいっぱい稼いで、たっかいお酒、奢ったげるからね!」
「まあ、それは素敵。期待しちゃいますからね?」
レイチェルは笑って彼らを見送った。
何はともあれ、約束の1200クリムを確保できた。これでトビーにいい報告ができる。重たくなった財布を片手に、彼女はうきうきと《緋色の牝鹿亭》への帰路につく。
その途中、酒屋の前を通りかかった。修道女の足が止まった。
頭がぼんやりし始める。『頑張った後は好きなことしてぐっすり休みなさい』。神様がそう仰った。
「はいぃ……。そのように致しますぅ……」
とろんとした意識で酒屋の中へ入ろうとする。
その瞬間、神様とは別の声を、彼女は思い出すことができた。それが彼女を踏みとどまらせた。
ぶんぶんと頭を振り、必死に、必死に、必死に誘惑を退ける。訝しむ通行人たちに気付かぬまま、レイチェルは進路を戻した。愛しき常宿へ。
彼女は歩きながらぶつぶつと呟いた。
「呑まれるんなら酒呑むな、呑まれるんなら酒呑むな……」
【けだものは神に祈るのか?】 おわり