地獄行きオクトーバー (7/10)
十月二十九日。
いつもと同じように、お姉と夜の見回りをしていたはずだった。なのにいつの間にか、わたしは自室のベッドで横になっていた。
「あれ。ここは……」
「おう、お目覚めかい」
お姉がわたしの椅子に腰かけてポテチを食べている。
「もう平気? あんた見回り中にぶっ倒れちゃったからさ。ひとまず連れ帰ってきてあげたわよ」
「ああ、そうだった」
今夜のことを思い出し、にへらと頬が緩んだ。あのドラキュラ伯爵に出会ったのだ。ゲイリー・オールドマンが演じた通りのイケオジだった。天の国に召されるかと思った。
しかも、しかもだ。ただ現世に観光にきてただけとのことだったので、にこやかに別れようとしたら、なんと手の甲にキスしてくれたのだ。そこから記憶がない。
「よかったわねぇ。憧れの人に会えてさ」
「わたし、もう手洗えないかもしんない……」
「そりゃ大変。このご時世なのに」
お姉はポテチの袋を差し出す。ピザポテトだ。わたしはキスされてない方の手で二枚つまんだ。
「そうそう、あんたが寝てる間に家の掃除しといたよ。お風呂からトイレまで隅々ね」
「ホント? わたしがやるからいいのに」
「あんたは仕事が雑なのよ。目に見える範囲だけ綺麗にしとけばいいって思ってるでしょ」
返す言葉もない。さらに気付いたけど、わたしの部屋の中もスッキリしてる気がする。無断で家族に部屋を片付けられるなんて何年ぶりだろう。お姉なら全然いいけどさ。
「どうする、お姉。また出かける?」
「今夜はもういいんじゃない。魔族の気配も感じないし」
たしかに、ここ数日は調子こいた魔族とは出くわさない。出会うのはドラキュラ伯爵のように紳士的な魔族か、魔族のコスプレをして調子こいてる人間どもくらいだ。こき方がひどい場合は人間でも軽~く懲らしめたりするけど、チュパカブラだの何だのと比べればいたって平和といえる。
「きっと、マナーのなってない連中はあたしらがだいたい片付けちゃったんだわね。十月も終わりだし、もう何も起こらないんじゃないかしら」
「そう、なのかな」
ちくりと、胸が痛んだ。
枕元のデジタル時計をみる。夜の十時。もう少しで十月三十日になる。
つまり、お姉が現世にいられるのも、あと五十時間くらいしかないということ。いつもは待ち焦がれたはずの日が、今年は永遠に訪れなければいいのにと真逆のことを願ってしまう。
「あーあ。ずっとハロウィンだったらいいのにな」
「聖職者とは思えない発言」
「いいよ。どうせわたし、立派な聖職者になんてなれないし。正直なるつもりもない」
「何言ってんのよ。人を守るために覚悟決めて戦ってる人間が立派じゃないわけないでしょ。妹じゃなけりゃ吐き気を催してるとこよ」
「魔族だから?」
「魔族だから。つまりあんたは立派なエクソシストなの。胸を張りなさい」
「薄っぺらい胸だけどね」
「なんだ、今夜は卑屈ちゃんか?」
そうかもしれない。さっきまで心に満ちていた熱が、どんどん冷えていくのを感じる。目も滲んできた。
「あらら。やっぱり泣き虫ちゃん?」
「へいき……平気だよ」
わたしは手の甲で目尻をぬぐった。
「ホットミルクはもう必要ない。わたしも二十一だもん。いい加減、お姉離れしなくちゃね」
「その意気だぞ、わが妹よ」
お姉はピザポテトの袋まるごと差し出した。残りぜんぶくれるらしい。
わたしはそれを受け取って、ぼりぼりとつまみながら、ベッドを下りる。カーテンの閉まった窓に目がいった。ドラキュラ伯爵が「今宵は曇っていて残念ですな。月が見えない」と仰っていたのを思い出す。
「月、出たかな」
立ち上がり、窓に向かおうとした。するとお姉が腕をつかんできた。
「待って、カーテン開けちゃダメ」
「なんで?」
「断熱カーテンでしょそれ。夜の空気は冷たいわよぉ。寒がりちゃんにはちときついんじゃない」
「そうかな。出歩いてる時も別に寒くなかったけど」
「それに月は出てないよ。あたし魔族だからわかるの、そういうの。開けても無駄だって」
「ふうん」
なんか怪しい感じがするけど、ひとまず言うとおりにした。
お姉が椅子から立ち上がる。
「さあて、今夜はビデオナイトといきますか。あたし兵糧買い込んでくっからさ、その間に何観るか決めといて」
「わかった。傾向のリクエストは?」
「下品で笑えるヤツ」
そう言って、お姉は部屋を出ていった。
聖職者にするリクエストじゃないな、と思いつつ、わたしは脳内で検索をかける。『最終絶叫計画』とか懐かしくて喜びそうだ。
ふと、再びカーテンに目をとめた。
耳を澄ます。玄関のドアが開いて、閉まった音。
わたしはカーテンを開けた。
少し離れたところにある十二階建てマンションのシルエット。この時間でもぽつぽつと灯りがついている。目線を上に滑らせると、ちょうど屋上あたりに、バナナみたいな三日月が浮かんでいた。
◆
十月三十日。
とても楽しい夜だった。道行く人々のほとんどがお姉に注目し、何度も写真を求められた。お姉は快くそれに応えた。何匹か魔族ともすれ違ったけれど、特に何をするでもなく、素直にハロウィンを楽しんでいるようだった。
平和な夜だった。教会からの指令がスマホを震わせるまでは。
わたしはその指令を無視した。