地獄行きオクトーバー (8/10)
十月三十一日。ハロウィン当日。
一ヶ月もやってるとはいえ、ハロウィンがいちばん盛り上がるのはやはり当日だ。しがない地方都市にすぎないこの街の大通りに、いつもの1.3倍くらいの人が押し寄せてきている。密にはなっていない。ハロウィン期間を拡大した市の政策は、ひとまず成功といって良さそうだった。
街は明るく、活気に満ちていた。コツコツ通りという名の商店街の看板には骨の装飾が施され、ジャック・オ・ランタンのオブジェがあちこちで温かみのある光を灯している(本人はもういないけど)。お姉とわたしはこれまでと同じく二人で出歩き、いろいろな人に声をかけられた。
女子高生。コスプレイヤー。ネットメディア。子供たち。警察。道に迷った魔族。下心まるだしのナンパ野郎。お姉はいつもの調子で対応していたけれど、わたしは無理だった。ナンパ野郎なんかはあまりにしつこくて苛々したから、銃を持ち出そうとしてお姉に止められてしまった。
「どうしたのよ。今日は機嫌悪いちゃん?」
ナンパを撒き、雑踏に溶け込みながら、お姉は言った。
「……ごめん。せっかくのハロウィンなのにね」
「まあ、あたしらはこの一ヶ月で十分に楽しんだからね。さっさと切り上げちゃうか。終電は混むしな」
この場合の終電は、地獄の門のことだ。上級魔族は自力で門を開くことができるけど、下級魔族は特定の数ヵ所に開かれる公共門を通るしかない。その門は十一月一日の午前二時に閉められてしまう。
例年、お姉はぎりぎりまで現世にいてくれた。
今はまだ午後の九時だ。
わたしはただ俯いて、お姉の少しあとをついていった。
街外れの廃工場に着いた。
月明かりも薄い夜の工場は、不気味なほどに静かだ。ハロウィンの喧噪ももはや遠い。
「静かねぇ。門、まだ開いてないのかしら」
「……」
わたしは返事もできず、パンプスを履いたお姉の踵が上下するのをただ眺めている。
言葉が消え、響くのはお互いの足音だけ。
わたしたち姉妹の間には、気まずい沈黙なんてこれまで一度もなかったのに。わたしには言わなくちゃいけないことがあるはずなのに。
胸の中で、小蠅がわんわんと飛び回るような感覚が、わたしを焦らせる。
早く言わなきゃ。こういう時は、いつだってお姉が先に……。
お姉が足を止めた。
「ミナ。あんた、あたしに言わなきゃいけないことがあるんじゃないの」
予感の通りだった。
わたしは長く息を吐く。
窄まろうとする喉をこじ開け、ぼそぼそと言葉を紡いだ。
「……昨日、教会から指令がきたの。『この街で若い男性が殺された。魔族の仕業と思われる。至急調査し、討伐せよ』って」
「……」
お姉が振り返る。わたしはスマホを掲げ、画面をみせた。
そこには被害者の姿が映っている。あるマンションの一室、下半身を露出した状態で、干からびたミイラとなっている男性の姿が。
「被害者に外傷はなく、情交の跡が認められた。これって、サキュバスの手口だよね」
「……」
「現場は家のすぐ近くだったよ。わたしの部屋の窓から見えるあのマンションの四階。死亡推定時刻は三十日の未明前後。わたしたちが『最終絶叫計画』観てた頃か……その直前」
あの時、お姉は兵糧を買い込むと言って近所のコンビニに出かけた。思えば、いつもより十分くらい余計に時間がかかっていたように思う。一時間でヤクザ百人斬りを成し遂げたお姉なら、パッと行って搾り殺せるくらいの時間だ。
だからどうしたっていうんだろう?
直接的な証拠は何もない。たった一言、「あたしじゃない」とお姉が言ってくれれば、わたしはそれを信じる。そう決めている。そうに決まっている。
わたしは訊いた。
「お姉が、やったの?」
お姉は答えた。
「そうだよ。あたしがヤった」
「だって、あたしサキュバスだよ。ソフトクリームだのサキイカだのピザポテトだの、おいしくても魂は満たされないわ。やっぱり男の精気を吸わないとね」
お姉は何でもないことのように言った。サキュバス特有の青い肌が、これほど異質にみえたことはない。
「我ながら一ヶ月もよく我慢したと思うわ。いや……我慢してないな。あのデカパイ魔女の時、集まった男どもからちょびっとずつ吸ってたわ。何年か寿命縮めちゃったわね。どうせこうなるなら、いっそ吸い尽くしちゃえばよかったなぁ」
「……本気で、言ってるの?」わたしの声は震えていた。「ヤクザ相手とは、わけが違うんだよ」
「そうね。全然違ったわ。おととい吸ったやつ、なよなよした優男くんだったし、そのうえ直前にシコってたみたいでさぁ。グラスの底で氷に溶けたカルピス程度しか吸えてないのよ。全然もの足りない。もっともっと、めちゃくちゃに吸いたい気分だわ」
お姉はまっすぐにわたしを見る。
魔族特有の、酷薄な闇のような瞳。人とは違う生き物の眼光。
「……で? 言うべきことってそれでおしまい? もっと頑張れるでしょ。ねぇ、エクソシストちゃん」
「……」
童貞をからかうような物言いだ。どうやら試されているらしい。
ナメんなよ、サキュバス。こっちは昨日からずっと悩み続けてきたんだ。答えなんてとっくに出てる。神父さまが、お姉ちゃんと呼んでくれたあの少女が、そうしろと言っている。
わたしはスマホを投げ捨て、両腕を伸ばした。手のなかに二丁の銃が飛び出す。グロック神聖カスタム。魔族を滅ぼすための武器。
「人に害なす魔族ども。神の名においてみな死すべし」
サキュバスは舌の先で唇を舐めた。
「よくできました。あたしいっぺん聖職者をヨガらせてみたかったのよね」
サキュバスはソウル・ドスを生成し、二刀で構えた。
わたしは二丁の銃で撃った。サキュバスのドスが閃いた。弾丸は届かず、二発とも断ち切られて地面に落ちた。
わたしは移動しながら撃つ。サキュバスもそれに合わせて動きながら、最小限の動きで弾丸を躱す。そしてある瞬間、残像をともなう速さで、わたしの眼前まで一気に距離を詰めてきた。
サキュバスがドスを振り回した。わたしは二丁の銃を盾にしてそれを弾く。金属音が鳴る。嵐のように襲いくる斬撃を、嵐のように銃で受けた。火花が無数に散った。
「アハハ! 楽しいわね! あたしら喧嘩したことなかったもんね!」
楽しい? これが? ふざけないでよ。
二刀の斬撃を、銃身ではなく銃口でそれぞれ受けた。そして引き金をひいた。ゼロ距離で放たれた弾丸が、ソウル・ドスの刀身を砕いた。
わたしはそのまま銃口をサキュバスに向けた。
「甘いぜぇ、甘ちゃん!」
サキュバスが回転した、と思うと、強烈な蹴りがわたしの側面を打った。わたしは十数メートルも吹っ飛ばされた。錆びたドアを砕き、大量のコンテナが積まれた倉庫のなかへ。